Nicotto Town


つくしのつれづれノート


勇敢なる水兵

煙も見えず雲もなく 風も起こらず波立たず
 鏡のごとき黄海は 曇り初(そめ)めたり時の間に

これは日清戦争の黄海海戦の戦況を歌った軍歌「勇敢なる水兵」の歌詞です。(丸枠の数字は歌詞番号)明治27年(1894年)の9月17日、今日よりちょうど118年前に行われたこの黄海海戦は日本連合艦隊12隻と清国北洋艦隊14隻が激戦を繰り広げるという、日清戦争最大のハイライトとして知られています。
さらにこの海戦1860年代の地中海のリッサ沖海戦(オーストリア艦隊VSイタリア艦隊)以来約30年ぶりの大海戦であるうえ、最新鋭の甲鉄の蒸気軍艦で構成された艦隊同士の世界初の大海戦ということで世界中の海軍か注目していました。

島国の日本の戦争はすべて大陸に派兵する戦争であり、安全な兵員物資の輸送を遂行するための制海権の確保が戦争勝利の鍵なります。日清戦争はその最初であり作戦海域・黄海の制海権の確保を目指して、連合艦隊は清国海軍の主力艦隊・北洋艦隊に挑むわけです。

その北洋艦隊は大国清国の主力は大金をはたいて揃えた分厚い装甲と巨砲を備えた定遠・鎮遠。それぞれ30センチ砲4門と日本の軍艦をはるかに上回る巨体を誇った、当時東洋一の戦艦と呼ばれていました。
日本海軍は北洋艦隊のような大鑑巨砲を揃える金がなかった為、装甲は薄いながらも北洋艦隊を上回るスピードと連射能力の大砲(小型)を備えた小型巡洋艦を揃えた連合艦隊で対抗します。

1894年9月17日、この対照的な二つの艦隊が黄海で相見えるのです。分厚い装甲の大鑑巨砲と薄い装甲で快速・連射の小型艦隊…

例えるなら一撃必中のボーガンを手に甲冑をフル装備した相手に弓矢を手にふんどし一丁で挑むに等しい構図です。
果たしていかなるか…その結果は以下の如し。



連合艦隊と北洋艦隊は17日午前10時に遭遇、戦闘態勢を整えて勝負を挑みます。
北洋艦隊はリッサ沖海戦で勝利したオーストリア海軍の体当たり戦法(当時の軍艦には艦首に衝角が付いていた。)にならって、定遠・鎮遠を真ん中にした横一列Ⅴ字型の陣形で連合艦隊を串刺しにしようと突っ込みます。対する連合艦隊は速力のとくに早い艦の第一遊撃隊(吉野・高千穂・秋津洲・浪速)と本隊(松島・千代田・厳島・橋立・比叡・扶桑)を縦一列の単縦陣で迎え撃ちます。連合艦隊の単縦陣は「ミスター単縦陣」のあだ名を持つ第一遊撃隊司令官・坪井航三(長州藩出身で明治初年に教会で結婚式を挙げたどこまでも異例な男)の主張によるものでした。

戦端は12時50分北洋艦隊主力定遠が5800メートル先の巡洋艦吉野に砲撃したことで開かれます。
連合艦隊の先頭を行く第一遊撃隊は横っ腹をさらしながらも快速でそれをかわし、北洋艦隊より距離3000メートル地点で砲撃を開始。横っ腹に備えつけた大砲の連続砲撃によって次々と北洋艦隊に命中していきました。
連合艦隊の主力大砲は定遠・鎮遠の巨砲に及ばない小砲で一撃必殺にはならないのですが、小砲ながらも連射による大量砲撃で沈没できないにしても浮かべるスクラップにしてしまおうと目論んだのです。
狙いは見事にあたり、北洋艦隊の両端に配置された弱小艦が次々大損害を被ります。

しかし第一遊撃隊ほどのスピードを出せない連合艦隊本隊は北洋艦隊の集中砲撃を受ける羽目になり、各巻が次々と被害を受けるようになります。そして15時30分、北洋艦隊の戦艦鎮遠の30サンチの巨砲が連合艦隊旗艦・松島に命中し(この松島と厳島・橋立は俗に三景艦と呼ばれ小さな船体に定遠・鎮遠を超える32サンチ巨砲をそれぞれ一つずつ積んでいた。しかし反動で船の向きが変わる上に全く当たらない為、日本の軍艦の駄作の代名詞となります。)、一度に90数名の死傷者(乗員の1/4にあたる)を出して大破してしまいます。
この時瀕死の重傷を負った水兵・三浦虎次郎が復旧活動に奔走する松島の副長に「まだ戦艦定遠は沈みませんか」と問いかけ、「戦艦定遠は戦闘不能になった。」と返ってきたのに満足して戦死するという場面が展開しました。
このエピソードが黄海海戦のハイライトとして評判になり、上記の軍歌「勇敢なる水兵」の誕生につながります。
♪「まだ沈まずや定遠は」  その言の葉は短かきも
皇国(みくに)を守る国民(くにたみ)の 心に永くしるされん
で締めくくられるこの軍歌は愛国心の象徴として散々利用されるわけなんですが、実のところ愛国心以上に自分の仕事の成果を見届けるまでは死に切れないというのがこのエピソードの真相だったと自分は睨んでいます。それの方が人間として自然だし…
さてそんな勇敢なる水兵が死ぬ間際まで案じていた北洋艦隊主力の定遠と鎮遠ら北洋艦隊は、この時果たしてどうなっていたのか?

このころになると北洋艦隊は第一遊撃隊と連合艦隊本隊の十字砲火をモロに受けて大半火だるまになっており、主力艦定遠・鎮遠も砲弾を撃ち尽くて
文字通り戦闘不能になったのです。

そこへ連合艦隊全艦の砲撃を一方的に受けるようになり、次々と北洋艦隊の軍艦が沈んできます。その為夕方に定遠・鎮遠ら北洋艦隊残存艦は逃走を開始し、黄海海戦の幕が降ります。


結果、黄海海戦は連合艦隊の半分が満身創痍になりながらもかろうじて沈没艦を出さずに、北洋艦隊の4艦を撃沈して勝利し日本軍の黄海の制海権をほぼ掌握することに成功しました。(その内の2艦は自分のハンドルネーム「つくし」の元ネタである巡洋艦筑紫の同型艦であり、真っ先に鎮められました。(泣)なお連合艦隊旗艦・松島は沈没一歩手前までダメージを受けた為、日清戦争から落伍して日本に帰還します。)


一方逃走した北洋艦隊は逃げ込んだ山東半島の軍港・威海衛で日本軍の陸海軍共同攻撃で降伏。(定遠はこの時沈没)もう一つの戦艦・鎮遠は捕獲されて日本海軍の軍艦に編入されます。
その後、鎮遠は10年後の日露戦争・日本海海戦において鎮遠が大破させた巡洋艦松島・厳島・橋立で構成された連合艦隊第5戦隊として、囮となってバルチック艦隊を主力六六艦隊へ誘導して勝利に導くという、まことに数奇な運命をたどることになります。



以下黄海海戦を描いた作品(日清戦争を描いた作品自体が少ないんです)

・映画「天皇・皇后と日清戦争」(58年)…「明治天皇と日露大戦争」のメガヒット(「千と千尋の神隠し」に次ぐ観客数2000万人動員)を受けて製作された続編であり、日本で黄海海戦を描いた唯一の映像作品。この二つの映画タイトルがアンパンマンのサブタイトルみたいですごくダサい…

・漫画「日露戦争物語」(江川達也)…黄海海戦の状況が細部まで描かれており、最も参考になります。ちなみにこの漫画「坂の上の雲」の漫画版といえる作品なのですが、黄海海戦以降「ゴーマニズム宣言」みたくなって脱線を繰り返し、手抜きの作画になってしまった為日露戦争待たずして打ち切りに…(江川達也はこの漫画に限らず大作漫画を中途半端に放り出す常習犯であり、各作品は面白いのですが日本漫画の面汚しとして最も嫌いな漫画家です。)

・小説「坂の上の雲」(司馬遼太郎)…日露戦争が主体な為日清戦争の描写は少ないながらも黄海海戦を様々な角度から分析しています。ドラマではこの黄海海戦を全面カットした為大、変落胆したのを思い出します。





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