耳をすませば
- カテゴリ:映画
- 2012/02/23 19:38:15
ジブリ映画では一番好きなわけで日々の生活が息苦しくなったときに必ず観てます。
映画が封切られた当時生活感の丸出しのリアルな作風(高畑作品はもっとリアル。最近のジブリはファンタジーな宮崎テイスト一点張りな作風ばかりで飽きが来ています。)には今ひとつ興味がわかなかった作品なんですが想いを寄せる聖司がどんどん自分の夢に向かって進んでいくことに焦燥感を抱き自分はどうすればいいのかともがきながら必死で模索する雫の姿に年を重ねるごとに自分に重ね合わせるようになりハマッていきました。
しかしこの映画、家で観てると必ずラストシーンのプロポーズについて「中学生の癖に結婚の約束なんて早すぎる」と主張するわが母と議論になります。
自分としては聖司が約10年間まともにあえなくなる状況下においても雫の心をがっちりつなぎとめておくためにあえて言ったのではないかと考えてます。何しろ当時は中高生にケータイが普及してなかったからイタリア・日本でほとんど会えない生き別れ状態になったらハッタリでもいいからプロポーズをかましとかないと確実に自然消滅してしまうでしょう。(「好き」くらいの告白じゃあ長く続かない。)
しかし普通に言ったら冗談にしか聞こえないけどあの状況下で顔を赤くしながら中学生カップルが言った「俺と結婚してくれないか?」は観てるこっちまで耳が赤くなってしまうくらいこっぱずかしくなってしまいました。青春って初々しくていいなあ!!(いかん、それを言っちゃあ自分が老けて見える・・・)
皆さんはどうお思いでしょうか?
この映画を監督した近藤喜文は宮崎駿・高畑勲のあとを継ぐべきジブリの正当な後継者といっていい人物だったそうでこの映画を見てもリアルな高畑勲とファンタジックな宮崎駿の作風が見事に融合しており凄く雰囲気がいいんです。残念ながら近藤喜文は「もののけ姫」の作画監督を担当したあと急死してしまいその後のジブリの迷走が始まることになります。近藤喜文の監督作品はこの「耳をすませば」ひとつのみなのですがもし存命ならば次回作は児童文学作家の灰谷健次郎(小学校教師から作家になった。代表作「太陽の子」など)の作品のアニメ化の構想を練っていたそうです。
しかし去年公開された「コクリコ坂から」が当時の「耳をすませば」の対抗企画だったことには大変驚かされました。近藤喜文が監督していれば海と俊の恋愛模様がもっときめ細やかに描かれていたんだろうなとちょっと残念に思います。
しかしこの映画の原作については感想としてかなり辛口にしなければならないほど今ひとつでした。(人気が出ずに打ち切りになった作品です)
とはいうものの原作者柊あおいの少女漫画はピュアな恋愛模様が展開されるものが多く読んでて結構好きです。(長編「星の瞳のシルエット」は80年代のベストセラー少女漫画です。その中でも「猫の恩返し」にキャラクターが流用されてる「桔梗の咲く頃」が一番好き。単行本「耳をすませば 幸せな時間」に収録)
「耳をすませば」の関連作品は他に三作あるのですがどれも映画の影響を受け作られたもので周囲に振り回されて失敗作になってしまっており不憫でなりません。(その中の「猫の恩返し」比較的話がまとまって1番よかったですが…)
長々となりましたがお粗末さまでした。
「コクリコ坂から」は宮崎駿の介入であのようになったように見え、宮崎駿よりも高畑勲に師事した方がいいかと思いました。所々に宮崎テイストが中途半端に出てきてそこが「コクリコ坂から」を良作に評価できない所以であります。
それにしても「耳をすませば」…もし雫と聖司が結婚した場合、結婚式には「地球屋」の爺さんがあのバロンの人形を譲ってくれるんだろうなあ…自分もそういう場面を勝手に妄想してたりしてます(笑)
つい最近も「そういえば」と思い、検索して聖蹟桜ヶ丘周辺の画像を見て感心しました。
もちろん映画の空気感と現実の景色は違うでしょうが・・・。
時々思い出して「雫と聖司はそろそろ結婚しただろうか」「子供も生まれたかな」
などと勝手に想像しています(笑)
近藤喜文氏のことは初めて知りました。
最近は宮崎吾郎さんとの確執が取りざたされていますが
近藤さんが元気でいれば、そういう問題も起きなかったかもしれませんね。
息子とアニメ作品のことで衝突するのもなかなかにしんどいことです。
とよそのお家のことながら心配してみたり(笑)