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つくしのつれづれノート


日本海軍最初の海戦

今日は明治時代の対外戦争である日清戦争が勃発した日になります。

1894年(明治27年)に当時の李氏朝鮮で始まった内戦・甲午農民戦争(東学党の乱)の際に当時の日本と清国が大量の軍隊を派兵したのをきっかけに起こったということは、学校の歴史の授業でも必ず触れる事件なので誰もがご存知のことだと思いますが、その最初の戦闘が行われたのが今から119年前の1894年7月の今日になるわけです。

その内容は日本海軍と清国北洋艦隊の小艦隊同士が朝鮮南部の沖合で激突した豊島沖海戦と呼ばれるものでして、日本海軍は始って以来初めて経験した海戦になります。
最新鋭の蒸気エンジンの甲鉄軍艦同士の初の本格激突ということでこの約2カ月後に起こる大海戦・黄海海戦同様世界中から注目されていたようです。

その豊島沖海戦の始まりは日本海軍の巡洋艦3隻からなる小艦隊が(第一遊撃隊 吉野・秋津洲・浪速)が友軍軍艦と合流するために船を進めていたところへ清国の軍艦2隻と遭遇し大砲の撃ち合いになったということです。
どっちが先に撃ったかは今でも論争になっているのですが、当時実質的な戦争状態であったものの正式な宣戦布告がまだだったということもあって日本側が礼砲を撃ったところそれに驚いた清国がわが実弾砲撃を始めたという説があります。
いずれにせよ撃ち合いの末清国軍艦の2隻がそれぞれ座礁(自爆)・逃走という結果になります。

その逃走を図った清国軍艦を追撃中にさらに清国軍の軍艦と輸送船がやってきた為日本海軍の小艦隊は3手に分かれてそれぞれ拿捕にかかり、1隻逃走・1隻拿捕することになるのですが、残りの輸送船の拿捕を巡って日本全体を震え上がらせる程のとんでもない事件が起こってしまったのです。
輸送船の名称にちなんで高陞号事件と呼ばれています。

事件の内容は輸送船高陞号を巡洋艦浪速が拿捕しようとしたところ、高陞号で輸送されてた清国将兵1500人が抵抗し始めたため巡洋艦浪速が砲撃で撃沈したというものです。
何が問題だったかというと
実は撃沈された高陞号は清国政府によってチャーターされたイギリス船ということであり、
(どうも拿捕にかかった時イギリス人の船長以下船員を人質に取ったということらしい。船長たちが撃沈後浪速により救出された。)当時の超大国イギリスに戦争を仕掛けられるんじゃないかと大変な騒ぎになったようです。特に当時の総理大臣・伊藤博文が真っ青になったといいます。

結果としては当初イギリスは激怒したものの国際法上合法だったということが判って事なきを得るうえに、大量の兵員を輸送したことが世界に知れ渡って清国=侵略者という悪いイメージを持たせることになったそうです。自分から見ればどっちもどっちなんですが…

この高陞号を撃沈した浪速の艦長こうなることを熟知して撃沈目入れを下した切れ者ということになるわけですが、
この艦長こそ後の日露戦争でバルチック艦隊を壊滅させる連合艦隊司令長官・東郷平八郎だったりします。

要するにルールに則ったこの適切な判断力を買われ世界史上の名提督の道を歩み出すことになったようです。
以上!!





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