Nicotto Town


つくしのつれづれノート


甲信越お城めぐり


例の如く今回の甲信越原付縦断の旅もお城めぐりの旅となります。

去年までに甲信の100名城は総なめにしていますが
今回はさらに北の新潟まで手を出しました。
今回周ったお城が以下の如し

春日山城(新潟県)
…100名城。いわずと知れた戦国大名上杉謙信の居城。山全体を削って城主や家臣の屋敷を集約する集合住宅地の印象すら受ける巨大な山城で鉄壁の守りを誇る堅城とのこと。謙信死後その後継を巡って争った御館の乱が春日山城内の各郭ごとに景勝派・景虎派が拠点を作って城内で戦を始めたところから戦線拡大していくところからしてみてもそのバカでかさというのが伺えると思う。
現状は主郭部分の木々が切り払われ往時の城の形が垣間見れるように整備されており、皮肉にも大河ドラマ「天と地と」(69年石坂浩二主演)の撮影のために城跡を破壊して舗装された道路のお陰で城山の中腹まで行きやすくなっている。
しかし現状100名城スタンプのある場所は城山ではなく上杉家が会津に移封後代わりにやってきた豊臣大名・堀秀治によって山麓に整備された監物堀の付近にあり、鉄壁の堅城である一方で経済や政治拠点としては不便だったことを物語る。結局さらなる利便性を求めて春日山城は廃城になり上越の政治拠点は平地の福島城・高田城へと移転することになる。

高田城(新潟県)
…続100名城。上越支配の拠点として春日山城から移転した福島城からさらに移転を重ねたのが高田城。
築城したのは関ヶ原後上越に75万石で入府した家康6男の松平忠輝であり、経済拠点としての利便性を求めて春日山から沿岸の直江津に移転した福島城が度々水害の被害を受けたため、より内陸の位置に高田城を築いたらしい。
隣に位置する最大の外様大名・前田家(加賀100万石)を押さえつける重要な城なのだが、徳川将軍家が前田家と縁戚を重ねて親密になり重要度が下がる一方で、松平忠輝やそのあと入府した越前松平家(26万石)などが相次いで不祥事により改易された結果、違反を犯した大名の転封先の「座敷牢」として機能するという不名誉な役目を追ってしまった不運な城と言える。


鮫ヶ尾城(新潟県)
…続100名城。上記の春日山城の支城であり、謙信死後その後継者の地位を巡る内乱御館の乱の終結の地。近隣諸国をも巻き込んだ御館の乱で上杉景勝に敗れた上杉景虎はこの城に追い詰められ最期を遂げる。
その時の戦火にさらされたものと思われる焼き米が実際に発掘されており(文字通りの焼きおにぎりw)スタンプ設置場所に展示してある。

松代城(長野県)
…100名城。武田信玄が対上杉用に川中島合戦の戦場に作らせた最前線基地である海津城が前身で、江戸時代真田松代藩の府城として有名。
近年復元整備が進み戦国時代の面影を色濃く残す土盛りの城のイメージがどんどん強くなっている。
元々が最前線基地であるため城内に幾つもの御殿を抱える余裕はなく、幕末大名行列が廃止になり江戸から家族を呼び寄せる際に城の隣に新造した御殿が今も現存する。他にも藩校や家臣の武家屋敷が数多く現存し町全体が歴史公園の様相を呈している。
既に攻略済みだったのだが今回甲冑コスプレ目的で立ち寄る予定だった真田宝物館がスケジュールの不備で没になった代わりに再訪問。他真田御殿・藩校・周辺の武家屋敷・廃駅後も保存されている旧松代駅舎なんかを巡ったのだがそれでもコスプレやりたかったなあ…

龍岡五稜郭(長野県)
…続100名城。有名な函館五稜郭(100名城)に続き長野に存在するもう一つの五稜郭。元々龍岡周辺は三河の小藩奥殿藩の飛び地であり、幕末三河の本領よりもでかい龍岡へ陣屋を移転する過程で当時西洋軍学に関心の高かった殿様の意向で五稜郭になったという趣味の産物らしい。
五稜郭などの星型要塞は永久要塞としての需要が無くなった現代戦においても死角の無い最前線の防御陣地として未だに活用されている軍事技術なのだが、この龍岡五稜郭においては外周の堀の掘削が途中で止まったままになっているうえに各ブロックへの砲台の配置が不十分、しかも裏山から見下ろせば城の中が丸見えという根本的な欠陥をかかえているらしく、結局藩主邸宅及び政治拠点の陣屋以外の使い道ができなかったらしい。
結局龍岡五稜郭は戊辰戦争などの幕末の動乱で戦場になりえた東海道の本領からの疎開先として機能した後廃城となり、維新後は五稜郭内に屋敷の一部と小学校を抱えたまま現代に至る。
上記の通り外周の堀が中途半端なため星型が曖昧なのだが郭内の木々が紅葉すると星型がはっきり浮かび上がり綺麗。(最もドローンでも飛ばさない限りわからないが)
なお龍岡五稜郭の隣にある新海三社神社はアニメ「君の名は。」のヒロイン三葉の実家モデルになったとされる。全く同じとは言えないが舞殿を始め本殿・自宅のレイアウトがよく似ている。

新府城(山梨県)
…続100名城。長篠合戦の大敗ご武田勝頼が立て直しを図る過程で代々本拠にしていた甲府の躑躅ヶ崎居館から移転したのが新府城。穴山梅雪や真田昌幸により築城されたといわれる。位置は甲府からは西端の韮崎になるが、当時甲斐・信濃・駿河を手にした武田氏にとってその中心に位置する支配拠点として最適だったらしい。
甲府から長野へ車やバイク(もしくは自転車)を走らせた人なら理解できると思うが新府城は国道20号(甲府街道諏訪行き)と国道141号線(小海・佐久行き)の間にある切り立った崖の台地の上の天然の要害であり(そして佐久方面・諏訪方面への分岐点という交通の要衝でもあった。)、特に切り立った崖が数十キロと続く国道20号側から見た新府城はまるでギアナ高地の上に城があるかのような錯覚さえ覚えるほどで鉄壁の守りを誇るのは素人でも一目瞭然。
聞くところに寄ると城の防御施設の中には五稜郭などの近代西洋築城術にも通じる先進性があったといわれるが、
織田信長の武田攻めの際には、築城の責任者だった穴山梅雪の裏切りによってその効果を発揮することなく放棄せざるを得なくなり、結果武田勝頼は逃亡中さらなる家臣の裏切りにより自刃し武田家は滅亡することになる。(その顛末は大河「真田丸」を見ての通り。)勝頼の新府城在城はわずか68日だったという。
武田滅亡後甲斐の支配拠点は再び甲府に戻るが、武田領を巡って争われた天正壬午の乱でも徳川家康が新府城の城跡を本陣にしており新府城の戦略眼が確かなものだったというのがわかる。
今回新府城の城跡を散策はしたもののスタンプについては韮崎の資料館が休館でゲットできなかったわけで次回に持ち越し…(泣)
なお韮崎はNHKの朝ドラ「花子とアン」(「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子がモデル)のロケ地になっており、スタンプのある資料館の傍にロケ地があるとのこと。



なお当初攻略を予定していた続100名城の要害山城(甲府の躑躅ヶ崎居館の詰めの城にして信玄の生誕地)は時間がなく早期に打ち捨てとなり、
スタンプラリーの攻略成果としては旅行計画段階のスケジュール調整がまるでなってない打ち漏らしの多い結果となりました。
とはいえ春日山城攻略により100名城の総攻略数が旧スタンプ帳で48・新で35となりました。

今回攻略できなかった山梨の諸城・長野の松代の真田宝物館についてはそれぞれ更なる遠征計画があるのでその際に攻略できればと考えています。
とりあえず今年の所は原付旅行は終了という感じです。

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2018/10/15 20:39
ゆりか様へ…少々主郭部が破壊されたとはいえ城跡がかなり僻地にあることもあって保存状態は非常に良好だと思いますよ。
江戸時代になって堀氏も含む豊臣系大名の多くが謀反を恐れた幕府から言いがかり同然に取り潰されていますね。譜代外様関係なく乱世で武功により叩き上げで大名になったところほど泰平の世となった江戸時代では時代に適応できずに淘汰されていった印象があります。そちらの方が平和に暮らしたい側として万々歳なのかもしれませんが…

ネットで情報伝達がしやすくなった分この手の手作り甲冑のサークルの隆盛は近年非常に目立ってるように感じます。小田原城も含む北条氏関連のお祭りに登場する手作り甲冑隊の中にはメタリックブルーの戦国甲冑を着てる人もいましたwww
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2018/10/15 19:57
こんばんは、みかささん。
丁寧なお返事ありがとうございます。
やっぱり堀監物から由来してたのですね~。わあ、当たった(*^^*)堀家も結局は次の代で改易になりましたものね。
うちの近くにもかつては城があったそうですが、今は痕跡すらありません。
甘粕氏の屋敷跡もったいない。でも僻地すぎて行けないのも大変ですし、悩ましい問題ですね。
うちのほうでもお祭りで、段ボール甲冑を作るサークル?がありました。全国的に流行っているのでしょうか。大変そうだけど作ってみたいですね(*^-^)
5月までにコイン貯めなきゃ。
教えてくれてありがとうございました^^
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2018/10/15 13:25
ゆりか様へ…城愛とまでは言えませんが、旅では旅行先の街のシンボルであるお城へ行けば胸を張って観光した気になれるスポットとして重視してますね。(まさにステレオタイプな観光スタイルですがwww)歴史好きもあって旅の前後にある程度PCで下調べはしてます。

監物掘りはゆりかさんの仰る通り上杉に代わって入府した堀秀治の家老堀監物が追加したことに由来する施設みたいです。春日山の主郭に比べて明らかに安土桃山以降の城の雰囲気のある施設として性格が異なっており、おそらく監物掘内に藩主の政庁や住居の御殿をを設けていたいたのでしょう。(それでも不便で放り出してしまったわけですが…)当然上杉謙信の時代には存在しません。
春日山城に限らず日本中の史跡が最近まで開発で破壊されつくしてきましたからね。(難攻不落と謳われた玉縄城も戦後の宅地開発で跡形もないし…)今とは価値観が異なっていたとしか言いようがないんでしょうね。
破壊されたのは重臣甘粕氏の屋敷跡とのこと。ただ春日山城があまりにも僻地にあり険しいためある程度整備がなされてなければ私ミカサはとても本丸まで行くことはできず監物掘りのスタンプゲットしただけで終わったと思いますから葛藤しますね…
ちなみに監物掘も廃城後破壊されたものを近年一部復元したものらしいです。

甲冑コスプレは地方のイベント関連の参加となると大河のエキストラ以上ににめんどくさいものがあってなかなか手を出しづらいところがあり、資料館などの着付け体験に頼っちゃいますね。まあ戦国甲冑については中世よりも簡略化されてるので構造を勉強して段ボールを素材にして自作してもいいなとは思いますが…(地元のサークルに手作り甲冑のサークルもあるワケで…)

ニコッとの甲冑コーデについてはこどもの日にちなんだ五月のコーデであったので購入しました。同じデザインではないでしょうが5月にこの手のコーデは毎年あるんじゃないかと思いますヨ(^_^)
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2018/10/15 11:36
みかささん、こんばんは。
わぁ(*^^*)すごいボリュームですね!
城レポ書くのに一苦労したのではないでしょうか。800キロ踏破してお疲れの中、詳細な城レポを書いちゃうみかささんの城愛に乾杯です(^^♪
春日山城、大河ドラマで破壊されちゃったんですか?!何してるんですかー!!そこは撮影セット作らなきゃ。
監物堀って、戦国三大陪臣の一人・堀監物(直政)から由来されてるんですかね??彼が指揮して作ったのかなぁ、とふと思いました。
そんなにコスプレしたかったら、おもてなし武将隊に入るとか。コスプレ姿でガイドしてくれたら観光客は大喜びですね。
今日の甲冑コーデもかっこいいです。そんな衣装があったのですね。女子は着れないのかな。軍配が熊ちゃんなのが何だかアンバランスで良い味出してます。
スタンプラリー全制覇頑張ってくださいね!次回も期待してます(*^^)




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