Nicotto Town


つくしのつれづれノート


いなり、こんこん、出雲大社。

今週の「いなり、こんこん、恋いろは。」は主人公いなりと兄燈火がうか様のお見合いをぶち壊しに出雲へ赴く出雲編。
出雲大社を舞台にいなりが織りなすお見合いのドタバタ騒動、そのはざまで揺れ動くうかと燈火のメロドラマが展開された回でした。
まあ個人的な感想を申してしまえばアニメの話数上の問題からか大分原作を割愛した唐突なストーリー展開になってしまったので今一つだったのですけどね。





アニメの内容についてはとにかく今回注目したのは今回舞台になった出雲大社
縁結びで有名なパワースポットして有名なこの神社は、昨年本殿の改修が完了しばかりと旬な話題でますます注目が集まっている場所なのですが、その歴史は大変古く詳しい創建年代は定かではないものの、
確実に古墳時代までさかのぼることができる日本最古級の神社であるのは間違いありません。(へたすりゃ弥生時代ってこともあるだろうか…)

「古事記」などに納められた「国譲り」の神話によると出雲大社は元々出雲を治めてい神様・大国主が高天原の天津神に国を譲るかわりに
「太く長い柱を使った天まで届く自分を祭る神社を作れ」
という条件を出したことから誕生したといわれています。

まあ上記はあくまで神話なのでそれをそのまま受け入れることはできませんが、
古代ヤマトがイズモを征服した際に滅ぼしたイズモ勢力の怨霊鎮魂の目的で出雲大社を作った…
っていうのが国譲り神話の真相かなあ…っていう深読みもできますよね。
(大体怨霊鎮魂の目的で神社を建立ケースが多いわけで…例えば菅原道真の北野天満宮とか)


まあ、神話の解釈についてはここまでにして…


本題はその創建当初の出雲大社の本殿の実像について。
古代本殿はなんと96mの高さを誇っていたらしいです。
エジプトの大ピラミッド(146,6m)とはいかないまでも、当時の世界七不思議に数えてもいいんじゃないかと思われる高さです。
100m越えのセコイアの木などなく、しかも大した技術のない古代の日本に言ったどうしたらこんなバカ高いシロモノが存在できるのか、私ミカサとしてはとても信じられません。
(一説には当初山の上に大社建てたから高さ96mっていう解釈もあります。)

…がつい最近の2000年、出雲大社に地下施設を作ろうとして発掘調査を行ったところ地中から殿社を支える巨大な柱が発掘されたのです。(太さ1,4mの巨木を三本束ねたもの。)もしや古代大社の本殿では…と当時注目されたのです。

残念ながらこれは鎌倉時代に建てられた本殿の柱だということが判り、今もなお100m近い古代大社の実在は確定してません。

…が、しかし
この鎌倉時代の本殿の高さも実は48mもあったということです。
これは江戸城の天守閣(石垣抜き)同じ高さです。(50mのゴジラとほぼ同じ高さ。)
高さが古代大社の半分だとしてもやっぱビックリ仰天です。(とはいいながらも平安時代には100m近い五重塔の類の仏塔が建築されていた。)
しかしこの48m級の大社も何度も台風などの天災で倒れては再建を繰り返した為、ついに今の状態まで低くなってしまったということです。

…となると100m近い古代大社も当初はオーバーテクノロジーだけどもあえて建てて、倒れては再建を繰り返すうちに、めんどくさくなって48mに低くなったのかなあと邪推してしまいます。
いずれにしろ当時の巨大な大社が見られないのは残念です。



…で去年出雲大社の改修がめでたく完了したわけですが、もしこれが改修ではなく春日大社のような遷宮の建て替えであるなら、
一度は100m近い古代大社を再現してもらいたいものです。













もはやアニメそっちのけで神社説明してますが、「いなり、こんこん、」にかこつけて確信犯的にこの記事を書きました。
ホントはレジャー旅行ジャンルで書きたいところですが、何せ私ミカサは出雲へ行ったことないわけで…
もし出雲旅行へ行くなら、出雲大社の他に戦国大名・尼子経久(毛利元就・宇喜多直家に並ぶ中国三大謀将の一人。謀聖の異名を持つ智将。)の居城だった月山富田城へ行きたいです。

アバター
2014/03/10 12:24
saki様へ…古代ヤマトのイズモ征服説は昔からよく言われてるほど有名な学説ですよね。
他にもこれ以上の独自発展が望めなかった為に古代ヤマトの傘下に下ったという説もあり、そのイズモの支配勢力がが大化の改新で有名な蘇我氏だったのではないかという話もあるそうです。
蘇我氏は大陸との外交・交易に長けていた一族といわれ、その蘇我氏の本来の拠点が日本海に面した出雲だったとしたら大和に居を構えて大陸へ通じるノウハウを持っていたのも納得がいきます。
そういう意味で国譲り神話の実像については大変興味深いものがありますね。
アバター
2014/03/09 23:30
こんばんは。
〈古代ヤマトがイズモを征服した際に滅ぼしたイズモ勢力の怨霊鎮魂の目的で出雲大社を作った…〉
という説は結構考えられているみたいですよ。
出雲の土着の神様を祀ることで、懐柔する策だったと言う説もありますね。
私も出雲は行っていないので一度行きたいと思っています。
アバター
2014/03/09 20:32
あくん 様へ…主人公の一人であるお稲荷さんことうか様(ウカノミタマ)のピュア恋模様がドつぼにハマってることもあるのですが(CVの桑島法子さんスゴイ!!)、
舞台になっている伏見大社の絵がものすごく綺麗で見てて飽きません。
夏祭りの本宮祭で千本鳥居にズラッと提灯がつるされる光景は息をのみましたよ。
一度本宮祭の稲荷伏見大社の光景をこの目で見てみたいものです。
アバター
2014/03/09 20:20
京都なんで、伏見稲荷はたまにふらぁ〜と行きます。
夏日の夕暮れの伏見稲荷の雰囲気が好きですね、個人的に。

しかしそんなアニメやっているのですか、まったく知りませんでした。
また見てみようかと思いました。

それはそうとポブラみつかりましたか!よかったよかったw

アバター
2014/03/09 18:46
大潮様へ…2,30m級の楼閣風建築物自体は弥生時代(へたすりゃ縄文時代にも)にあったみたいなので出雲大社のような高層建築も不思議じゃないとも言えますが、それにしても100m級は腰を抜かしますね。
現代人は歴史上過去に比べて最も進歩した賢い人間だと偉ぶってますが、恐らく現代技術に匹敵・凌駕するオーパーツ的な失われた技術が沢山あったのですね。
(ローマ時代の未だに劣化しないローマ式コンクリートなんかは今のコンクリは比較にならないくらいスゴイですから…)
アバター
2014/03/09 06:30
鎌倉期おそるべし技術力ですね。
出雲大社の柱の遺跡番組見ました。太古から長い樹木を3本束ねる技術や柱の下の土台造りは今に残っていない高等技術だとか。頭を殴られたような驚きでした。行田市で発見された金文字入り刀剣の復元では、古事記以前に文字があったことや現在では見られない技術があったと証明されました。文字とか技術とかは質が変わって伝えられていくものなんですね。
100メートルを超える樹木があってもなくても、きっと3本立ての上に2本立て、2本立ての上に一本建ての技術もあっただろうと考えるとイメージサイエンスとしてもおもしろいですねえ
アバター
2014/03/09 00:49
家主(≡▽≡)Z 様へ…幕末期の街道の写真なんかを見ると30メートルを超すような樹木が普通に林立してる状態だったんですよね。箱根だか日光に残る高い杉並木の道なんか当時は当たり前の状態だったわけだったから。
それをさかのぼること1000年以上前の古代は文化レベルも低いだろうし集落の数だって圧倒的に少なかっただろうから、セコイ後はいは無くてもそれなりの巨木を組み合わせて100m級の古代大社を作ることはできたのかもしれませんね。
そんなランドマークタワーはしょっちゅう落雷で焼失したり台風で倒れたりすることも当然のあったでしょう。(江戸当時の天守喪失原因もやっぱこれなわけで…)
でも今の森の状況を見れば当時の建物復元はさすがに無理でしょうね。(せめて鎌倉期の48m級大社くらいは頑張ってほしいところですがwww)
アバター
2014/03/09 00:36
桜井裕也様へ…なるほど猫の頭に神社のの屋根が載ってますね。
何故黄色なのかはサイト見ても不明ですが
なんとなくピカチュウにあやかろうとしてあのデザインなのではと勘繰りたくなるデザインですね。
ゆるキャラとしては完成度高いと思いますね。
でも非公認のフナっしーの荒稼ぎを見るとゆるキャラブームもそろそろ限界かもしれませんね。
アバター
2014/03/09 00:25
蘭丸様へ…いえ、通常は伏見稲荷大社が舞台になってるんですが今週の回のみ例外的に出雲大社が舞台だったのですよ。なんでも出雲でお稲荷さんことうか様のお見合いをするという話だったので…

尼子経久の月山富田城については大河ドラマ「毛利元就」の影響ですね。あのドラマにハマらなければ尼子はおろか毛利元就さえも今全く知らないはずですからwww
大河の「元就」凄く面白かったこともあって、月山富田城の代わりに築城した松江城よりも愛着がありますね(^-^)
(なにせあのドラマで月山富田城を巡る見せ場がやたら多かったわけですからwww)
アバター
2014/03/09 00:01
現代では良質の巨大な木材を探すのに難儀しているので、再建は無理かもしれませんが、当時、ほかに材木を使う需要もなかった時代ならば、原材料の調達は今より容易だったのではないでしょうか。

大昔、何もないところにイキナリ100m級の建物が建ったとして、落雷には格好の的だったことでしょうw
材料の強度に物を言わせていた建築から、何度も再建を繰り返す中で、倒れないための建築へと進化していったのが神社の独特の建築様式かもしれませんね^^

樹齢千年超えの大木もどんどん使ってしまって現存しないものの、当時はすごい大木が産出する地域があったのかも・・・。
アバター
2014/03/08 23:47
出雲というと、京都に旅行したときに、ゆるキャラのしまねっこに会いました。
出雲大社のモチーフを頭にかぶった猫。しかし、何で黄色なんだろう。
アバター
2014/03/08 23:31
いなりこんこんだから
京都伏見をイメージしてたのですが
まさか島根出雲が舞台でしたか!!
なんかしてやられた!!という気分です(笑)

毛利ではなく尼子の城に興味をもっているなんて
みかささんもマニアックですね!!




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.