Nicotto Town


つくしのつれづれノート


原付関東一周でのお城攻略


この間の原付関東一周の最大目的は100名城のスタンプラリー

日本100名城の関東方面の城を数回に分けて攻略しようという関東補完計画の一環なわけですが、今回は全部で10ある攻略対象のうち5城の攻略に成功しました。
(なお関東の100以上はすでに全攻略済みであり今回は二周目になります。今回行かなかった5城のうちの小田原城は2週間前の三島の新海誠展へのツーリングのついでに攻略済み。)



以下が今回攻略した各諸城

佐倉城(千葉県佐倉市)…江戸初期に徳川家康の命で戦国時代の作りかけの城を譜代大名の城として完成させたもので、7石垣が一切皆無の土の城。
明治以降陸軍の連隊が駐屯していた関係で城の建造物は門一つを除いてすべて撤去されたものの、現在その佐倉城址の一部が現在国立歴史民俗博物館(歴史博物館としては上野よりも面白く、一日中いても飽きない!)となっているため私ミカサのお気に入りの城❤(いや城より歴博かwww)
今回の旅では攻略対象ではなかったんですが旅の最中にルート上にあることに今更気付いて急きょ攻略してしまいました。(時間上歴博はいけなかったけど…)
城は陥落させたけど歴博はまた何度でも行くぞ☆


水戸城(茨木県水戸市)…水戸黄門(徳川光圀)や烈公(徳川斉昭)や徳川慶喜(最後の将軍)を輩出した御三家・水戸徳川家の居城。
上記の佐倉城同様石垣の一切ない土の城であり他の御三家の名古屋城・和歌山城に比べると城門一つと三の丸の有名な藩校・弘道館の一部が現存するのみの(しかも弘道館は水戸城の一部とみなされていないみたいで(T_T))マイナーなイメージだが、WWⅡの戦災で焼失するまで天守に相当する御三階櫓が現存していました。
現在弘道館向かいの大手門を復元中なのだが、
城門より先に天守閣(御三階櫓)を復元できないのがもどかしい!
WWⅡの戦災消失の為資料が豊富なのだが御三階櫓の敷地が現在学校な為容易に再建できないのだそうだ…
ちなみにWWⅡの戦災で焼失した天守閣(相当も含む)の内再建されていないのは水戸城だけなんです…(T_T)


足利氏館(栃木県足利市)…室町幕府を築き上げた足利将軍家が初代源義康以来平安鎌倉期に本拠としていた館跡。現在鑁阿寺というお寺になってますが、敷地四方を囲む土塁と水堀は平安鎌倉期の武家居館の面影を色濃く残す大変貴重な城郭遺構なんだそうです。
なお上記の通り足利市は当時足利荘と呼ばれた足利室町将軍家発祥の地であり鑁阿寺たる足利氏館跡は足利本家の館なわけですが、鎌倉時代には幕府の最有力御家人として歴代当主は鎌倉に在住していることが多く、
室町幕府初代将軍・足利尊氏生誕の地が足利である可能性は限りなくゼロらしいです。
(尊氏の出身地は母親の実家上杉家(上杉謙信のあの上杉)の当時の本拠地である京都が最有力だとのこと)


新田金山城(群馬県太田氏)…上記の足利家の血縁にしてライバルだった新田氏ゆかりの山城であり(血縁上足利氏は新田氏の分家と言える)場所は足利市(足利氏本拠の足利荘)の隣の太田市(新田氏本拠の新田荘)にあります。
とはいっても金山城を築城したのは尊氏のライバル・新田義貞の可能性は低く、実際には南北朝時代以降新田家として存続が許された岩松氏によるものらしい。
現在の金山城の遺構は戦国時代の関東の覇者・北条氏によるものであり、巨大で峻険な山頂に石垣をめぐらせた非常に協力な山城だったことがわかります。(上杉謙信の攻撃も跳ね返した関東七名城に数えられる)
私ミカサは10年前の自転車旅行の際にこの金山城を麓から徒歩による登山で攻略し、
これまでの生涯の中で最も地獄を味わった城として未だにトラウマになっていますwww
今回は原付ということで舗装された山道を使って山頂近くの駐車場まで肉薄してから攻略することができました。(この山道の坂が非常にきついため前回自転車でのを断念したのだ。ちなみにこの山道ロードバイク乗りのヒルクライムのコースとして使われているみたいです)


・川越城…小江戸として名高い川越のお城。城の縄張の面影はほとんどないものの一部ながら本丸御殿が現存する貴重な城として有名。(本丸御殿が現存は川越城と高知城に二城のみなんです)
室町時代に江戸城生みの親として名高い名将・太田道灌によって築城され、戦国時代には小田原北条氏の武蔵平定のカギとして関東管領・上杉氏ら関東の在来勢力との激しい争奪戦が十数年にわたり繰り広げられました。
その争奪戦に決着を付け北条氏の関東の覇権を確立したのが織田信長の桶狭間合戦(1560年)毛利元就の厳島合戦(1555年)と共に戦国の三大奇襲に数えられる1546年の川越夜戦です。
川越夜戦は北条氏三代・氏綱が隣国の今川義元と合戦の最中に関東管領・上杉憲政率いる8万の軍勢によって川越城を攻めらこまれたことに始まり、川越城は北条一族である北条綱成ら3千の兵が半年間籠城してしのぎます。その間に北条氏康は武田信玄の仲介によって今川義元と和睦し(これが後に三国同盟に発展)、8千の兵を率いて救援に駆けつけます。
それでも8万対合計1万1千で多勢に無勢。
しかし上杉方は長期戦で士気が緩み切っており、その隙をついて氏康本隊と綱成の川越城守備隊が挟み撃ちに夜襲を仕掛けたことで形勢逆転して上杉軍は壊滅することになります。(上杉憲政は越後に逃げて養子としてその跡を継いだ上杉謙信がその後何度も北条を脅かすことになります。)
…そんな戦国時代の大事件の舞台なのですが、現在は小江戸と呼ばれる蔵造りの旧市街の知名度の陰に隠れてだれも見向きもしないのが非常に泣けてきます。
川越以上の向かいの市立博物館の展示もほとんどが蔵造りのものであり、川越城自体がほぼ原形をとどめていないので蔵造りの旧市街のオマケみたいになっている感じ…
小江戸として名高い川越の蔵造の街並みは実際明治末期に作られたものなんですけどね…
とはいうものの今回川越城攻略後私ミカサもとある目的で旧市街も含む川越中心街の散策をしているため人のこと言えた義理ではないんですけどねwww
川越の散策については次回記事にします。




そんなこんなのお城攻略でしたが
本来今回の旅の締めとして攻略予定だった八王子城が川越の散策に時間を割き過ぎて到達はしたもののスタンプゲットに至りませんでした(T_T)
これについては川越~八王子間の新規ルート開拓のためのツーリングの過程で近日中に攻め落とす予定でいます。
このツーリングを8月に予定している北信州旅行の地ならしになればいいなと願ってやみません。


アバター
2017/07/21 00:43
とり合絵図様へ…足利尊氏は家の宿命で天下人になりましたが、一個人としてはコミケ作家になりたがりそうな人物な為(動乱の前はプロの歌詠みを目指しており、将軍として幕府を開いた後も勅撰和歌集を作成を主導したりと和歌に対する執心は終生変わらなかった。)、出生に関わらず元々政治を進んで志す人物ではなかったんじゃないかと思います。(この人一時代を築いた政治家として大動乱を長引かせる原因を作るほどに詰めが甘いんです。)

仙台城は伊達政宗が幕府から謀反を常に警戒されていたため天守閣は作れなかったんですが、城の隅に巨大な天守レベルの三重櫓がいくつも存在しそのうちの艮櫓を復元する計画があったのですが、石垣調査によって復元で悪影響を及ぼす要素がいくつも出てきたため中止になったそうです。
アバター
2017/07/19 11:09
尊氏のあの優柔不断というか優しさは、なるほど関東ではなく
京都生まれ?というのもあるのでしょうか。(適当理論)

水戸城再建ですか。奈良などは薬師寺なんかも、随分再建してますしね。
ついでにこの際、仙台の天守閣再興と言うのもどうでしょう。

でもそれを言ってしまうと、その前に東北全体の再建ですかね。う~む。
PS.検索したら仙台城は元から天守閣が無いそうで。。。無知でした。がび~~ん




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.