大河「平清盛」 嫡男重盛の死
- カテゴリ:テレビ
- 2012/11/11 22:11:24
久々に観た大河「平清盛」。(大河サークル立ち上げておきながら情けない限りで申し訳ないのですが…)
今回は何かと清盛と反発していた重盛が心労で命を落とし、そのすきを狙って平家を追い落そうとした後白河法皇が逆に幽閉されて、清盛ら平家が武家として歴史上初めて政権をのトップに立つというものでした。
さて今回お亡くなりになった平重盛どういう人物だったか
清盛の嫡男でありながら他の兄弟と母を違えているため孤立がちだったのは本当みたいですが、同時代の人間から温厚誠実・優れた武人でありながら気配りのできる好人物としてめちゃくちゃ評価が高いみたいです。その死後も「平家物語」で暴走する清盛のブレーキをかける良識派とされていたり、さらに時代が下った江戸時代では命がけで後白河法皇を庇い、父清盛をいさめたことから日本三忠臣なんて呼ばれているそうです。(ほか二人は万里小路藤房・楠木正成)
重盛の死後、平家は劇中通り後白河法皇を追い落として政権のトップに立ったわけですが、重盛を失ったダメージは平家を滅亡に向けて加速させることになります。
まさにおごれるものも久しからず…
次週のサブタイトルが「以仁王の令旨」ということであり、トップに立ったのもつかの間いよいよ平家を滅亡に誘う俗にいう源平合戦(治承・寿永の乱)が始まります。
どうなる!?平家!?
え~すみません、上記はあくまで前置きです(笑)
この記事では不謹慎にも平重盛の死をダシに重盛の肖像画について書きたかったわけです(苦笑)
平重盛と伝えられる肖像画は京都神護寺に伝えられているいわゆる神護寺三像のひとつであり、歴史教科書で必ず掲載されていることで有名な源頼朝像と双璧をなす肖像画として名高い逸品です。(平重盛・源頼朝・藤原光能で神護寺三像。他に神護寺には見事な後白河法皇像が存在します。)
京都国立博物館の特別展で源頼朝像と平重盛象を共に見たことがあるのですが、
頼朝像がキリったした目つきのなのに対して
重盛象は表情のせいかウスボンヤリとした間抜けに見えます。
日本人としては歴史教科書でなじみ深いことからどうしても頼朝像の人気が高いのですが、
実は海外では逆転して平重盛像の方が評価が高かったりします。
なんでもそのウスボンヤリとした表情が人間の煩悩を現しているとされてウケがいいのだそうです。
かつて東京国立博物館でモナリザが特別展示された時にはその交換条件として平重盛像がはるばる海を渡り、ルーブル美術館で特別展示されるに至りました。
つまり、平重盛像はモナリザと同格。スゴイ…(東洋のモナリザ?)
そんな神護寺三像なのですが、実は最近これらがそれぞれ頼朝・重盛のものではなく室町幕府の足利将軍家の肖像であるという異説が注目を浴びてたりしてます。
それによると平重盛像は室町初代将軍・足利尊氏、源頼朝像は尊氏の弟・足利直義なのだということです。
んなアホな…と思ってしまうのですが、最近の研究で武田信玄のハゲの肖像画や鎧をまとった足利尊氏の騎馬武者像が別人ということが判っている為、今後の研究次第では別人説が現実のものになるかもしれません。
記録に残ってる尊氏・直義の性格の面影が確かに肖像画に表れているとも言えなくもなく
、尊氏に至っては現存する木像と重盛の肖像の表情であるウスボンヤリとした間抜けヅラがソックリだったりします。
神護寺三像…
果たして今後の展開は如何に!?
自分も足利尊氏の騎馬武者像が別人(尊氏の執事高師直説が有力)ということが分かった時のショックはさすがに大きかったです。
頼朝像や重盛像は日本の肖像画の最高傑作なので別人説に覆られないといいなあ…
写真と違って、あくまでイメージだから、きっとこんな顔だよ!と思っておく分にはどちらでもいいかと(笑)
まさに役者冥利に尽きるんだろうなあ…
昨日の「平清盛」は、後白河法皇と重盛が賽をする場面が
圧巻で見入ってしまいました。
最近、歴史上の人物の肖像が実は別人だったというニュースを
よく耳にします。学生時代に覚えた人の顔を、今更別人でしたと
言われてもという感じですが・・・^^;
それにしても、平重盛像がモナリザと同格とは、初めて知りました。
重盛役の窪田正孝さん、このあいだ「大奥」にチャラ男の役で出てたので
ギャップがすごかったです。