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つくしのつれづれノート


戦国の軍旗・地黄八幡

地黄八幡は私ミカサが住む鎌倉玉縄を拠点にしていた戦国武将・北条綱成が使用していた軍旗です。


戦国時代の関東の覇者・小田原北条氏の一族である北条綱成は今でこそ戦国系列ゲームでしか知名度がないマイナーな武将ですが、
戦国時代にあって小田原北条氏の領国を脅かす武田信玄・上杉謙信・里見義弘(「南総里見八犬伝」で有名なあの里見氏)などの有力戦国大名を相手に常に先陣を切って打ち破った北条軍最強の武将と言えます。
聞くところによるとなんと川中島の合戦にも参加だとか。(全五回あるうちの第三次。当時同盟関係にあった武田信玄の援軍として参戦したとのこと。)
「勝った‼」
…と常に叫びながら突撃する北条綱成が率いる部隊・玉縄衆はいかなる劣勢も覆す常勝軍団と呼ばれ、あまりの強さに近隣諸国から畏怖されるほどその名が轟いていたそうです。

綱成の戦歴で最も輝かしいのが戦国三大奇襲である1546年の川越夜戦
関東の覇権を巡って争っていた関東管領上杉憲正率いる北関東の8万の大軍勢に綱成率いる3千の兵が守る川越城が攻め寄せられ、
半年間の籠城の末小田原から駆け付けた北条氏康率いる8千の軍勢と共に(総勢1万1千)8万の上杉軍を闇夜に乗じて挟み撃ちにして粉砕したという戦国史上最大級の逆転劇ともいえる大合戦です。
(ちなみに戦国の三大奇襲は織田信長の桶狭間合戦・毛利元就の厳島合戦・北条氏康の川越夜戦の三つである)


その北条綱成のトレードマークと言えるのが戦陣で常に掲げていた軍旗・地黄八幡です。
これは黄色い生地に「八幡」の文字が書かれた旗指物であり、その色から「地黄八幡」と呼ばれているというもの。「地黄八幡」は「直八幡」とも読み取れるため
「自分こそ軍神・八万大菩薩の直流である」
というアピールが込められているのだとか。

その軍旗・地黄八幡は現在・長野県松代の真田宝物館に現存しています。
そのビジュアルがコレ
https://farm8.staticflickr.com/7093/26713541874_e043f64e5b_o.jpg
なぜ松代の真田が…
実は現存の地黄八幡は1571年に武田信玄が北条の駿河深沢城(御殿場市)攻めた際に守っていた北条綱成が城から撤退した際に置き忘れたものを武田信玄が戦利品として持ち帰り、その後信玄が当時重臣であった真田幸隆の息子・真田信尹(真田昌幸の弟で後の大身旗本)に「猛将・北条綱成の武勇にあやかるように」と期待を込めて与えたものらしいです。
今年初めまで両国の江戸東京博物館でやっていた戦国時代展で真田宝物館からこの地黄八幡が出品されており、年初めにいた戦国時代展で間近で故郷鎌倉ゆかりの軍旗を観れたことに大変感激したのを覚えています。




…で長々と北条綱成と軍旗・地黄八幡を説明しましたがここからが本題。
このたび私ミカサは週末原付で関東一周ツーリングを行うつもりなのですが、
旅先で常にこの軍旗・地黄八幡を背負って走るつもりでいます。
GWに南信州を旅した際に甲府で手に入れた風林火山のミニ軍旗を取り付けて走ったわけですが(これは「水曜どうでしょうの」原付日本横断で大泉洋達がカブに上杉謙信の軍旗を取り付けたことにあやかったもの)、今回も旅先に関連する旗をはためかせるつもりで用意したものです。
本来は北信濃へ行くつもりだったので真田六文銭のミニ軍旗をあらかじめ用意していたのですが、事情により北信濃行きは延期…
関東一周にスケールダウンしたので関東の覇者・北条氏関連の旗をはためかせたいということで近所の玉縄北条氏ゆかりの軍旗地黄八幡に白羽の矢が立ったわけです。

北条と言えば家紋である北条三つ鱗(三角が三つ組み合わさったもの。鎌倉時代の執権北条氏の家紋も同じ)なが大変有名んですが、
関東の覇者北条氏の家紋ということで知名度があるためどこ行ってもありきたりで埋没しそうな気がする上に、
最近はあまりにもゲーム「ゼルダの伝説」の紋章・トライフォースと揶揄されるのでwww
(北条氏家紋とトライフォースは全く同じデザインwww知恵・力・勇気の三つの三角形の紋章が組み合わさったら北条の家紋と同じデザインになるのは当然なのだが…)
北条氏の家紋の旗は除外しました。

…とはいうものの
お土産やネット通販で簡単に手に入る有名な風林火山や真田六文銭と違ってとはいえ軍旗・地黄八幡は上記の通りゲーム以外では無名に近いマイナーな存在となってしまっているため、購入という形で手に入れることができませんでした。
そこで今回の旅に際し私ミカサはこの軍旗・地黄八幡を自作いたしましたwww
黄色の生地に黒いアクリル絵の具で八幡の文字を書いて作成しました。サイズは寸法上風林火山のミニ軍旗二つ分の大きさです。
この自作軍旗・地黄八幡を原付ベンリ丸に括り付けて走ります。
もし関東のどこかで地黄八幡の軍旗を付けた原付を見かけたらそれは十中八九私ミカサですwww
軍旗・地黄八幡なんて北条関連のお祭り以外付ける人は皆無でしょうからwww

北条綱成が大活躍した川越夜戦の舞台となった川越で地黄八幡を翻したベンリ丸はきっと映えることだろうと思います。
楽しみだなあ…(^_^)











なお北条綱成の居城は私ミカサの近所にある鎌倉北部の玉縄城。
武田信玄や上杉謙信が関東に攻め込んだ際にも攻略を諦めたといわれるほど鉄壁の守りを見せつけた堅城だったそうです。
小田原北条氏滅亡後、徳川家康の関東入府によって玉縄城は家康の重臣・本多正信の居城となるワケですが、
昨年の大河ドラマ「真田丸」で最終回のラストシーンが正信時代の玉縄城の城下で締めくくられたのが大変印象に残っています。
(大泉洋演じる真田信之が本多正信と共に大阪から江戸へ帰る途中立ち寄った玉縄で報じられた大阪の戦況によって弟・真田幸村の最期を悟るというもの。)





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