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つくしのつれづれノート


新撰組後記(斎藤一編)

仕事中なぜか新撰組が頭の中をぐるぐるしてたため、しばらく戊辰戦争を旧幕府軍として戦った人物のその後についてしばらく書きます。
今回は新撰組・3番隊組長・斎藤一

戊辰戦争の会津戦争で新撰組から離脱し質実共に会津藩士となって会津藩の流刑地ともいえる下北半島と斗南に移住しそこで藩主松平容保・家老佐川官兵衛・山川浩(後の陸軍少将・現在の筑波大学学長。この山川家に関しては来年の大河「八重の桜」の新島八重以上に明治の会津人を主役にした題材にふさわしいと思っており、この山川家に関しては今後しつこく書くつもりでいます。)の仲人の下、高木時尾と結婚に至る(「るろ剣」でもネタになってましたが…)わけですが、

実はこの時すでに斎藤一はバツ一だったんです。

斗南に移住してすぐに白虎隊隊士と遠縁だった人と結婚したそうなのです。なぜこの最初の結婚が失敗したのか自分は知らず、誰か知ってる人いたら教えて!!

…その後(斗南の生活は過酷な流刑同然であり、多くの犠牲者を出したそうです。そのため斗南を捨てるものも多かった。)上京して明治7年に警視庁に就職し警官となるんですが、おりしも不平士族の反乱が相次いだ時期であり、
その最大最後となる西南戦争において農民中心の陸軍鎮台兵では士族である薩軍に歯が立たなかったため、
士族中心で構成されていた警視庁が別動第三旅団(通称警視隊。旅団長は現在の警視総監である大警視川路利良(初代警視総監)で陸軍少将を兼任)として動員され、
斎藤も小隊の半隊長(新撰組時代と同人数の部下を指揮できる身分と思われ、半隊長は適当ではないかと思います。)として出征します。

当初、警視隊は各員小銃を装備して戦地へ赴いたのですが、薩軍の白兵戦により主力の鎮台兵が不利だったために、士族で構成された警視隊から剣の腕の立つ者を選抜して九州中から集めた日本刀を装備させて対抗し政府軍が薩軍に巻きかえしをはかるのに貢献することになります。
この選抜部隊がのちに抜刀隊と呼ばれ、軍歌になるほど有名になります。

斎藤一も抜刀隊に選抜され、薩軍から大砲2門を奪取するなど、新聞に載るほどの活躍をします。(この記事を書いたのが後に五・一五事件で暗殺される総理大臣犬養毅。ちなみに抜刀隊は旧幕府軍出身者ばかりが各メディアでもてはやされているのですが中核は薩摩出身者であるため、よく言われる「戊辰の仇」以上に親兄弟が敵味方に分かれて殺し合う、血で血を洗う凄惨な光景が少なからず展開していたはずです。実際政府軍・薩軍の両首脳の西郷従道・大山巌と西郷隆盛・西郷小兵衛の西郷一族が敵味方に分かれて殺し合うことになります。)
戦後これらの戦功で斎藤一は勲章と報奨金100円を受けます。(当時の100円でコメが約18俵近く買えますので相当すごい額です。)

その後、斎藤一は明治24年まで警視庁を務めたのち博物館(現:東京国立科学博物館)・女子高等師範学校(現:お茶の水女子大)の守衛・経理を務め、大正4年に胃潰瘍でなくなります。なんでも座禅を組んだまま亡くなったとか…
お墓は会津藩士としてなのか会津にあります。


ここで補足
・西南戦争後、維新後に廃れた剣術が見直されていく中で剣術の実力を七段階に基準する撃剣級位(昭和26年廃止)というのができるのですが、斎藤一はその中の四級に位置付けられています。斎藤一は新撰組最強クラスの剣客といわれていますが、
要するに明治になっても新撰組級・超新撰組級の剣客が他にも沢山いたのに大変驚かされます。
ちなみに一位は永久欠番の空位で二位が最高位でした。

・ここでは斎藤一で通してますが、この人しょっちゅう名を変えてます。最初は
山口一に始まり、斎藤一山口二郎一戸、一瀬伝八ときて明治になって藤田五郎を名乗ります。共通しているのはなぜかすべての名前に数字が入っていること。数字好き?

・「るろ剣」の印象で剃刀みたいな怖い顔が板についたイメージがありますが、長男のもとにした肖像画はまるでモンタージュ写真の指名手配犯っぽく見えました。(笑)ちなみに西南戦争後横浜に凱旋した時に撮られた写真を見る限りでは、美系ではありませんが大変精悍な顔つきをしています。「薄桜鬼」の美系キャラ群で片付けてもらいたくないですね。

それともう一つ…
実は新撰組幹部の最年少であり、沖田総司より年下なんです。

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2012/04/23 23:33
イケメンということろから歴史に入っていく人は多いですね。そこから突き詰めていって真の歴史好きになっていく人もたくさんいるから侮れません。

新撰組最強と言われただけに明治の中ごろになった東京において斎藤一以上の剣士がまだごろごろいたという事実に大変驚きました。斎藤はあんなに強いのに彼の流派って「一刀流」「溝口一刀流」「無外流」(「剣客商売」か!)と諸説ありハッキリしないんですよね。その説のひとつに「聖徳太子流」なるものがありメチャメチャ気になります。
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2012/04/23 22:38
新撰組は昔からよく小説やマンガ、アニメ、ゲームなどの題材になるので、薄桜鬼から入る人に限らず、美形な彼らを妄想しているひとは多いでしょうね。
そこから入って歴史に興味を持つひとも多いから、悪いことじゃないと思います。
斎藤一については、新撰組一の剣の遣い手は彼、という説もありますね。
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2012/04/22 11:11
広場からこんにちはw

 おもしろいです!!

 今度はぜひ藤堂平助やって欲しいですw
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2012/04/22 01:17
次は永倉新八について書き、土方歳三・立見尚文と続くようにいきます。
それから山川家については時間をかけて資料を調べたうえで、西郷隆盛のいとこである陸軍元帥・大山巌の妻になった山川捨松を軸にして連載形式で書き、来年の大河「八重の桜」に真っ向から立ち向かいます!!




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