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つくしのつれづれノート


「平清盛」 保元の乱 その1 源氏の内紛

いよいよ来週「平清盛」は保元の乱!! 
正直この戦役の撮影に参加したくてエキストラ情報を収集してたわけですが叶わず…
…というわけでその供養という意味合いも込めて数回に分けてこの保元の乱ついての記事を書きます。
まずはその遠因。
簡単に言ってしまうと天皇家・摂関家・武家の陣営それぞれにおいて対立があったことが一気に爆発したのが保元の乱であってこの点では後戦国時代の幕開けのきっかけである応仁の乱とやや似てるかもしれません。ドラマも一通り観てますがそこに至るまでの紆余曲折がややこしい!ので以下の対立構図でご勘弁を…


その保元の乱における対立構図(右が後白河陣営 左が崇徳陣営)
・天皇家
後白河天皇(弟)×崇徳上皇(兄)

・摂関家
藤原忠通(兄・関白・悪左府に比べ無能)×藤原頼長(左大臣・通称悪左府)

・源氏
源義朝(兄)・源頼政(多田源氏棟梁)・源義康(源義家の孫にして義朝の盟友・足利家初代)×源為義(父)・源為朝(弟 鎮西八郎)以下義家の兄弟多数

・平氏
平清盛(甥)×平忠正(伯父)

もの見事に各勢力が真っ二つに分かれておりますがその中で源氏・特に小日向文世・玉木宏演じる源為義・義朝の一家の内紛には凄まじいものがあります。

武家の草創期においては各家ごとに相続をめぐってなどの内紛が絶えなかった(江戸時代においても相続問題のお家騒動は少なからずあるのですが、御成敗式目(貞永式目)などの成文化された武家法律の完備される以前は、無法の暴力団の抗争同然に合戦が絶えず、承平・天慶の乱(平将門の乱)・後三年の役のような大乱に発展することもしばしばあった。)のですが、その平安期において源氏のうち義家・義親・為義・義家・頼朝に続く河内源氏嫡流による内ゲバは最も壮絶なものであり、故に源氏は「内訌の源氏」として「襷に流し帯に短し」のマイナーなイメージを持たれている理由となっております。(鎌倉幕府の源氏将軍も形だけ見れば内ゲバにより滅びます。)

そして保元の乱以前から対立が続いてた源為義・義朝勢ですが、その前年に義朝への対抗策として為義が関東に送り込んだ義朝の弟・源義賢(源(木曽)義仲の父)を義朝長男・源義平(通称・鎌倉悪源太)が襲撃して滅ぼした大蔵合戦によりその対立は決定的なものになります。(そしてこの合戦は義賢の子・源義仲と義平の弟・源頼朝率いる鎌倉勢の対立の伏線になっていきます。それにしてもドラマで描かれたのが大変嬉しい!!)
この大蔵合戦が事実上の保元の乱の前哨戦になり、保元の乱において源義朝は親兄弟全てを敵にまわして戦うこととなります。

崇徳陣営の主力部隊は義朝の弟・源為朝(鎮西八郎)率いる為朝二十八騎(日ノ本一の弓取りが率いる当時最強と呼ばれた精強部隊)。それに立ち向かうのは源義朝が従えた鎌倉党をはじめとする坂東勢(彼らが後の鎌倉幕府の母体となります。)。

はたして保元の乱はいかに!?



次回、源為朝の為朝二十八騎と源義朝の坂東勢の壮絶な合戦を特集します!!



それにしても大河「平清盛」で描かれる源為朝。五人張りの大弓を引き、その為に左腕が右腕より四寸(約12センチ)長い、身の丈7尺(二メートル越え)の大男なのですが、それを表現するために役者に肉襦袢を着せて、左腕を長く見せる為に気の盾を装着。
…まるで段ボールを身にまとったできそこないのロボットみたいです。(泣)

そういえば源義経の忠臣・弁慶(鬼若)も既にちょくちょく登場してますね!(後半この視聴率が史上最低を記録する恐れがあると噂される「平清盛」のテコ入れの為に、源義経と弁慶の活躍が増加するそうです。どうか主役・平清盛をないがしろにしないでと願うばかりです。)





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