みんな違ってみんな良いと誰もが知ってるハズだが
- カテゴリ:30代以上
- 2017/01/18 23:21:39
異才発掘プロジェクトROCKETのニュース
やってたのを見ました。
学校や社会に馴染めなくても
突出した才能を持つ子供たちを救おう
というやつね。
これ、発足から良い取り組みだと思ってたし、
そもそも東大なんて、半分くらい
このカテゴリに入る連中じゃないのー
とかも感じますけど、やっぱりこういう活動は必要。
学校は「勉強できない子」や「型にはまった不良」は救おうとするのに
「勉強できすぎる子」や「コミュニケーション下手な子」は
救おうとしてくれません。
そして潰れた才能は山ほどあることでしょう。
ただ、どうにも違和感があるのが
異才“発掘”プロジェクトという言葉。
なんで、「発掘」って上から目線なんだろね。
こういった方が政財界の協力を得やすいからなのは
わかるんだけど、どうにもやるせない。
コメンテーターに「こういう子たちをいかに“発掘”するか」
とか言われるとなんか腹立つ。
「こういう子たちを普通に育成できること」
が社会に求められているんだと何故気づかん。
違っていることを違っていると
ありのままに受け入れることができない社会に
「発掘」してやったと思われたくないだろに。
好きなことをして生きていける人が
多ければ多いだけ幸福な社会なんだろな。