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つくしのつれづれノート


「真田丸」 小田原征伐始末記 北条・小田原編

昨日の「真田丸」でとうとう戦国北条氏が滅んでしまいましたね。
高嶋政伸が演じた北条氏政がすごい良かっただけに、わかっていた末路とはいえやはり寂しく感じました。
高嶋政伸はかつての凄惨な泥沼離婚裁判以降役者として飛躍的な成長を遂げた感じがあり、かつてのまっすぐで一本気な役柄から似ても焼いても食えない役柄を演じるようになって拍手喝さいを送っておりました。
今回の北条氏政の演技はかつて沢村一樹主演のドラマ「DOCTORS」のライバルお坊ちゃん医師のスグルちゃんを彷彿させるものがあったため、「真田丸」の北条氏政を終始スグルちゃんの愛称で愛でていましたwww



さてここからが本題
以前小田原征伐の発端になった沼田領と真田氏の関係について書きましたので、今回は小田原征伐の主人公である戦国北条氏と小田原城について書きます。


小田原城は平安末期に鎌倉幕府創始者源頼朝の有力御家人だった土井実平の一族・小早川氏(戦国の智将・小早川隆景や関ケ原の裏切りで有名な小早川秀秋を輩出するあの小早川です)の居館から始まったということであり、
戦国北条氏と小田原城のなれそめについては戦国時代初期の1495年に初代・北条早雲が当時の城主だった大森氏(関東管領上杉氏によって城主が土肥一族から変わったらしい)から小田原城を奪取したことに始まり、以後小田原城は秀吉の小田原征伐まで約100年の間関東の覇権を握る北条五代の本城として続きます。(もっとも早雲は生涯伊豆の韮山城を居城にしてたそうだけど。)
戦国北条氏時代の小田原城は戦国最強クラスの上杉謙信や武田信玄の猛攻をも跳ね返した堅城として天下に名をとどろかせ、秀吉の小田原征伐のころには現在の小田原駅中心街数キロをすっぽり惣構という巨大な堀で囲った戦国時代最大の城に成長します。
その大きさは「真田丸」クライマックスの舞台である惣構を含めた大阪城をも上回るのです。
その天下の巨城・小田原城も小田原征伐による秀吉の動員した22万の大軍勢を前にに敗れ去り、ドラマの如く無血開城の末北条五代の栄華は露と消えます。
(なおこの時の秀吉軍22万はのちの日露戦争で日本陸軍が25万の兵員を動員した最終決戦・奉天会戦(1905年)までは日本史上最大の兵員動員数だったのは間違いなく、当時の秀吉の力が空前絶後だったというのがよくわかります。)


さて戦国北条氏の出自についてよく喧伝されるのは、
初代・北条早雲が素浪人から国盗りを達成した最初の戦国大名だ‼
…ということなんですが、それは全くの出まかせであり(この手の出まかせは百姓から天下人に上り詰めた秀吉人気にあやかって庶民が捏造したものらしい)、
北条早雲は本名を伊勢盛時といい、室町幕府の管領細川氏に次ぐ勢力を保っていた幕臣伊勢氏の分家の出身なわけで、身分的には当時としては最高クラスの家柄出身であり、出身地は岡山県だということです。(北条早雲の名は彼の死後に付けられたものであり本人は名乗っていない。なお戦国北条氏は鎌倉北条氏と血縁はなく、むしろ平清盛で有名な伊勢平家に近い一族らしい…)
初代・早雲こと伊勢守時は自分の姉妹の嫁ぎ先である駿河の今川氏のお家騒動を収めるために京都から出向し、その後今川家の客将として伊豆を拠点にする傍ら中央の室町幕府の政変と連動する形で相模から関東を平定しているうちに戦国大名化していったということらしいです。
そのため戦国北条氏は本来京都の中央政権と密接につながる間柄だっただけに、小田原征伐で中央に君臨する秀吉の力を見誤って敗北したのは皮肉というほかありません。(もっとも本家である伊勢氏が属していた室町幕府はとっくに滅びていますが…)
まあ歴史的に関東は畿内の中央政権に対する反骨心がものすごく強く(平将門に始まり、鎌倉軍の富士川合戦・承久の乱・永享の乱・結城合戦…)、小田原征伐はある意味必然だったのかもしれませんが…



そんな小田原城ですが現在はこの間の大地震で被災した熊本城に匹敵する積極的な復元事業でにぎわっているお城なんですが、
戦国北条氏時代の小田原城本丸は現在の小田原城の城域内には存在しないそうです。
なんでも現小田原城の裏手にあった本来の本丸は小田原征伐後には打ち捨てられたため城跡が残っており、小田原城は江戸時代のお城と中世時代の本城跡が両立して残っているという珍しいお城なんだということです。
そのため小田原城復元プロジェクトに戦国小田原城の整備もやってしまおうというはなしもあるとかないとか…
小田原城は今年5月に天守閣の改装工事が終わってリニューアルオープンしたばかりであり、5月3日のリニューアルオープン直後に行ってきた私ミカサの眼前に展開した光景は、私ミカサが生まれて約30年見たことがなかったすさまじい人だかりの小田原城でした。


なお「真田丸」をはじめとする各創作作品では小田原征伐で北条氏は滅亡したとされていますが、それは戦国大名として4代北条氏政と5代氏直が滅亡したということであって根絶やしにされたわけではなく、
実は氏政の弟の家系が明治維新まで大阪の狭山藩1万石の小大名として続いていたりします。
(ほかにも途中で改易された北条大名家がいくつかあります)
5代氏直も出家したのち若死に(天然痘らしい)しなければ文禄慶長の役の尖兵として一国の豊臣大名としての復帰が予定されていたともいわれ、
地元神奈川県の人間としてはちょっと残念な気がします。


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2016/07/04 22:59
はんぺん様へ…コメントありがとうございます(^_^)
このようなお堅い記事にコメントを下さり感謝感激です。
私ミカサも物心ついたころから大河ドラマと共にあるような状態なので
記事がアツくなってしまいます(苦笑)
大河ドラマに関しては様々な思い出があるので今後も同様の記事をたびたび書くので
そちらの方も読んでいただけると大変うれしいです(^_^)
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2016/07/04 01:05
みかささん訪問ありがとうございました。大河ドラマという文字につい反応してしまい、こちらの記事にコメントさせていただきます。
私も大河ドラマは毎年好んで観ております。真田丸も面白いですね。
今回は北条氏、高嶋さんがはまり役で、私も退場が寂しく感じられます。
みかささんの記事もとても参考になりました!あまり熱く語るといけないので、ここらで(笑)
それでは、失礼いたします(^o^)




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