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つくしのつれづれノート


二人義経

先日源義経についての記事の末尾に書いた義経二人説について書きます。
まあなんのことはない、
要するに同姓同名の源義経が同時期に二人いたということなんですけどね。

ただそう単純に片付けられているかというとそうでもなく、片方の義経が歴史の表舞台に姿を消した途端もう片方が出現して大活躍するという感じに、活躍時期がタイミングよくずれている為に二人の義経が同一人物であるという説を唱える人までいるわけなんです。一般に義経二人説というと両義経同一人物説のことを指すようです。

さてもう一人の源義経とはいったい何者なのか…
この源義経、武田氏や佐竹氏(共に戦国大名として有名ですよね)を輩出する甲斐源氏(頼朝・義経の河内源氏から枝分かれした親戚筋に当たる)の一族であり、本人は現在の滋賀県長浜にあった山本山城を居城としていた為に山本義経と呼ばれている人物なんです。(以下この義経を山本義経と区別します。)近江に住んでるためこの一族を近江源氏と呼ぶそうです。)
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」も記載がある人物で、それによると弓馬の武芸に優れた勇猛な武将だったということです。(非力な源義経とはまさに対照的。)

1180年に始まった源平合戦で山本義経の挙兵は以仁王・源頼政や関東の源頼朝に遅れることこと数カ月後となったのですが、近江源氏の勢力を結集して以仁王を討ち取った平家方の武将を討ちとったり水軍を駆使して琵琶湖を支配下に置いたりと、源平合戦最初期の畿内において大規模な勢力で暴れまわったそうです。
しかし平家軍が反攻に本腰を入れるようになってあえなく敗退。その年の暮れ、山本義経は長浜の本拠地・山本山城を脱出して、関東鎌倉の源頼朝の元に身を寄せることになります。源頼朝はこのころ坂東武士を束ねて富士川の合戦で平家軍に勝利し、関東を事実上独立国家に仕立て上げていたのです。

それから約2年鎌倉にいたのですが、1183年に源頼朝から木曽義仲の傘下に入ります。木曽義仲軍は平家の都落ちさせて上洛したのですが、翌年木曽義仲軍は宇治川合戦で頼朝が派遣した鎌倉軍によって滅ぼされることになります。山本義経は義仲軍として上洛して官職を得たり都の警備任務についていたことは判っているのですがその後の記載が全くなく、生死不明のまま歴史の表舞台から姿を消します。
この宇治川合戦の大将の一人が頼朝の末弟である九郎判官・源義経であり、この合戦が義経のデビュー戦として英雄伝説が始まるわけです。

以上山本義経の簡単な経歴なのですが、ここで源義経の経歴を知ってる方は何か気付く点はないでしょうか?
源義経は平泉の奥州藤原氏の加護を受けていたのですが、兄頼朝の挙兵を知るや否や平泉を飛び出して頼朝の元に駆けつけます。二人が対面したのは富士川の合戦直後のことであり、それから宇治川合戦までの約3年間鎌倉に住んでいたわけなんです。
要するに同時期に鎌倉に二人の源義経が滞在していたわけです。

当時関東独立国(鎌倉幕府の最初期)の首都として鎌倉にはたくさんの武士がひしめいていたわけなのですが、時は源平合戦の中での源氏の同姓同名が狭い鎌倉に滞在していたらいやがおうにも互いを知ることになるのは当然なわけでありまして、
かなり高い確率で二人の源義経は面識があったのではないかと思われます。

その為創作差品としてこの二人の義経の絡みを題材にした作品(BLじゃないよ。)がいくつも存在しています。

以上二人義経でした。









ちなみに義経ネタで書き遺したことが、牛若丸時代の義経と弁慶が対決した五条大橋の決闘。
刀狩りミレニアム達成目前で弁慶が牛若丸と対決した末に牛若丸が弁家の臑を討ちすえて勝敗を決したことから、臑は「弁慶の泣き所」といわれるわけですが…
そうなると
義経の臑は「義経の弁慶の泣き所」
弁慶の臑に至っては「弁慶の弁慶の泣き所」
となるわけで…

ややこしいにもほどがあるよ!!(笑)

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2012/11/22 23:07
ペッチ様へ…それだけ義経の素材って魅力なんだと思います。最近ドラマの義経はその魅力が全く生かせてないものばかりなのですごいヤキモキしています。
自分が義経を題材にしたら感情的なヒステリックで星飛雄馬並みの感動体に仕立て上げるところです。
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2012/11/22 21:59
この時期義経が二人いたのは、有名な話ですね。
じゃあ、海を渡ってチンギス・ハーンになったのはどちらか……なーんて(笑)
義経周りは、語り尽くされている感はあるものの、やっぱり面白いですね。
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2012/11/22 01:22
吉乃様へ…得意分野で興味のあることを調べるのって全然苦にならないんですよ。家にも多少は資料ありますし、最近はネットとかでも検索でくわしいじょうほうをゲットできるようになりましたから…

そして、資料の発掘で死んでたと思われてた大物人物が実は生きていたってことが判ったってこと結構あるんですよ。なので資料次第では真田幸村や源義経の生存説が裏付けられるかもしれませんね。(笑)
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2012/11/22 00:11
へえ~
同姓同名の人がいたとわね~
知らなかったわ
何時もながらよく調べてあって感心するわね^^
でも、こういう資料からもしかしたら生きてたのかも、なんていう勘違いが起きたりするのかもね^^
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2012/11/21 23:29
蘭丸様へ…コメントありがとうございます。山本義経…考えていた以上に浸透してるんですね。
歴史の○○説って突拍子もないものもたくさんあるんですが、それ故に創作作品幅が広がるし、その説が実は事実だったことが分かったりすることもあるので、面白いですよね!!
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2012/11/21 23:13
義経二人説
漫画”遮那王義経”で読んでますよw

歴史の〇〇説は
嘘か本当かは置いといて
考え方によって180度違う思想になるので面白いですw
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2012/11/21 22:25
なぎさ様へ…弁慶の泣き所についてのネタは、漫画「ギャグ漫画日和」にあったネタでずっと気になってたんですよ。
山本義経も義経を題材にした漫画(山崎拓「ますらお」)で取り上げられていたので気になって調べて観たらこんな感じでした。二人の義経に接点があったこと自体驚きです。
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2012/11/21 22:11
最後はなんだったんだ~ww
ややこしくて少し考えてしまったよ(`・ω・´)

本当(山本)義経という人物がいたんですね!
初めて知りました。
つくしさまと話しているとどんどん利口になれる気がします!
お手軽ななぎさww




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