Nicotto Town


つくしのつれづれノート


ゴンゴロー神社

只今放送されている「続・最後から二番目の恋」の影響で舞台になってる鎌倉に聖地巡礼にやってくる観光客がめっちゃ目立つようになったわけですが、
このブログのタイトルになっている権五郎神社こと御霊神社もその一つ。
神社の入り口の目の前が江ノ電の踏切になってるところを中井貴一の和平と小泉今日子の千明が出勤の通り道にしてるらしくよくテレビに出てきます。

山を背にし結構住宅地に埋もれたそう大きくない神社なのですが、
実は鶴岡八幡宮と同等もしくはそれ以上の歴史をもつ古い神社だったりします。


まつられている祭神は
鎌倉景政という武将であり
なんでも御霊神社のある場所に景政の屋敷があったのだそうです。
通称・権五郎と呼ばれている為正式には御霊神社と呼ばれている名称に掛けてゴンゴロー神社と呼ばれています。

この鎌倉景政は鎌倉をはじめとする湘南地域一帯を開拓した鎌倉幕府成立より100年以上前の平安時代後期の武士であり、武士の時代を通じて武士の鏡と尊敬された人物だそうです。
その景政が一躍尊敬を集めるようになったのが、平泉の奥州藤原氏を勃興させることになった後三年の役でのこと。(前九年・後三年の役のことです)
源義家(鎌倉幕府の将軍源頼朝の先祖)の軍に従軍した影政は合戦中に敵の矢が左目に刺さり名がも相手を倒して矢が刺さったまま戻ってきた本陣で、刺さった矢を抜こうとして景政の顔を踏みつけようとした仲間に対して
「武士であれば矢が刺さり死ぬのは本望だが、土足で顔を踏まれるのは恥辱だ!」
と斬りかかるほどに激怒したという逸話が武士の鑑として尊敬されたそうです。

その為、御霊神社には志の成就(学業成就、必勝招来)の他に眼病平癒にも効験があるとされるらしいです。


鎌倉景政が開拓した湘南一帯の広大な領地は大場御厨と呼ばれ、景政の一族は大庭・梶原・村岡・長尾の各有力分家を輩出する鎌倉党という元神奈川県の相模国内でも最強クラスの勢力の武士団を築き上げていました。
源平合戦の頃には源頼朝の側近になった梶原景時や頼朝と敵対した大庭景親などを輩出しています。
具体的に言ってしまうと、源平合戦で旗揚げした源頼朝の軍勢300を石橋山の合戦で3000の兵で敗走させたのが鎌倉党だったようです。
しかし保元・平治も含む源平合戦で源平双方の大勢力に翻弄されそれぞれ敵味方に分かれながら空中分解していき、鎌倉時代の前期には生き残った鎌倉党の面々も北条氏が台頭していく御家人同士の抗争に巻き込まれて鎌倉党という武士団は消滅してしまいます。



しかしながら鎌倉党ゆかりの面々はそれぞれ血脈を後世に伝え各時代に有名な武将を輩出していきます。
その中で最たる人物が
上杉謙信(長尾景虎)だったりします。

上杉謙信の実家の長尾家は上記の御家人抗争でほぼ全滅した長尾家の生き残りが皇族将軍と共にやってきた公家出身の武家・上杉家の家臣となり、上杉家が鎌倉幕府滅亡後の台頭していった足利尊氏と縁戚だったことから(尊氏の母清子が上杉家出身)上杉家と共に繁栄し、室町幕府後期~戦国前期には関東管領として東日本に君臨していた主君・上杉家の元で関東越後一帯に大繁栄していくことになります。
謙信はその中から生まれ、戦国最強の武将として主君の上杉家の名跡を継ぐことになります。


まあ、何もこんな戦国武将を輩出したのは鎌倉党だけじゃないんですけど、広島の毛利をはじめとする鎌倉にゆかりのある御家人が後の時代に台頭していくのを見るとすごく面白く感じます。



兎にも角にも御霊神社のある鎌倉極楽寺近辺は冒頭の通り「続・最後から二番目の恋」の舞台であり今の時期ならもしかすると、ドラマロケに出くわして中井貴一や小泉今日子・坂口憲次に出会えるかもしれませんよ(^-^)






ちなみに今年の大河「軍師官兵衛」に登場する
先輩軍師・竹中半兵衛も鎌倉党から排出した武士なのだそうです。





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