Nicotto Town


つくしのつれづれノート


ついに登場、真田丸‼

大河ドラマ「真田丸」を前々回までさかのぼってぶちまけます。
大阪城に入城した真田幸村一行は後藤又兵衛・明石掃部・毛利勝永・長曾我部守親とともに大阪五人衆として主力武将となるわけですが
軍議の際にひと悶着の末五人衆全員が同意した幸村提案の
東西を分断したうえで大阪城を出陣し攻勢に出る作戦
を秀頼が裁可したのにもかかわらず織田有楽と大蔵局などの佞臣と母である淀が握りつぶして無理やり大阪城籠城策とされてしまいました。




真田幸村の敵は大体徳川家康が宿命の敵として描かれるのが常なんですが、
この三谷脚本の「真田丸」は敵は徳川家康ではなく大坂方の身内にいるということを際立たせて描いているところがとても面白いですね。
それまでの大阪の役を描いた大河でも幸村に代表される急進派の浪人衆と大野治長などの大坂方の譜代衆との確執が描かれているんですが(「葵徳川三代」(00年)では籠城策に反対する幸村たちに対し治長が「大阪城は太閤殿下のお心なるぞ!」と旧日本軍を彷彿とさせる精神論で制したのに激怒したのを覚えています。)、
今回は幸村たち浪人衆や大野治長も含めた実際に全線で戦う人間と、
銃後で秀頼の傍にはべって陰謀をめぐらす佞臣共との確執がこれまで以上に際立っており、
これが準大河として名高い「真田太平記」(85年これは幸村の兄・真田信之が主人公)に並び称される真田もの決定版になったら面白そうですね。
私ミカサは「真田丸」のラスボスは家康ではなく淀だと思っております。
己のわがままで豊臣をはじめとする大阪方を滅亡に追い込む淀に対し幸村はどう武将としての意地を押し通していくのか今後の見どころだと思っています。




…さて結局は淀たちに握りつぶされてしまった東西分断の攻勢作戦でしたがこれをもし大阪方が実行に移した場合どうなったでしょうか…?
徳川方と大坂方の兵力には圧倒的な差があるためどうやっても勝ち目がなく、幸村プランも一見無謀な作戦に見えるのですが、
実は過去に幸村と同じプランで劣勢を覆して天下を取ってしまった人物が存在するんです。
それが室町幕府を開いた初代将軍・足利尊氏
足利尊氏は建武の新政から離反して反旗を翻すのですが後醍醐帝に率いられた楠木正成と新田義貞軍に敗れ天皇に弓引いた逆賊として京都から九州に落ち延びます。
その際に尊氏側の武将である赤松円心が
播磨に日本海側から瀬戸内海側まで三重の防衛ラインを作って東西を分断して後醍醐側の軍勢を食い止め、
その間に足利尊氏は九州で味方を募って体勢を立て直して再び東上、結果的に1336年の湊川の合戦で楠木正成と新田義貞を破って、ここから室町幕府につながっていくわけです。
幸村のプランも東西を分断して戦を長引かせているうちに味方を増やしていく尊氏がとった方法と基本的には同じであり、
この逸話は軍記物語「太平記」として多くの武士たちに読み継がれているため、実際に幸村プランを誰が考案したかは知りませんが、もしかしたら幸村たち浪人衆の中にも湊川の合戦の再来を狙っていた人間がいたかもしれません。
これをもし実行に移した場合戦乱は実際の大阪の役以上に大規模なものになり徳川方は平定するのに大変苦労したことだろうと思います。
可能性は低いですがもしかしたら本当に逆転するチャンスもあったかもしれません。




まあ結局は握りつぶされてしまった作戦なのでしようがないのですが、籠城作戦で勝つための唯一の手段として登場したのが
ドラマタイトルにもなっている真田丸であります。
この真田丸でさえも淀たち佞臣によって握りつぶされそうになりますが、秀頼のとりなしによって何とか完成にこぎつけます。
そしてドラマラストについにベールを脱いだ真田丸の雄姿‼
いや~、金がかかってますねえwww
実際これまで小田原征伐や関ケ原戦役の第二次上田合戦など派手な合戦シーンになりそうな場面が多々あったのにも関わらず、低予算な映像ですごい残念に思ったものですが、
全てはクライマックスの為だけに予算をため込んでいたんですねえ…
まさに大河ドラマにおける一点豪華主義‼
後はドラマで魅せる!いいですねえ‼

これまで決して城持ち大名にはなれない次男坊の幸村が手にした夢の城「真田丸」の活躍は以下に!?
次回が待ち遠しいです‼

アバター
2016/11/10 13:32
こんにちは。

私も真田丸視てます^^

ちょっとクスッと笑えるところが好きです。
アバター
2016/11/10 00:06
とり合絵図様へ…結局南北朝時代というのは天皇が政治の実権を握って失敗したことで天皇に反旗を翻して室町幕府が成立するなど天皇家が深くかかわっているがゆえに未だに非常にデリケートにならざるを得ない上に、当時の社会システムの矛盾や激変による混乱から非常にカオスであり自分自身でさえも未だその全貌を把握しきれていないのです。
この時代は一言では語りつくせず、つまらない政治思想で歪めて解釈すればWWⅡの様に悲惨な結果になりかねないため、本当に客観的に見なければならない時代だと思います。(それゆえ南北朝時代は歴史好きにとって最もコアな時代だとも言えますが…)

ただどんな身分でも現実を顧みないで無茶苦茶やった人間は結果として周囲の恨みを買い悲惨な末路を迎えるといことだけはどの時代を通じて共通しており、それを絶対に忘れてはいけないということだけははっきりしています。
アバター
2016/11/09 23:19
>みかささん
武家と天皇とは。。。
根源的で危険な話かも?ですが。。つまり武家(実権)とそれを承認する天皇(象徴、カリスマ)
というのがモデルとして必要なのかもしれません。
民主主義も民衆とそれに承認された政党というモデルですし。
ネットのサイト間においても「ここのサイトはOKです」という承認を
毎度毎度やってる仕組みがあるようですし。

承認機関が「俺が支持だす」は仕組みとしてまずそうですね。
アバター
2016/11/09 22:22
とり合絵図様へ…後醍醐帝もカリスマがあったからこそ鎌倉幕府を倒して建武の新政を行うことができました。ただこの人の場合政治思想が自分を頂点に都合のいい政治を行うために公家や武家も含めた日本のシステムを根底から否定してしまうというあまりにも非現実的なものだったらしいです。(中国の宋の政治システムを日本に移植したかったらしいです。)日本史上これを実現できたのは明治維新のみといっても過言ではなく、織田信長の様に己実力でもって新時代を切り開いたわけでもないのにしかも都合が悪くなると有能な人物でさえも平然と切り捨ててしまう愚かさかを考えても自業自得としか言いようがないです。
それに比べると足利尊氏の「鎌倉幕府の再興」というマニュフェストは後醍醐帝に比べて圧倒的に現実的であり、しかも尊氏に関してはたとえ敵対したり裏切ったとしても自分の味方になってくれれば遺恨なく迎え入れてくれる懐の深さ(無頓着?)があったため、結構問題のある性格をしているんですが人徳の面では南北朝時代では間違いなくトップクラスだと思います。

それに比べると大阪の役の秀頼にそれだけのカリスマ性があったとは思えず、大阪の役を自ら率いてもどうなるかわからない状態にもかかわらず、ついに出馬しなかったのは致命的というほかなく、秀頼囲い込んだ取り巻きは豊臣家を犬死させた戦犯として腹立たしさを感じます。(実際はどうだったかわかりませんが…)
もし豊臣家が確実に家康を倒すのであれば関ヶ原時点で秀頼を大将にして出陣させるべきでしたね。なにせ家康率いる東軍の大半も福島正紀・黒田長政他豊臣恩顧の大名ばかりですから…
ちゃんと大人になってからでも出陣させなかったのはもう武士として失格というほかありません。(秀頼よりもその取り巻きである淀や佞臣たちがですが…)
アバター
2016/11/09 22:07
>みかささん
>足利尊氏と弟足利直義は大変仲のいい兄弟だったのですがこの内乱で対立せざるを得なくなり

配役も尊氏が真田広之で直義が高嶋政伸という。
上手くハマってましたね。なるべく人を活かしたい感じの兄とと実利堅実のキャラの弟という。

本当にどちらも正しいと思っているゆえの果ての悲劇ですね。
アバター
2016/11/09 21:53
>みかささん
>足利尊氏については「武家のための(鎌倉)幕府を再興する」という

後醍醐天皇も大河を見るとカリスマ性はあったようですね。(演出?)でも
武家の時代と朝廷の時代を測りにかければ昔にはやはり戻れませんよね。
武家は自分の土地は自分の土地ですしね。

豊臣家が延命してもどこまで持つか分からないなら
延命を第一としその次は保留としつつ
義もあるけれども、何か天下回天の策が彼にあったという
発想は胸躍るようですね。
アバター
2016/11/09 21:03
とり合絵図様へ…大阪の役の真田プランと足利尊氏の湊川勝利ルートは基本同じ作戦なんですがこの作戦の成功の決め手は戦乱の指導者にどれだけ魅力があるかにかかっています。
足利尊氏については「武家のための(鎌倉)幕府を再興する」という当時最も現実的だった魅力的なマニュフェストを掲げていたからこそ逆賊の汚名を着せられ敗走する絶体絶命の状態になっていても多くの味方が馳せ参じてくれたのですが、
大阪の役についてはやりたい放題下末に自ら天下を無しにした秀吉の遺児・豊臣秀頼に未、来を託せるほどの魅力があるのかかなり怪しいところがあり、自ら先頭に立ってを戦を有利に進めない限り食い詰めた牢人以外の味方が馳せ参じると到底思えないため成功率は湊川よりも低いリスクの高い作戦だと思われますから、真田プランは滅亡の瀬戸際にある豊臣家の活路を見出す唯一の手段だったように思います。
結局それを現実を見ていない中枢の輩が一蹴してしまったわけですから、大阪の役は戦う前から負けていたも同然に感じます。

とり合絵図様の兄弟げんかは室町幕府最初期の内乱である「観応の擾乱」。
これは鎌倉以来の保守派武士と南北朝動乱で台頭した悪党やバサラなどの新興武士の対立が幕府を二つに割って全国規模内戦に発展しあもので、この内乱によって劣勢だった南朝が室町幕府の失脚者のよりどころになってしまい20年ちょっとで終わりそうだった南北朝動乱が50年以上続く結果となってしまいます。
この内乱は社会システムの未熟さが起こした必然的な内乱でもあり、しかも観応の擾乱が終わっても根本的な問題は解決せず最終的に社会システム完成するのは皮肉にも「真田丸」で描かれる安土桃山・江戸時代になってからなんです。

足利尊氏と弟足利直義は大変仲のいい兄弟だったのですがこの内乱で対立せざるを得なくなり、結果として尊氏が泣く泣く弟直義を殺してしまうこととなります。弟を殺したショックで尊氏も一時危篤状態になり回復したもののこの数年後に亡くなり、観応の擾乱で命を縮めてしまったように感じます。
私ミカサは大河ドラマ「太平記」の大ファンであるため、この観応の擾乱の一部始終を今でもDVDで繰り返してみており、尊氏が弟を泣く泣く殺すシーンは大河史上の名場面として涙腺崩壊ものです。
アバター
2016/11/09 20:14
歴史的な事変などについて、いろいろ類似点を考察したり
探したりするのは何か新発見や法則が発見できそうですね。
足利幕府と真田ですか。う~む俊逸なご指摘。
確かに太平記は武家なら誰でも知っていて不思議でないですものね。

足利尊氏の話は幕府を開くまでも興味深いですが、
その途中?後でしたか?の兄弟喧嘩?がメチャメチャで酷い。
やさしいのも問題か。。。歴史は色々考えさせられます。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.