Nicotto Town


エレウシス


死をわが手に

死生観とよく言うのだけれど。

日本において、死は誰のものなのだろう。

生はもちろん、自分のものだ。
誰しもが自由に生きることができる。

一方、死はどうか?
誰でも納得のできる死を選べるのか?

ヘビースモーカーだった私の父は
肺がんで亡くなった。
私は本人に告知すべきだと主張したが、
母が頑なに告知をしないと言い張って
最後まで肺水腫と偽っていた。

延命にしかならない抗がん剤を
治療薬と偽って投与し
吐き気と脱毛に苦しんでいた。

まあ、最後は本人もさすがにわかっていたと思うけど。

こういうのを見ると、
死も本人の自由にして欲しいと思うのだ。

もちろん、社会に迷惑をかける死はダメ。
飛び込みとか飛び降りみたいなやつね。
社会に迷惑をかける生がダメなのと一緒。

でも、社会に迷惑をかけない死は
本人の自由になって欲しい。
本人の尊厳のために。

明治生まれのダンディだった祖父は
下の粗相をしたことがきっかけで
ショックで寝たきりになった。

祖父も自分が自分である内に
死を選びたかったのではないかと思っている。

日本もいい加減、尊厳死のことを真剣に議論して良いんじゃなかろうか。


・・・ところで、前々から「見える人」に聞きたいことがあるのよね。
認知症の人が霊になったらどうなるのだろうか。
普通は死んだときの状態で霊になってますよね。
亡くなった大人が子供の霊になるなんて聞いたことない。
だとすると、徘徊する認知症の人が亡くなったら、
死んだことも理解できないまま、
そこら中に徘徊してるんじゃなかろうか。。。
と考えちゃうのよね。


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2019/02/01 18:15
☆れぃ さん
 葬式のこともそうだけど、
 日本では死は遺族のものなんですよねぇ。
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2019/02/01 18:14
☆micky さん
 自分のお気に入りの時期ですかー。
 大学生の頃かなぁ。
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2019/01/31 23:58
なるほど。。
ちょっと考えさせられました
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2019/01/26 11:56
以前、心霊関係のマンガ雑誌で霊能者(テレビには出てない方)の方が
「死後は、認知症になる前の状態に戻る」というようなことを言ってましたよ。
あるマンガ家の方のお父上がやはり認知症で、死後、その方が見た夢で、
生前にお気に入りだったスーツを着て、帽子をかぶって(やはりダンディーな方だったようです)、出かけるときに使っていたバッグを持って、玄関で
「お父さん、おうどんが食べたいな~」
と言っていたそうです。
大急ぎでうどんをゆでたそうですが、出来上がった時にはいなかった、というところで目を覚まされたそうです。
そして、実家に帰って、お仏壇にうどんをお供えしたそうです。

>大人が子供の霊になるなんて聞いたことない。

人間は亡くなった後は、自分が一番元気だった時、もしくは自分のお気に入りの時期の姿でいることが多いようですよ。
ただ、誰かに姿を見せる(夢など)時は、相手が一番わかりやすい姿で出てくるようです。



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