Nicotto Town


エレウシス


歴史好きの一日

今日は丸一日仕事から離れた日。

爆睡してネッ情報ト読み読みしてました。
そこで一人の歴史上の人物を知りました。

その人の名は藤原喜娘。

何かを成し遂げたという人ではないんですが、
この方の人生にはとても興味があります。

父親の名は藤原清河。
遣唐使の大使として入唐し、玄宗皇帝に気に入られます。

翌年、阿倍仲麻呂と一緒に、日本に帰ろうとしますが、難破。
一旦唐に帰り、再度日本に戻ろうとしますが、
安禄山の乱の勃発により断念。
妻を娶り、唐朝の官吏として生きて行こうとします。
この年、西暦759年。

そして、喜娘が産まれます。

喜娘は安禄山の乱後、高官となった父の下で
何不自由なく暮らしたのでしょう。
しかし、大使としてやってきた父ですから
父親はもう高齢。
新たな遣唐使が来たタイミングで亡くなってしまいます。

この時点で喜娘の母がどうなったかの記録はありません。
しかし、この遣唐使が日本に帰る時に同行していますので
おそらく亡くなっていたのではないでしょうか。
この年、西暦778年。

結婚後すぐに産まれたとしても17歳です。
日本では貴族、唐では高官の父の娘として産まれるも
唐で天涯孤独の身となった喜娘。

遣唐使と共に日本に行くことを決めます。
この時代に海を渡るということは、
宇宙に行くようなものです。

父をはじめ、阿倍仲麻呂、鑑真など、数々の
屈強な大人たちが失敗してきた渡海です。

10代半ばの女の子がそれを行う。
どれだけの決意だったのでしょう。
まだ見ぬ日本にいる一族に会いたい一心だったのでしょうか。

そして。

船は難破します。
同行の小野石根、唐の趙宝英らは水死します。

喜娘は船のへさきに辿りつき
そのまま同乗者40名とともに6日間の漂流の後、
有明海の島に漂着、一命をとりとめます。

そして藤原清河の娘として、帝に経緯を上奏し、
それが「続日本紀」に採用され、今に伝わりました。
その後のことは女性のこと、記録は残っていません。

言葉は話せたのか、
藤原氏一族として認められたのか、
誰かに嫁いだのか、
子供はできたのか、
興味は尽きません。

日本と唐の間で大冒険をした少女。

小説あるらしいんで、ちょっと読んでみようかな。




月別アーカイブ

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012

2011


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.