Nicotto Town


つくしのつれづれノート


元就ラブ!!

私つくしは、大河ドラマの影響で戦国大名・毛利元就の大ファンなんです。

毛利元就というと国人(中小クラスの領主)の二男坊出身の立場(嫡男であれば通じの元の字は初めに付かないんです。)から、知略を尽くして勢力を拡大して若年より辛酸をなめさせられ続けた大内・尼子の両戦国大名を滅ぼして、一代で10ヵ国を領有する覇者クラスの戦国大名であり(信長・秀吉・家康の三英傑を除くと一代でここまで勢力拡大に成功したのは元就だけなのだとか…)、生涯参加合戦数は記録から確実視されてるものだけで200を超えるという(戦国武将の中でも群を抜いてるだけでなく、世界戦史上でもトップクラスの歴戦ぶりなんだとか…ちなみに半分近くは大内・尼子の手伝い戦と思われる…)歴戦の戦国武将なのですが、
個人的に元就に持っている魅力はそこではなく、
家族を大事にする愚痴っぽいおっさんというところだったりします。

この元就は5歳で実母、10歳で実父、20歳で実兄を相次いで亡くし、28歳のとき毛利本家を継ぐ際に腹違いの弟を誅殺している(弟のバックアップをしていた大国・尼子に毛利本家を乗っ取られる危険を秘めていた。)こともあって、その反動から家族を非常に大事にしてた人物なんです。
その最たる逸話として有名なのが3本の矢の逸話であり、これは実話ではないのですが元ネタになった「三子教訓状」など
(正室の子である毛利隆元・吉川元春・小早川隆景がそれぞれ仲たがいした時に元就が書いた手紙。全長3メートルあり、後半になればなるほどくどくどしている(笑)大河ではどちらもドラマ化されており、3本の矢は3兄弟に3本の矢を渡して説教した後に長女に自分だけのけ者かいと詰め寄られてもう一本矢を足した4本の矢というオチが付いている(笑)。元就には三本の矢の3兄弟の他に正室死後に迎えた継室側室から生まれた子も含め計10人の息子がおり、皆優秀でした。特に四男・穂井田元清は4本目の矢と目される人物であり、現在の毛利本家は元清の系統だったりします。)
元就一族の団結力をうかがえる逸話が大変多くて大変ほほえましいんです。
もちろん元就は智将として冷徹な決断をいくつもしてる人物なのですが、それだけに家族団結を重んじていたということなのでしょう。
三子教訓状には「毛利家を快く思ってる人は誰もいないだろうからせめて家族間で仲たがいしないでくれ」ということが書いてあったりします。(元就は大変な手紙魔だったようでその現存数も半端ではなく、大変くどいとのこと。(笑)そういう人間臭いところが好きなんです。)

ちなみに毛利家の主要家臣も優秀な人間が多かったようで児玉就忠・桂元澄・井上元兼が知られており(ただし井上元兼
は専横が激しかった為一族の多くが粛清される。)、これらの末裔から幕末明治の児玉源太郎(日露戦争の戦争計画を主導した参謀で多彩な人物。)・桂太郎(日露戦争時の総理大臣・大正期の護憲運動で退陣された方が有名)・井上馨などを輩出します。


…と、ここまで書いてあれ?と思う人がいるかもしれませんね。

じゃあ維新三傑の木戸孝允こと桂小五郎は桂元澄の末裔じゃないのかと…

確かに木戸の桂家も桂元澄を末裔とする末端分家のひとつなのですが、木戸は長州藩お抱えの医者和田家から養子で桂家に来た身であり桂元澄の末裔ではないんです。しかし…!!

この医者の和田家は元をたどると毛利元就七男・天野元政の血を引く家柄ということであり、
つまり木戸孝允は毛利元就の末裔ということなのです!!

これにはオドロキ!!
見事に役者がそろったって感じです。(笑)



ちなみに桂家なんですが、これも南北朝時代に毛利本家から枝分かれした毛利の分家だったりするわけで、毛利と同族なんです。

まだまだ毛利に対して書きたいことは山ほどあれど今回はここまでにします。
以上!!

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2012/07/01 21:00
繋がってるんですね~
戦国は関東方面中心でしか見てないから、そう聞くと、戦国毛利も気になってきます(笑)
続き期待してます♪




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