Nicotto Town


つくしのつれづれノート


武者行列

自分の住んでるところの近くに戦国時代の小田原北条氏の城である玉縄城というものがありました。
今年はその玉縄城築城500年目に当たるということで、先月から記念イベントが幾つか行われてきたのですが、今日はそのしめとして地元で毎年開催されているお祭りのパレードに混じって武者行列が登場しました。まあ武者行列の内容は小規模でコスプレっぽい御粗末なものだったのですが、今上映中の映画「のぼうの城」話題になっている埼玉行田の忍城と同じく小田原北条系の城郭として感慨深いものを感じました。

玉縄城は戦国前期に小田原城を奪取した北条早雲がさらに鎌倉へ続く中世の大動脈・鎌倉街道をおさえかつ東相模に進出するために築いた城であり、ここを拠点にして三浦半島の雄三浦氏を滅ぼし千葉県館山を拠点にしていた戦国大名・里見氏(「南総里見八犬伝」の里見氏です。強力な水軍を背景に、北条氏と鎌倉や国府台を舞台に度々激突した。)と争いました。

玉縄城跡は現在学校や住宅地になって当時の面影を残すものはかなり乏しいのですが、その当時の規模は JR東海道線大船駅より西側に見える山の大部分が城の関係施設だったという巨大なものだったそうで、あの武田信玄や上杉謙信の攻撃も跳ね返した強力な防御力を誇った城だったということです。(関東でも有数の防御力を誇っていると思います。西相模においては最強の城だったのは間違いありません。)

ちなみに「のぼうの城」で描かれる秀吉の小田原征伐の際には徳川家康方の説得に応じてあっさり開城し、城主北条氏勝は小田原征伐の先導役を務めたそうです。(生き残るための処世術として仕方がないとはいえちょっとみっともない…「のぼうの城」で氏勝はおぼっちゃま育ちのチキンヤロー的な描かれ方をしています。後に氏勝は江戸幕府譜代大名となるのですが江戸前期に断絶したそうです。)

鎌倉というとどうしても源頼朝の源氏の郷とか鎌倉幕府のイメージが強いのですが、身近なところに戦国時代の堅城が存在して激戦区だったという事実は結構新鮮な気持ちになりました。



ちなみに以前玉縄城については他に記事も書いていますのでよかったらご覧ください。

http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=1032798&aid=38425479

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2012/11/11 12:57
みのりさまへ…「のぼうの城」上映中の忍城のお祭りとはすごいグッドタイミングってやつですね(^-^)本番のお祭りにくらくらにならないよう、万全の体調を整えて参加してくださいね(^-^)
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2012/11/11 01:57
夜更けに失礼します♪テンション妙なことになってます(゚Д゚;)寝そびれました・・・(-_-;)
明日行田忍城時代祭りがあるですよーー^^
寝そびれたけど、頑張って起きて行ってこようと思っとります♪
それでは~~(^^♪頑張って寝てみます><




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