Nicotto Town


つくしのつれづれノート


八甲田山

今日寒いので日本最大の山岳遭難事件を舞台にした77年の「八甲田山」の話を・・・

(以下ネタバレになるので注意)
時は日露戦争間近の1901年末の青森。日本陸軍弘前第8師団は対露戦の戦場になるであろう極寒の満州のための寒地訓練の研究のため徳島大尉(高倉健)と神田大尉(北大路欣也)に八甲田山の雪中行軍を打診する。二人は着々と準備を進め翌年1902年1月徳島隊は27人の小部隊で、神田隊は自分と同じ階級の同僚に上官の山田少佐(三国連太郎)を含めた210人大部隊でそれぞれ別ルートで八甲田山に挑む…が行軍中記録的大寒波に遭遇し指揮系統が混乱した神田隊は極寒の大地を当てもなくさまよう。「天は我々を見放した…」(by神田大尉)結局神田隊は神田大尉を含む199人の凍死者を出し全滅する。一方徳島隊は一人負傷者を出したものの全員無事に八甲田山を踏破するもの2年後に起こった日露戦争で全員戦死したという。
ラストシーンはそれから数十年後の現在に(上映時の1970年代か)全滅した神田隊の数少ない生存者の一人(緒方拳)が八甲田山の慰霊碑を訪れるところで幕を閉じる。



寒い…見てるだけで寒くなってきます。夏に見たら省エネに効果あるのでは…
この映画、事件当事者の名前をもじっているものの(徳島大尉→福島大尉・神田大尉→神成大尉・山田少佐→山口少佐)実際の真冬の極寒の八甲田山で撮影されたため大変リアルな作品です。昼食に出たカレーライスが一分で凍りつく厳しい環境に逃げ出した役者がいるという話も聞きます。(どこに逃げるってんだ…)遭難しかねない環境のため常に避難所としてロケバスを待機させたそうです。
この映画に参加したカメラマン木村大作は映画の影響を受け後に「剣岳 点の記」を監督として製作することになります。(「八甲田山」より厳しいロケ…)
芥川也寸志(小説家芥川龍之介の息子)の手がける音楽も映画音楽として傑出しておりエンディングを聞くたびに涙が出てきます。

この八甲田山遭難事件のとき日本観測史上最低気温を記録したそうで(今年の大寒波で記録更新)その後も八甲田山では陸上自衛隊の訓練中に数人がくぼ地にたまったガス地帯にハマって数人死亡した事故をはじめ遭難事故があいついでます。

映画で北大路欣也演じる神田大尉の「天は我々を見放した」の台詞は当時の流行語になり、最近でもソフトバンクの犬のお父さんのCMで「八甲田山」ネタがありました。
しかし北大路欣也はソフトバンクのCMの影響で何をやっても犬に見えてしまいます。
「おやじ、ガンモ!!」





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