Nicotto Town


つくしのつれづれノート


岐阜城登山顛末記

そんなわけで出発しました。
夜行バスの到着地点名古屋からスタートする最初の目標は100名城の一つ金華山の岐阜城。
斎藤道三が築きそれを引き継いだ織田信長の居城としてあまりにも有名な城です。
去年の自転車旅行で本丸へ登るためのロープウェイの金額が出せなかったため(鎌倉に帰るのに金銭的にも体力的にも限界だったわけで…)今回はそのリベンジです。
しかしお金の心配はないもののロープウェイの値段が
片道600円に往復1050円
明らかに天守・資料館の内容が乏しそうな本丸の為に使う金額としては高すぎる!!ケチです。そしてせこい…自分が(苦笑))
幸い今回は旅の序盤ということで体力も有り余ってる…
そんなわけで
自力で登りました。金華山!!
金華山は頂上への本丸へ向けたハイキングコースが複数ルート存在してるんです。もともと城だから当然登るための道も存在するわけで…と最初は高をくくってたんです。
ところが…
途中どこで道を違えたか最難関ルートに迷い込んでしまったのです!!
このルート「馬の背登山道」といって、最短距離なんですが急こう配で四つん這いになるロッククライミング状態になる場所もあるわけで…しかも降りるほうが危険が大きく初心者な自分はろくに引き返すことができず…
結局40分以上かけて登りきりました。金華山の岩肌がとがってたために大怪我しそうで怖かったですが、無事頂上に着きました。
おかげで膝が笑い、息も絶え絶え…
結果として金華山の峻険さを身をもって思い知ったわけですが…

ところが、この峻険さで難攻不落と呼ばれてる岐阜城
実はまともに攻められて守り切れたためしがない弱小城だったんです!
なんと歴史上7回も陥落してる!!

なんでも頂上の本丸が狭いために少人数しか入れない為に大勢で責められたらひとたまりもないうえに、まともに水を蓄えられない構造なため籠城ができないそうなのです。

け、欠陥品じゃないか!!信長はなんでこんな城使い続けたの!?

実は岐阜城は要塞よりも居住施設としての性格が強いのだそうです。(とはいえ常時本丸に住むのはあまりにも不便そう…麓にも天守と同じ建物があったそうだから本丸は別荘だったりして…)
難攻不落といわれているのは信長の居城になって以降信長の死まで一度も陥落しなかったり、その信長が稲葉山城(岐阜城)攻めあぐねたことが原因かもしれません。しかしこれは信長が領内に敵を引きんで戦をしないスタイルであることや(まさに攻撃が最大の防御ってスタイルです。)、稲葉山城主の斎藤氏の組織自体が強固だったことにあると思われます。(信長の美濃攻略が達成できたのも斎藤氏の重臣・美濃三人衆のヘッドハンティングが成功したことが大きい。)
後の安土城も同様であり、岐阜安土の城は信長の天下布武の為の広告塔の意味合いを持った城だったと言えるかもしれません。



さてそんな岐阜城を登った感想ですが
大変しんどかったんですが達成感にあふれて楽しかったんですね。
見晴らしもいいし、空気もうまい!!下手したら今回の旅行中最も充実したとのちに行ってしまうかも知れない…
ストレスためてた状態だったんですけど、すごくスッキリしますね!!
…で問題の本丸施設ですが、
案の定展示内容が貧弱で、自力で登れるのならロープウェイはもったいない気がしました。実際、この金華山ハイキング客でにぎわっており、ロープウェイ使う客よりも何となく多いような気がします。
岐阜城の満足感は自力登山あってのことなのかもしれません。
帰りは当初予定していた「瞑想の小径」の最易コースで降りましたが、こちらも見晴らしが大変よく爽快でした。
再度岐阜城へ行くときも自力登山で行きたいですね。今度は体をならしたうえで…

とにもかくにも
岐阜城スタンプゲットだぜ!!

(今回の100名城スタンプ狩りはこれでおしまい。実は滋賀県の100名城スタンプは去年の自転車旅行で総なめにしてるんです。)






ちなみに岐阜城最後の陥落は関ヶ原の役の本戦直前のこと。東軍に責められて瞬殺されます。皮肉にもこの時の岐阜城城主は織田信長の摘孫・織田秀信だったりします。(清州会議で有名な三法師その人。)



≪追記≫
下山ルート瞑想の小径は軽い登山ルートとして老若男女の登山客でにぎわってました。(子連れが多かったです。)とはいえ登山ルートなのでアスレチック状態。
驚いたのはその山道を走って登る運動部女子高生達がいたことです。
まるでくの一!!

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2019/01/05 22:23
ゆりか様へ…最近は原付に依存したり、眼精疲労で気力がげっそりと削げ落ちてることもあって当時ほどの体力はない感じです。登山で金山城を攻略した当時関東甲信を自転車で一蹴してる最中であり、金山城攻略時は群馬の岩櫃城のふもとのコンビニで野宿した(11月上旬)所から前橋へ南下し金山城のある新田荘(太田市)~足利市と進んで行ったのを今も覚えています。
よくこんな無茶苦茶な旅をやったなと今思い返すと腰を抜かします。

正月旅行は全ての日程において好天候でした。ただ一昨日の大阪がものすごく寒くてたまりませんでした(>_<)
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2019/01/05 22:03
こんばんは、みかささん。
太田金山城の詳しい解説もありがとうございます(*^^*)
マチュピチュですか!確かに写真を見るとそんな感じかも。
上杉謙信でも攻め落とせなかったとは、難攻不落ですね。岐阜城とは大違い。
城自体の防御機能が高かったのか、城主が有能だったのか、関東七名城なんて言われるくらいですから、その両方だったのでしょうか。
面白いお話を教えてくれて感謝です♪

私は普通の坂でも自転車を降りて歩いて登るくらい軟弱ですけどね;;本当にみかささんは、すごい体力ですね~。
今回の旅もお疲れ様でした。天気はどうだったのでしょう。
ロープウェーからの景色が期待を上回るものだったら良いのですが(*^-^)
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2018/12/29 17:45
ゆりか様へ…太田金山城は見事な石垣でありながら一般のお城のイメージの総石垣に天守閣の安土桃山城郭の系列とは全く異なるの北条の城であるため雰囲気が全く異なった不思議な印象を受けたのを今でも覚えてます。ちょうどマチュピチュのような感じでしょうか…(竹田城のような感じじゃないですがww)
最終的に小田原北条氏が手に入れあのような形になったみたいですが太田金山城のある地域は新田義貞を輩出した新田荘にある城であり新田本家が没落した後新田荘を治めた新田家の分家の岩松氏が築城したのが最初らしいです。
関東を荒らしまわった上杉謙信も攻め落とせなかったそうで中世戦国時代における「関東七名城」なんて謳われたそうですよ。
去年原付で山頂近くの通射場まで行った時は楽チンでしたが自転車旅行の時にガチで上った際には鬼畜レベルと感じて今でもトラウマになってますwwwなんかガチでロードバイクを乗り回す人がヒルクライム(山岳攻め)の練習台によく上り下りしてるみたいですね。


今回は岐阜での滞在期間が3時間も取れてないので本当に時間との戦いになります(苦笑)なので攻めて登っていくロープウェーからの景色だけはしっかりと堪能したいと思います(^_^)
それにしても構造的欠陥を抱えながら名城と謳われる岐阜城は皮肉にも敵対した武田信玄の「人は城人は石垣…」の名文句にふさわしい城って感じがしますwやはり人の輪があってこその城ですよね(^_^)
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2018/12/29 09:16
こんにちは、みかささん。

山城って、私は登ったことがないのですが本当に険しいのですね。太田金山城ですか。知らなかったので調べてみたら北条氏の城ですね。石垣が見事!
戦国時代の当時は、堀や罠もしかけられていたでしょうし、城攻めの大変さが伺えます。

旅慣れてないので、関東近郊か観光地で整備された平城にしか行けないので、全国色んな所を巡っていらっしゃるみかささんが羨ましいですね。お話を伺うのも楽しいです(*^^*)

今回はロープウェイなのですね。登山も達成感がありそうですが、ロープウェイから見る景色も綺麗でしょうね。
岐阜城は確か、竹中半兵衛も奇策で奪い取ってますし、あれを落城と見て良いのかどうか。
そんな城で勢力を築いた斎藤親子の凄さと、龍興の代での衰退ぶりを見ると、本当に使う人間次第という言葉がぴたりと当てはまりますね(*^-^)
教えてくれてありがとうございました。
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2018/12/28 18:43
ゆりか様へ…ロッククライミングを経験しましたがこれでも山城への登頂時間としてはまだ短い方なのです。10年近く前に自転車旅行でいった群馬の太田金山城なんかは山頂部の駐車場まで登り切れなかったので麓から山頂の城跡めがけてもっと時間をかけて登った記憶があります。(去年原付旅行で行った際には山頂部の駐車場まで一気に駆けましたがw)
この時は夜行バスで名古屋から電車に乗り換え早朝の内に岐阜駅まで到着できたので時間的に岐阜駅から金華山山頂までの片道4~5キロを往復する余裕があったのですが、今回は過密スケジュールで岐阜城の後の犬山城攻略の時間を確保するため岐阜駅から岐阜城山頂まですべてバス・ロープウェーの交通手段を使うつもりです。
この時の100名城スタンプゲットは10年以上前から集めている旧スタンプ(49/100)上の話であり、今回は去年から集めている新スタンプ帳(36/100)の分として攻略します。

当時の記事では落城回数は7回と書きましたが、改めて各ネットソースを調べると5回・6回・7回とまちまちで何を以て陥落とするかで微妙に陥落数が変わってるみたいです。
ただ籠城するだけの人員物資を詰め込めるだけのスペースもない上に水の手の確保もままならないのは確かであり籠城して勝てる城ではないのは明白みたいです。
これが名城たる所以は斎藤道三・義龍親子が家臣団の組織力で攻め寄せる外敵をはねのけたことや、斎藤氏滅亡後城主となった信長が本能寺で斃れるまで常に敵地を戦場にして領内に敵を引き込まなかったことによるものなんです。
城よりもそれを使う人間の方が優れていたという代表例じゃないかと思います。
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2018/12/28 17:43
こんばんは、みかささん。
教えて頂いたので、さっそく遊びにきました(*^^*)
ロープウェイが設備されているような山を、自力で登ったのですか。それは凄い体力ですね~。しかも最難関ルート?ロッククライミング?!40分??!
わぁ~、高尾山をロープウェイで登ったくらいしか経験のない私には想像もつかない体験ですね。
そんな難攻不落そうなのに、実戦では7回も陥落ですか!
その欠点はダメダメ過ぎて、なぜ設計段階でどうにかしようと思わなかったのでしょう?居城施設として使っていたとしても、いつ戦が起こるかわからない戦国時代なのに。謎です。

登山自体は楽しそうで良かったですね(*^-^)
今回は大寒波中なので、無理されないほうが良いと思いますが、季節の良い時はハイキングも面白味の一つですね。
スタンプゲット、おめでとうございます♪

そういえば、関ケ原本戦前の岐阜城陥落は、秀信が籠城の指示を無視して敵の挑発に乗って出てきてしまったのが敗因と思っていましたが、これを読むとそもそも籠城が無理だったり??と思いました。でも秀信は本当あっさり負けちゃいましたねー。
楽しい城レポありがとうございました(^^♪次回の城攻めも頑張ってください。
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2012/10/23 20:25
みのり様へ…登山時の馬の背登山道は見晴らしが悪く、どこまで登ったかわかりづらい為に初心者としては永遠に続く圧迫感があって絶望的でした。(笑)それだけに登りきった達成感は測りきれません。
山道は築城時からあるそうで、岩肌は意図的に削ってるのではないかと思いました。
まるで剣山みたい…
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2012/10/22 20:55
登山、大変お疲れ様でした。でも自力登山だったからこそ見えた景色も最高だったのだと思います。
そこにある感動が違いますよね??きっと(^O^)
岩肌尖って・・・って、怪我しなくて何よりでした・・・(-_-;)
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2012/10/22 06:43
吉乃様へ…名古屋祭りについては名古屋駅のホームや岐阜などでもポスターが貼られていました。長屋ついたのが早朝5時だっただけに全く関わることができずに残念です。(+_+)
岐阜城は一応金華山にドライブウェイというものが存在するそうですが、本丸へ行くにはロープウェイか登山道しか方法がないようです。
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2012/10/22 00:02
岐阜城ってハイキングして登るしか手はないんかねえ~途中まででも車で行けないのかしら?
ロープ―ウェイがあるから物資とかはあれでいいのかしらね
それにしてもよく自力で登ったわねえすごいわ
私は割と近くにあっても自分の足で登ろうなんて思ったことないわww

そういえば今日前言ってた名古屋祭りだったのよ~
かなり小さくだったけど英傑行列見たわよ~~~^^




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