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つくしのつれづれノート


日本海海戦の日


今日は戦前の海軍記念日にあたり、日露戦争の日本連合艦隊がロシアバルチック艦隊を壊滅させた(というよりも消滅に近いレベル)日本海海戦がおこなわれた日なんです。
毎年この日は日露戦争を戦った連合艦隊の旗艦・戦艦三笠のある横須賀で海自が記念式典をやっているわけです。





兎にも角にも初めて来た方にもわかるように日本海海戦についてざっくりと解説



日露戦争は朝鮮を巡る勢力争いと日本の安全保障(朝鮮がロシアの手に渡ると目と鼻の先の所でロシアの軍事力の脅威になるわけでヤバい…)を掛けた戦争で主戦場となったのは中国東北部の満州平野でした。
っていうか、島国である日本の対外戦争というのは今までもこれからもすべて海外派兵となる為、兵員物資を安全に輸送するために制海権の確保が不可欠であり、制海権が確保できねば日本は戦争に勝つことは不可能なんです。


しかも日本海軍の相手は目と鼻の先の旅順港に連合艦隊と同規模のロシア旅順艦隊と本国から地球を半周してやってくる援軍ロシアバルチック艦隊と連合艦隊の倍に相当する戦力。もし二つの艦隊に連合艦隊が挟み撃ちにされたらひとたまりもない為、必ず各個撃破しなければならないという、時間制限が設けられた厳しいものでした。
その為日露戦争では真っ先に旅順艦隊を軍港閉塞・海戦・陸戦による軍港占領などありとあらゆる手を使って葬ってきました。(要するに海戦で旅順艦隊を取り逃がしてしまった為、海軍は陸軍に泣きついて約5万人の死傷者を出す凄惨な戦いの末旅順要塞ごと艦隊を葬ったわけです。)


…で残るはバルチック艦隊のみとなったわけですが、
満州の方で戦われた日露最大最期の会戦である奉天会戦で兵力が限界だった日本陸軍はロシアに決定的打撃を与えられないまま勝利してしまい、さらにロシアでも国内で革命が勃発して両者ともこれ以上の戦争継続が困難になった為、

連合艦隊対バルチック艦隊の海戦に勝った側が日露戦争の戦勝国に決まるという状態になってしまったのです。
連合艦隊の勝利条件はバルチック艦隊の殲滅のみ
少しでも取り逃がしてしまうと残存勢力が各個バラバラに制海権を脅かして掃討が不可能になってしまうのです。
一応当時の連合艦隊は最新鋭・高性能の主力艦で構成されていたものの、
現在の感覚からしてもこの勝利条件はあまりにも無理ゲーです。ハッキリ言って…


それを世界各国に巡らせた諜報とバルチック艦隊の通過予想海域の東シナ海に網の目のように張り巡らせた警戒網、そして海戦時の確実な戦果を狙った作戦改定(「坂の上の雲」の主席参謀・秋山真之中佐が4回も作戦改定をしているらしい。)を経てバルチック艦隊の来襲を今か今かと待ち構えていました…
(っていうか周到な準備をして待ち焦がれすぎて不安が倍増してたということであり、バルチック艦隊の来襲が1日でも遅れてたら別の場所で待ち構えるつもりだったそうで本当にヤバかったwwww)


…そうしてやってきた日本海海戦の日である1905年5月27日
海戦は夜明け前に緩い燈火管制で漏れたバルチック艦隊の灯りを哨戒中の仮装巡洋艦・信濃丸が発見したことから始まります。
信濃丸からの電報を知った連合艦隊主力は


敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ


の有名な電文を大本営に打電し出動します。
天気晴朗~の文は主席参謀・秋山真之によるもので
「高波の為駆逐艦による先制攻撃を取りやめ最初から主力艦同士の艦隊決戦を挑むが、
高波でロシア艦は大揺れしやすく天気晴朗の為敵艦隊を取り逃がしにくい極めて連合艦隊に有利である。」
を意味するそうです。


バルチック艦隊は連合艦隊の補助艦隊によって誘導され、いよいよ旗艦・戦艦三笠に率いられた連合艦隊主力艦隊との大海戦の火蓋が切って落とされます。


日本海海戦の艦隊決戦は連合艦隊がバルチック艦隊の片方の退路を潰す8000mまで接近したところでUターン状態の150°一斉回頭を始めたところから始まります。(14時5分)そこから猛スピードで逃走するバルチック艦隊の前方を塞ぎにかかったのです。
そしてバルチック艦隊の前方をふさいだところで砲撃を開始。これは旅順艦隊を取り逃がした黄海海戦を教訓にした秋山真之による改良型丁字戦法なのだそうですが、実際は両艦隊同士が並走した撃ち合いだったそうです。
戦艦4・装甲巡洋艦8の連合艦隊と戦艦8・装甲巡洋艦3のバルチック艦隊
一見数の上ではバルチック艦隊が有利に見えますが…



いざ撃ち合いとなった時、連合艦隊から発射された焼夷弾同様の砲弾(下瀬火薬)が直撃する度に大火災を巻き起こしバルチック艦隊はたちまち大混乱になったそうです。バルチック艦隊も応射しますが8ヶ月に及ぶ大航海で兵員の士気も各艦の状態も劣化していたそうです。
結果としてバルチック艦隊側はどこも火の海となり、砲弾によって側面に空いた穴から高波によってどんどん浸水していったそうです。
一時東郷平八郎以下連合艦隊司令部幕僚の判断ミスでバルチック艦隊を取り逃がしかけますが、後続艦の適切なフォローによって滞りなく攻撃を進めてバルチック艦隊主力の攻撃力を奪い、日没とともに主力艦隊とバトンタッチして投入された駆逐艦で構成された夜襲部隊による襲撃でバルチック艦隊の主力はことごとく撃沈されていきました。
翌朝未明、連合艦隊に包囲されたバルチック艦隊の残存勢力が降伏し、
日本海海戦は日本の大勝利で幕を閉じます。



簡単に海戦のスコア起こしてみると
バルチック艦隊全38隻の戦闘艦艇のうち
21隻…撃沈
6隻…拿捕
6隻…逃走先の中立地域で武装解除・抑留
3隻…逃走成功


対して連合艦隊は高波で小型の水雷艇が3隻転覆したほかは全艦健在というほぼ完勝に近い状態だったことがよくわかります。壊滅とか全滅というレベルではなく大艦隊一個が消滅したという言い方の方が正しいかもしれません。
(逃走成功したうちの一隻・巡洋艦「アウロラ」は後の第二次ロシア革命で大活躍し、当時の姿のまま記念艦として現存する。)


この結果は世界戦史上類を見ない大勝利であり、
この海戦の大勝利によって弱小の新興国に過ぎなかった日本が一躍一等国にのしあがり、有色人種が白人を打ち破ったとして後の各植民地の独立に繋がっていったとまで言われるほどの影響を与えたとされる世界史上の大事件なのだそうです。(アジアの有名な革命家が日本留学をしているらしい。)



そんなわけで5月27日は1945年の敗戦で日本海軍が消滅した現在においても特別な日であり、毎年旧海軍の後継の海自を始めいろんなところで記念式典が行われ各国の要人も参加してたりするようです。(日本海海戦に参加した主力艦「春日」「日進」を提供したアルゼンチンは毎年必ず日本海海戦の記念式典に参加してるのだそうです。)








…で、以上は数年前に書いた記事をそのまま流用したものなのですが、なぜ今更この記事を再び掲載したかというと今日私ミカサは日本海海戦の主役ともいえる戦艦三笠の鎮座する横須賀の三笠公園へ行ってきたからです。
毎年正月にしか行かない戦艦三笠に対する今回のお目当ては
VR日本海海戦‼

こちらについては追って報告いたします‼

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2017/05/29 18:09
おお~なるほど~と読んでいたら、
思わぬ所に着地して笑いました(^^

VRもここまで来たかという感じですね。
どんな感じなんでしょうか?
甲板にいたら爆撃されるとかはコワイし・・・w
全体を俯瞰で見る感じでしょうかね~




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