Nicotto Town


つくしのつれづれノート


一夜城攻略カッコカリ

先週の月曜に原付を駆って箱根湯本方面まで行って秀吉の石垣山一夜城へ行ってきました。

石垣山一夜城というのは続100名城に選定された秀吉の天下統一事業の集大成である小田原征伐において築いた秀吉の陣城。
陣城というのは戦地における本拠地として仮設した防御施設のこと。通常は砦と呼ばれるレベルの物らしいです。
石垣山一夜城は戦国北条氏の本拠小田原城から丸見えの距離3キロほどの山の上に秘密裏に作らせ、一斉に周辺の木を切り倒して北条側に一夜で城が出現したように見せかけ降伏させたという逸話で非常に有名な城です。
城跡の構造は大体こんな感じで
http://otakeya.in.coocan.jp/info01/isikgakiyamazu.jpg

建物を復元すると大体こんな感じ
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/57/aa276449e3a21dfff832b2957717fb7e.jpg

頭おかしいだろ!
その実態は東日本初の天守閣のある総石垣の城。(さすがにイラスト通りの五層天守があったとは信じがたいが…)
現地の説明や各専門書の記述によるとこの当時既に存在する大阪城や聚楽第に匹敵する規模の巨城ということであり、本来臨時の野戦築城である陣城のレベルをはるかに超えています。
しかも恐ろしいのはこの総石垣の巨城がわずか80日で完成したという事実。
あまりに大規模なため秘密裏にするのは無理があり、北条側の上層部も秀吉が目の前の山に密かに城を築いてることを薄々気付いてたんじゃないかと思うわけで(とはいえ実際にできたものは常識をはるかに超える代物だったわけで…)、
本当に一夜城として見せつけたのかどうか怪しいところです。
ただ秀吉という人間が高松城水攻め・大返し(中国大返しと賤ケ岳で二度実施)・醍醐の花見などの数々の合戦・イベントを空前絶後の規模で実行してるところからしても一夜城を作ろうという発想をしても不思議じゃないわけで…
恐らく城の要である総石垣が出来上がったところで周辺の木を切って見せつけたんだろうなと私ミカサは思います。(実際塀などは紙のハリボテだったという記録もあるので…)

私ミカサが腰を抜かしたのは一夜城の逸話よりも、この陣城に城下町を作り淀殿や利休などの大名の家族・要人を呼び寄せるという、
畿内中央の政府機能そのものを移転させたこと。
戦時における首都移転は戊辰戦争中の東京遷都や日清戦争時の広島城の大本営(国会をはじめとする政府機能を広島城に一時移転)など例があるのですが、その規模をはるかに超えています。
ハッキリ言ってクレイジーです。


ただこれだけの圧倒的な力を見せつけられても北条側は降伏を拒否したとのこと。
ここまで神経を逆なでにされてしまうと「城を枕に討ち死にする!」と却って意固地になったとも聞きます。
結局小田原征伐は黒田官兵衛の交渉による小田原城の降伏・開城で終結し、石垣山一夜城もその後すぐに廃城となったようで現状は関東大震災で残った石垣が崩壊した状態で今に至るそうです。
小田原征伐後秀吉は文禄慶長の役で朝鮮に攻め込む際に陣城として空襲にさらに巨大な名護屋城(こちらは100名城選定)を築き、晩年には小田原城の惣溝などを参考に大阪城の大規模な改築に乗り出したとか。
このような秀吉の大建築好きは万里の長城で有名な秦の始皇帝を彷彿とさせます。両者の言動や短命政権の末路が似てることからしても性格として共通するものがあったのでしょうか…




…で、
ここまで能書き垂れておいてなんですが、
結局現状あるのは資料館もないただの城跡のみ。
(どうも関東大震災の後修復しないまま城址公園として整備されてる感がある…)、さすがにこの城跡のためだけに鎌倉~箱根湯本を原付で行き来するのは割が合わないと感じているため、石垣山ふもとにある生命の星・地球博物館という県立の自然史博物館と抱き合わせで行ってきました。(恐竜の全身骨格(大半がレプリカ)や様々な動植物のはく製や標本が豊富であるため見ごたえ抜群です。)
一応それなりに充実はしました…

…が、しかし‼
肝心の続100名城のスタンプ帳を忘れてきてしまい石垣山一夜城のスタンプをゲットしそこねてしまったのです。
タイトルにカッコカリがあるのはその為…
アホンダラ…

そんなわけでスタンプゲットは次回へ持ち越しですが、その時はこの博物館ではなく箱根芦ノ湖のブラックバス料理や沼津方面の続100名城・興国寺城(北条早雲最初の居城)の攻略と抱き合わせに行けたらいいなと思ってます。




※なお太閤記系列の大河ドラマでたびたび取り上げられる美濃攻め時の墨俣一夜城(ドラマの前半で必ず取り上げられるため石垣山一夜城より有名かと…)については詳細が不明であり秀吉が関わったかも非常に疑わしいため本記事からは割愛しました。

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2018/10/05 23:58
ゆりか様へ…さすがに5層天守は誇張しすぎじゃないかとは思いますが少なくとも犬山城みたいな天守は確実にあっただろうと思います
圧倒的な力を見せつけるという目的では石垣山一夜城も忍城水攻めも役目は果たしてるのでしょうけどあの手のパフォーマンスはやり過ぎると反発を招くのは当然ですよね。天下統一後もその調子のまま朝鮮侵略や名護屋城・伏見城をはじめとする土木建築で政権そのものを疲弊させていく様は秦の始皇帝の防錆と同じで愚かしいと思います。

続100名城については秘境レベルの場所にあるものも多くてとてもやってられず、その大半は100名城攻略や各地の観光地巡りの傍らゆるくやってる感じですね。(とりあえず関東の制覇だけはするつもりでいます。)
ただ石垣山一夜城についてはバス停があったので小田急箱根湯本駅からバスで行けるのではないかと思います。

墨俣城については確かな記録で信長が美濃攻めの拠点にしていたのは確かみたいですが、それ以外は軍記物語などで誇張されたものばかりで詳細が不明なんですよね。ただ墨俣一夜城伝説があったとされる頃秀吉は美濃斎藤勢の引き抜きで頭角を現し一夜城に関わったとされる蜂須賀小六や前野長康を配下にしてたのは間記録上では確かみたいで、墨俣の織田勢の拠点化の際に何らかの形でかかわってた可能性は十分にあるとは思います。
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2018/10/05 11:33
みかささん、こんにちは。
一夜城良いですね~。私は運転免許持ってないので、郊外の史跡にはほとんど行けてません。羨ましい(*^^*)
一夜で(実際は80日ですか)五層天守はびっくりですね!どれだけの人員を投入したのか。
小田原征伐は、忍城攻めでも28キロの石田堤を築かせて、「どうだ!これだけ大掛かりな戦法を取れるわしの財力って凄いだろ」と言わんばかりの水攻めパフォーマンスを命令してましたね。失敗したけど(^^;)
戦わずして屈服させよう作戦だったかもですが、逆に意固地になってしまっては、こちらも残念な結果になりましたね~。
スタンプ帳を忘れてしまったのですか…それはきっと、一夜城が「またおいで!」と呼んでるとでも思って元気出してください。
墨俣一夜城は秀吉は関わってないのですか?出世の足掛かりだと思っていたのに衝撃の事実!
城レポ楽しいですね。楽しませて頂き、ありがとうございました^^




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