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つくしのつれづれノート


闘将伝! 立見尚文

とりあえず戊辰戦争シリーズ最後ということで、戊辰戦争で新政府軍を最も苦しめた旧幕府軍指揮官・立見鑑三郎尚文です。この人は新撰組ではなく戊辰戦争を旧幕府軍として戦った伊勢桑名藩の雷神隊隊長です。桑名藩は三重県にあった藩ですがこの藩は立見が誕生する20数年前に白河藩から移ってきたばかりの松平定信の藩であるため、立見も福島なまりの強い人物ではないかと思います。

桑名藩は佐幕藩であり戊辰戦争の時、殿さま(会津藩主松平容保が実兄)自ら脱藩して有志の藩士と一緒に各地を転戦します。立見尚文はその中の一人であり旧幕府軍・桑名藩部隊・雷神隊隊長として戊辰戦争で各地を転戦します。立見率いる雷神隊は宇都宮で戦い(新撰組・土方歳三と伝習隊・大鳥圭介と共に宇都宮城を攻略)、北越で戦い、会津で戦いとまさに激戦の連続でした。特に北越戦争では長州藩の奇兵隊参謀・時山直八を討ち取る戦功をあげ、戊辰戦争全体を通じて最も勝ち続けていた旧幕府軍最強部隊でした。最終的に庄内藩の降伏と共に立見率いる雷神隊も降伏します。
新撰組も含め多くの旧幕府軍の将兵の殆どがこの戊辰戦争が人生のピークといえるかもしれませんが、

立見尚文の場合ここからさらなる波乱万丈な人生を展開することになるのです!!

明治初年の立見は謹慎が解けたあとも不遇の処遇を受け、やっと決まった官職も裁判官であり、各地を転々とする日々を送っていました。
…が相次ぐ不平士族の反乱が彼の人生を一変させます。明治10年に西郷隆盛を要した薩軍が反旗を翻す西南戦争が起きると、多くの政府軍軍人がかつて自分たちを最も苦しめた雷神隊隊長・立見を必要とすることになったのです。立見はその強いオファーを受け陸軍少佐に任官し(雷神隊と同規模の大隊指揮官の階級が少佐だったため)、西南戦争では新撰旅団参謀兼大隊長として出征します。(新撰旅団の構成員の多くが士族であるため、その名称から新撰組が再結成されたと間違えられたという逸話があります。実際に新撰組隊士が従軍していたということです。)
結局西南戦争は続々と兵力を増強してくる政府軍に圧倒され、最後の城山攻防戦で372人になっていた薩軍は(最盛期で3万人いた)7万の政府軍に包囲され全滅するわけですが、その主将たる西郷隆盛を自刃に追いやったのが立見が率いる大隊だったのです。そのため旧幕府側に人間から英雄扱いされます。

その高い軍指揮能力から、西南戦争後も薩長閥の強い陸軍内でも多くの部隊からヘッドハンティングを受ける引っ張りだこ状態であり、日清戦争のときは陸軍少将として先陣部隊の第5師団・第10旅団長として出征。第5師団が中心となって戦った平壌の戦いでは第10旅団を増強した朔寧支隊・隊長として清国側の最も強硬派の指揮官を戦死させて平壌城の重要拠点を攻め落とし勝利に導くことになります。この平壌の戦いが日清戦争の勝敗の分かれ目になります。

日清戦争後、立見の腕を見こまれて乃木希典の下で(当時台湾総督)割譲した台湾に部隊を率いて平定し、明治31年に陸軍中将に進級して、対日露戦争用に新設された第8師団・師団長として青森の弘前に赴任して(この中で起きたのが映画「八甲田山」で描かれた遭難事件である。)、日露戦争を迎えることになります。
立見が育てた第8師団は冬季決戦用に作られた日露戦争における秘密兵器ともいえる部隊であり戦争後半まで温存されていました。その第8師団が初投入された戦いが日本軍最大のピンチになった黒溝台会戦でした。立見率いる第8師団はロシア軍の冬季大規模攻撃を受けた重要拠点である黒溝台を救援に向かい、壮絶な激戦の末、師団兵力の半数(師団兵力は1万8千人以上)を失いながらも黒溝台を回復し、後の奉天会戦の勝利につなげます。
これらの数々の戦功のため日露戦争後、旧幕府軍出身者唯一の陸軍大将に登りつめます。…が日露戦争で燃え尽きたのか日露戦争終結後わずか2年でこの世を去ります。

立見は戊辰戦争の旧幕府最強の軍指揮官だったため、薩長出身の将校は誰も頭が上がらず、奇兵隊トップとして何度も煮え湯を飲まされた日本陸軍のドン・山県有朋は立見の能力を評価しながらも生涯立見を避けていたといわれています。今でこそ立見はマイナーな存在ですが幕末明治最高の軍指揮官・東洋一の用兵家とうたわれる人物です。

実は自分が陸軍の軍人の中で一番好きなのがこの元雷神隊隊長である立見尚文陸軍大将なのです。「翔ぶが如く」「坂の上の雲」にも出てくる立見尚文。
正直言って新撰組以上に評価されていい人物だと思います。

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2018/11/02 20:51
ゆりか様へ…戦争の実情を知らないまま勝ったという幻想ばかりが大きくなって世間知らずなところが少なからずあったかもしれません。(勝つために情報統制してるがゆえに、戦争で未来の指揮官になるべき下級将校が全線で大量に戦死して前線の体験から得た教訓を後々の教訓を伝えるべき語り部が少なかったのではという指摘もあったような気がします。)
基本日本は資源もない小さな国なので戦争はいつも短期決戦が必須であり、日清・日露も必要以上に戦線拡大したり長期化してたら確実に負ける可能性が高くそれをさせない政府の中枢の人間が上手いこともって言ったなという感じがあります。
軍隊に限らずあらゆるジャンルの人間が幕末からの激動期を掻い潜ってきた人間ばかりなので後の世代の人間比べ物にならなほど考え方や実行力のレベルがの凄腕だったんだと思います。

最近古文書先生の磯田さんなんかがNHKの歴史番組で薩長の武力倒幕が大戦の伏線になったという主張を聞くんですが、ちょっとうーん…と首をひねる感じです。
ああいう大動乱での政権の興亡劇が無ければ明治維新のような大変革は不可能だと思いますし(明治初期の段階で天皇を担げば官軍的なやり方は確実に軍部の台頭の伏線になってます)、
大戦で破滅的な敗戦を喫してアメリカの占領状態にならなければ今の経済大国としての繁栄もあり得なかったと思うので安易にああすればよかったとは軽々しく言えないんですよね

日本に限らず大戦前の1930年代ってどこの国も政治経済など様々な理由からくる社会不安のスキをついて軍国主義や独裁者を生み出す結果になってるため、一歩的な見方だけで統括してるとまた同じ轍を踏むことになるのではと気が気でなりません。
特に最近はアメリカのトランプ政権を筆頭に社会不安のスキをついて極端な主張でメチャクチャやる扇動政治家が台頭してる感じがあの30年代の重なって見えるのでまた戦争に巻き込まれやしないかと怖く感じます。きちんと備えをしてそういうバカなことに巻き込まれないように頑張ってほしいんですけどね

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2018/10/30 09:27
おはようございます、みかささん。
日露戦争について教えてくれてありがとうございます(*^^*)
日本とロシアは当時、国力が10倍くらい離れていましたが、それを承知の上で有利な条件での早期講和を目指していたのですよね?
そういう意味では大勝利だったのではないでしょうか。でもその勝利を過剰に評価してしまった国民の一部が、賠償金が得られないことに腹を立てて日比谷焼き討ち事件を起こしてしまったように、続く戦争での軍隊の暴走も、日露戦争の勝利に酔ってしまったのかな、という印象があります。
さらに遡れば、明治維新で武力行使を強行するような薩長が政権を取ってしまった所から、過激思想の芽が出てたのかな、と考えるのですが、これはちょっと考えすぎでしょうか?
国家予算の50%ですか…途方もないですね。
予算云々の前に、戦争は絶対に嫌です。

日露戦争の頃の司令官は、経験豊富で優秀なのですね。太平洋戦争の頃は、陸軍と海軍の連携も取れてないし、何であんなことになったのだろう?と不思議でなりません。

八甲田山は、そんな内情があったのですか。
雪国出身じゃないと、雪の怖さがわからなくて、軽く考えてしまいますね。

みかささんは、やっぱり明治が詳しいのですね。
私は戦国時代が一番勉強したと思いますが、人物に焦点を当てて年表やら家系図を作るので、私も知識のむらが凄いと思います。
教科書って、史実を淡々と書いてあるだけで、何でそうなったの?という動機面が不十分な気がするので(←歴史は諸説あるので仕方ないと思いますが)歴史学者さんの考察を読むのも好きですね。

色々お話聞けて楽しかったです(^^♪
ありがとうございました^^
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2018/10/28 16:31
ゆりか様へ…日露戦争については旅順攻囲戦の惨劇や上記の黒溝台会戦全滅寸前・黄海海戦の敵艦隊の取り逃がしなど失敗談はあるものの、戦争の計画準備・戦略・政治・外交などあらゆる分野を駆使して薄氷を踏みながらも結果的にそれぞれ思惑通りに進めたものであって決していい加減なものじゃありません。失敗ですら次の勝利に繋げる材料にしてるくらいですし…
とはいえ一般から見れば大勝利に浮かれてそこに至るまでの血のにじむ努力がかすんでしまったため、ここからWWⅡの破滅への第一歩が始まった印象があります。この戦争は三国干渉から日露開戦までの10年間国家予算の50%を軍事費にあて、海外から80年かけて返済するレベルの借金をしてやっと判定勝ちにこぎつけたヤバい戦争であり、今の日本は絶対にマネしちゃいけない愚行だと思いますよ。

立見尚文に限らずこの当時の司令官クラスの将校は幕末の動乱から参戦してるレベルの歴戦の兵ばかりで実戦経験が当時の列強指揮官と同等かそれ以上に豊富なんですよ(満州軍総司令官・大山巌や第4軍司令官・野津道貫は薩英戦争で英国艦の斬り込み隊やってますし、大山に至っては維新直後の留学で世界史でも重要な普仏戦争(1870)の戦況を観戦武官として視察している)

八甲田山の事件はここ10年ほどで更新されるまで最低だった気温と猛吹雪という最悪の天候の中で起きた事件であり、どうしようもなかったというのが実情です。それぞれの生死の差を分けた各隊の大小の差や指揮系統の差や、豪雪地帯の日本海側出身の隊とそうでない太平洋側出身の隊とでの雪の脅威に対する認識度の違いによるものらしく(これが一番重要)、最悪両方共々全滅してもおかしくなかったそうです。


自分の歴史知識は教科書及び自分の関心度の高い出来事に各資料やWikipediaなどの知識を付け足したものです。実は興味の赴くまま調べてる感じなのでそれぞれの時代ジャンルの知識の幅にむらがあります。
あえて言えば特に「坂の上の雲」の影響で明治期の軍関連(陸海双方)と当時の国際情勢などを中心に明治なんかは人並み以上かもしれません。後は平安から戦国以前の武士の生活や組織変遷についても特に関心高いです。
ただどの時代についても時代の流れや構造的なモノへの関心が強くて個々の人物に関する逸話などはゆりかさんにはかなわないんじゃないでしょうか?
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2018/10/28 08:55
おはようございます、みかささん。
さらに詳しく教えてくれて嬉しいです(^^♪
思えば、武士として生まれ、刀を持って戦っていたのが、近代軍隊の指揮官になっちゃうのですものね。
東郷平八郎とか軍艦を指揮してるし。
幕末~明治って身分制度とか何もかも、世界が180度変わったかのようですね。
日露戦争ってそんないい加減な感じだったのですか?日本軍が奇跡の大勝利みたいなイメージがあったのでビックリ。
八甲田山の事件は、防寒装備が貧弱すぎて人為的なミスがあったのかな、という印象です。別部隊は全員無事に生還できてますし。
立見さんほどの優秀な指揮官がいるなら防げなかったのかな、と思ったのですが…師団長クラスまでいくと現場には出てこないのかな。
私が持っている会津戦争の本に立見さんのページがあって、野津道貫が言ったと書いてあったのです。
みかささんは本当に詳しいですね。他の記事も読んでみて、凄い勉強してるなぁと思いました。
どの時代が一番詳しいのですか?また今度、良かったら教えてくれると嬉しいです(*^^*)
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2018/10/26 18:39
ゆりか様へ…立見尚文はすごいとは思うんですけど西南はさておき日清日露においては完全に組織化された近代軍隊の指揮官として動いてる為近代以前の武将のような華々しさはなく、やはり物語にしにくい人物だと思います。
「西郷どん」既に立見の雷神隊が登場することなく戊辰が終わってるのでたぶん出ないと思いますよ。(「翔ぶが如く」同様西郷軍にとどめを刺した部隊の中の無名の士官役の誰かを立見に見立てたらいいなという感じでしょうか…)

ただ立見に参加した戦歴は完全無欠というわけではなく、
特に日露戦争の黒溝台会戦はロシア軍が日本の満州軍にとどめを刺すことができたのにロシア軍上層部の権力争いが原因で勝手に引き上げて終わったいい加減な結末であり、日本側も総司令部の怠慢と判断ミスで戦況をどんどん悪化させられていく中で第8師団が巻き込まれて全滅しかかってるなど後手後手の展開として酷評されており、
立見尚文(第八師団)や秋山好古(秋山支隊)の功績はロシア軍が勝手に負けてくれるまで持ちこたえた防戦の勝利という感じで、本人やその関係者は自ら勝ち取った勝利とは考えてなかったみたいです。(ただこの活躍が無ければ日露戦争は確実に敗戦になってたわけで非常に際どい戦いだったのは確か。)

第八師団が対露戦の冬季決戦用に青森の弘前に設けられた部隊であり、その耐寒訓練と研究の中で起きた事故が映画で有名な「八甲田山」の事件だそうです。映画作中は事件に関わった2の連隊(およそ3千×2)と統括する旅団司令部の幕僚が登場してましたが最高指揮官である師団長の立見は出てこなかったですね。

「東洋一の用兵家」と絶賛したのはゆりかさんが言及した野津道貫陸軍元帥みたいですね。
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2018/10/26 17:28
こんばんは、みかささん。
さっそくお邪魔しちゃいました(*^^*)

わぁ!凄い詳しいんですね。Wikipediaよりも詳しく書いてある!
なんか、みかささんの前で立見鑑三郎を語ってしまって、恐れ多いことをしでかしてしまいました。
みかささんの立見さんへの思いが魔王を倒せるレベルだとしたら、私なんてスライムがやっと倒せるレベルでした。
本当に大好きなんですね~vv
今まで立見鑑三郎を知っている人すらいなかったので驚きました。
明治からの立見尚文の活躍は全然知らなかったので、とても勉強になります。
西郷隆盛まで自刃に追い込んじゃうなんて!
西郷どんでも、チラッとでもいいから立見尚文が出るといいんですけどね。

八甲田山の遭難事件が起こった時に、立見尚文が赴任してたのですか?
ええ~知りませんでした。立見さんほど優秀な指揮官がいたのに、なぜあのような事件が…。
気になりますね。

東洋一の用兵家!かっこいいですね。
私もみかささんの記事を読んで、立見尚文がもっと好きになりました(*^^)v
教えてくれてありがとうございます。
またぜひご教授していただけると嬉しいです^^




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