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つくしのつれづれノート


真田の城 原付旅行攻略諸城一覧

先月の原付旅行で攻略した東関東・北信州のお城の解説です。
旅行後すぐ記事しようとしたんですけど夏の疲労(遊びすぎw)で沈黙してしまいだいぶ遅れてしまいました。

今回の度で攻略した城は全8城(内100名城は6城)
実はそのすべての城が昨年の大河「真田丸」のメインである真田一族が関わった城なんですよね。
「真田丸」なんかで真田氏が信濃・上野方面に影響力を持っていたのは明白だったので大方予想してたのですが、この記事を書くにあたり確認したらきちんと足跡が出てきたのでさすがに笑ってしまいましたよ。
今回は攻略各諸城が各時代の真田家と関わるため、まずは真田氏の歴史から紐解きたいと思います。


真田氏の歴史
真田氏は信濃で大繁栄した滋野一族なのですがその草創期は未詳で、経歴が明らかになってくるのは真田幸村の祖父・真田幸隆からになります。
戦国時代、信濃小県真田郷の土豪に過ぎなかった幸隆は戦国大名である武田信虎と村上義清の侵攻により(海野平合戦)故郷を追われ、関東管領上杉氏(謙信以前)を頼って隣国上野に身を寄せますが、衰退の一途をたどる関東管領を見限って仇敵だった武田信虎の後継者・武田信玄に仕官(山本勘助の手引きがあったともいわれる)、信玄の信濃平定の流れに乗って村上義清から故郷・真田の奪還に成功します。
その後幸隆は土地勘の強さを武器に武田家の北信濃・上野の侵攻の先兵として転戦、幸隆の晩年の真田氏は幸隆をはじめその子息の主だった人物が武田家の中枢を担う最も重用された重臣一族となります。
長篠合戦で幸隆の長男次男の信綱・昌輝兄弟の戦死後真田家を率いる真田昌幸(幸隆3男)は武田家の滅亡・本能寺の変を経験後に勢力下の小県と北上野の自立の道を目指して上杉・徳川(第一次上田合戦)・北条(小田原征伐)を翻弄し、豊臣秀吉の元で大名の地位を確立します。
しかし秀吉死後の関ヶ原戦役で真田家は確実な生き残りを図るために昌幸・次男幸村と長男信之がそれぞれ東軍西軍に分裂。昌幸は徳川秀忠率いる徳川軍主力を第二次上田合戦で釘づけにして東軍本隊との合流の阻止しましたが関ヶ原本戦で西軍は敗北、昌幸・幸村は高野山麓の九度山に配流され昌幸はそこで死去。真田幸村は後に九度山を脱出し大阪の役の豊臣方としての活躍で「日本一の兵」として戦国最後の伝説となります。
しかし幸村の活躍の影響で昌幸から真田領(上田藩)を引き継いでいた真田信之は幕府の命で不毛な土地である松代(祖父幸隆が活躍した川中島合戦の舞台でもある。)に転封されてしまいます。以後真田家はお家騒動によって分裂した上野の真田沼田藩が悪政で改易されたものの、明治維新まで松代藩で大名としての命脈を全うします。



真田氏の歴史は大河ドラマ「風林火山」「真田丸」「真田太平記」を見るとわかりやすいです。
では今回の旅の攻略諸城は以下の如し。



日本100名城
1.鉢形城(埼玉県寄居市)…関東管領上杉氏から奪った北条の城であり、隣国の武田・上杉(謙信)の侵攻に備える国境最前線の堅城。小田原征伐の際に上杉景勝・前田利家・真田昌幸ら3万5千の軍勢に攻められ落城。北条氏滅亡と共に放置された結果、遺構の保存状態が極めて良好かつ文献資料も豊富な為戦国城郭のを知るための貴重な資料として注目を浴びている。

2.箕輪城(群馬県高崎市)…関東管領上杉氏の重臣長野氏の居城。関東管領上杉氏の没落後は上野における最重要拠点として武田・上杉(謙信)・北条の争奪戦となり、城主も長野氏から武田方・武田を滅ぼした織田方(滝川一益)・北条方と目まぐるしく変遷し、最終的に小田原征伐後関東に入府した徳川家康により重臣である井伊直政が12万石で入城するも間もなく拠点を高崎城に移したため廃城。
惣構を除けば後の井伊家の居城彦根城よりも大規模ではないかと思われる。
真田氏との関わりは故郷を追われた真田幸隆の身を寄せた先が箕輪城であり、後に武田軍が箕輪城を掌握した際には亡命時に築いた地盤を元手に幸隆が城代を務めている。もし真田昌幸が自立の末に勢力拡大を計ったら間違いなく箕輪城への進出を目指したと思う。

3.松代城(長野県長野市)…戦国時代の伝説となった川中島合戦の戦場ど真ん中に武田信玄が山本勘助に命じて築城した対上杉最前線の城「海津城」であり、武田流築城術の代表格。
武田滅亡後の城主の変遷と共に名前も「松代城」に変わり、真田信之の上田からの転封以降明治維新まで真田氏の府城となる。
明治維新後荒廃が進んだがこの30年で大幅に整備・復元が進み、周囲に真田御殿・武家屋敷・藩校などの城下町の名残が色濃く残る長野有数の歴史観光スポットとなっている。
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4.上田城(長野県上田市)…言わずと知れた真田昌幸の居城であり、徳川軍を二度も撃退した堅城として有名。この二度の上田合戦によって戦いの為の城というイメージを見せつけ、現代において日本の城の頂点に君臨する人気を誇っている。
現在の上田城は真田氏の松代転封後破却された城跡に改めて築城されたものであるため真田氏時代の名残はない。
ちなみにアニメ映画「サマーウォーズ」の舞台になる陣内家の屋敷は真田氏が村上義清から奪った砥石城跡に上田城の城門を組み合わせたものである。

5.松本城(長野県松本市)…元は戦国時代に信濃守護小笠原氏の本拠林城の支城に過ぎなかったが、武田信玄の掌握後から松本の拠点として成長。姫路城と双璧をなす現存する5重の天守閣の2つのうちの一つである。
しかしこの松本城は戦国から~江戸時代中盤まで改易や国替えを繰り返し、18世紀前半に幕府直轄領の末に譜代大名戸田氏の入府でようやく定着する。
真田家との関わりは戦国時代は武田の城であるため武田家臣として松本城へ出入りしてたと思われるが、はっきりしてるのは江戸中期の戸田氏入府以前の幕府直轄領時代の松本城の管理を真田氏松代藩が任されていたということ。

6.小諸城(長野県小諸市)…武田信玄が山本勘助に命じて築城したと伝えられる城の一つであり、盆地の最も低い場所に築かれた穴城という特異な構造をしている。
戦国・江戸と使用され城の跡の保存状況は良好だが、現在は小諸城よりも懐古園の名称で有名であり、島崎藤村や種田山頭火など多くの詩人・歌人の題材となった文学の聖地となっている。
真田との関連は武田の城としての関り以外に、第二次上田合戦時に徳川秀忠率いる徳川主力軍が小諸城を拠点に上田城の真田軍と対峙した。


番外
岩櫃城(群馬県吾妻群吾妻町)…沼田城(小田原征伐の発端になった城)と共に真田氏の北上野における拠点の一つ。
大河ドラマ「真田丸」OPに登場する山城がそれ。
水墨画に出てきそうな峻険な岩櫃山(中腹)に築城されたので鉄壁の守りを誇る。

荒戸城(長野県千曲市)…真田氏のライバルである村上義清の支城であり、村上氏没落後武田・上杉と勢力を変え本能寺の変数年後に廃城になったらしい。
なお廃城後、上杉景勝によって荒砥城の所領の一部が当時上杉氏の人質だった真田幸村に与えられたとのこと。
戦後の開発で城跡は破壊されたがその後戦国山城の雰囲気を再現した城址公園として整備。石垣がいい加減なもの本格的なものであり、荒砥城でロケを行った大河「風林火山」の海ノ口城攻城戦(武田信玄の初陣)の場面は大河ドラマにおける攻城戦場面の最高峰の完成度と迫力を誇る。


今回の旅で関東甲信の100名城再制覇まであと江戸城ひとつを残すのみとなりました。
再制覇まであと一歩です!

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2017/10/07 18:23
吉春様へ…鎌倉街道ですか…鎌倉街道の詳しい知識は知らないのですが鎌倉から川越まで北上する際には平塚から国道129号・16号を使って行き来するため使っていません。現在の道に換算して比較的攻略しやすい道を選んで走っています。
私ミカサも歴史好きではあるんですがこのお城めぐりについては趣味のツーリング旅行(自転車原付問わず)のメリハリをつけるためのスタンプラリーとしてやっており、
歴好きとしての行動としては着道楽やコスプレの一環で各歴史施設の着付け体験や大河ドラマのエキストラに参加して楽しんでることの方が多いです。(後者はだいぶ前の話になりますが…)
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2017/10/07 18:13
風輪様へ…100名城のスタンプ帳は実は自分は二つ持っているわけでして原付旅行使ってる奴は二冊目のスタンプ帳を使った再攻略のものなんですよね。
ちなみに最初のスタンプ帳は41城・二冊目は18城攻略しており最初のスタンプ帳は8割がた自転車旅行で攻略したものです。
まあ自分の場合はコンプリートよりもツーリング旅行のメリハリをつけるためのラリーとしてやっている感じです。
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2017/10/07 14:46
訪問をたどってやってまいりました。
原付の旅はもしかして、鎌倉街道の上道辺りを来られたのでしょうか。
お城跡、そこに立つと何かもの悲しい物語りが見えて来るほどの、
末期症状を抱える戦国ファンの私です。それでは
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2017/10/03 22:24
良いですねぇ(*´ー`)

私もスタンプ帳?をお城でいただいたりはしましたが、コンプリートしたくなってくると困る気もして、参加もせず、参加した方が楽しいのかしらとよく迷いますww

原付だと機動力もあって、時間も融通ききそうで良いですねw
鉄道だと中々連続城攻めがしにくいですw

新緑の季節の城も楽しみですね(*^-^*)
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2017/10/03 17:16
風輪様へ…100名城完全制覇ではなくそのうちの関東甲信地方のみの最制覇となります。
それでもGWから行った3つの500キロ以上の原付旅行で18城攻略し、過酷な旅でしたが大変楽しいものとなりました(^_^)
今年は残る江戸城でいったん締めくくりますが来年夏以降に予定してる鎌倉~徳島間原付横断計画で東海・紀伊半島の100名城を総なめにしたいと考えています。
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2017/10/03 11:28
素晴らしいラインナップと思って読み進みましたらあと一つで100名城制覇、江戸城を残されていたのですね、しかも再制覇( ゚д゚ )w
真田氏のお祭りの時の賑わいのお城も見てみたいし、静かな時にも見てみたいお城でございます^^
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2017/09/11 23:04
とり合絵図様へ…「風林火山」をはじめとする軍師山本勘助はフィクションの産物なのですが、そのモデルとされる実在の武田家臣・山本菅助が軍使として信濃国人相手に飛び回ってたといわれるため真田家との縁もあったのかもしれませんね。

さすがに今温泉の為だけに甲府までまで行きたくないですねえwww
甲府の信玄の産湯を浸かった温泉には以前入ったことありますよ(^_^)
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2017/09/11 22:24
マコト様へ…10年前に自転車旅行で長野の城を巡ってた時がちょうど大河ドラマ「風林火山」を放送してたためすごく印象に残っています。
個人的には甲府よりも長野の方が面白かったですね(苦笑)
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2017/09/11 22:21
さっちゃん様へ…実は10年前に自転車旅行で長野の各城をめぐってるんですよね。
当時の自転車旅行では関東甲信総距離1200キロを走ったんですが、8月行った今回の原付ツーリング(総距離800キロ)で当時自転車では走破した道を原付で走ってみて、
とても走破したのが信じられないくらいメチャクチャな旅行だったのを思い知らされました。
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2017/09/11 22:19
確かに「風林火山」の真田幸隆(佐々木蔵之介)が山本勘助とのからみも多いし
武田に仕官するまでの経緯が良く分かりますね。

疲労は信玄の湯に行って静養しましょう。(冗談です。また遠征になってしまいますし。。。)
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2017/09/11 22:13
西園寺リカコ様へ…残りの江戸城は11月あたりに何らかの展覧会や買い物のついでに攻め落とそうと思います(^_^)
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2017/09/11 21:16
上の6個は、行った事あります!
真田丸見ていたので、去年は、関連のお城いっぱい回りました^^
そして、今、CATVで風林火山を見てます(/-\)
久しぶりに、甲府に行きたくなってましw
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2017/09/10 23:59
原付で回るってすごいですね。
私も今年の冬、上田城は行きましたけど、車でした。。
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2017/09/10 23:50
再制覇ファイトです!




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