Nicotto Town


つくしのつれづれノート


原付東海遠征で攻略したお城

年明けと共に開始した原付東海遠征(鎌倉~名古屋)のメインもやはり100名城のスタンプラリー。

今回の旅では4つのお城を攻略しました。
いずれもスタンプ帳二冊目における再攻略になります。

攻略したお城か以下の通り
順番は攻略した順です


岡崎城…いわずと知れた徳川家康の生誕地として有名な城。復元された天守閣が他の城と比べて今一つパッとしないように見えるが、東海地方の城では三本の指に入る巨城だったとのこと。(外堀を含めると名古屋城を上回る全国で4番目に大きい城ともいわれる。恐らくそれだけの規模に拡張したのは家康が関東入府以降に入った豊臣系大名・田中吉政)
江戸時代には江戸幕府の開祖徳川家康の生誕の聖地ということもあって5万石前後の譜代大名が国替えを繰り返して治めていたのだが、一けた台の小大名ににこの巨城の維持は相当エグイものだったろうと思われる。
お城から西から八町の距離に八丁味噌の醸造所があり宮崎あおい主演の連続テレビ小説「純情きらり」(06年)の舞台になっている。
岡崎城本丸には天守の他に家康の生誕地ということで龍城神社という東照宮の系列神社があり、今回立ち寄った際に引いたおみくじで大吉を引きました☆
なんかいいことありそう♪



・名古屋城…いわずと知れた日本三大名城の1つ(名古屋城・熊本城・大阪城)
徳川家康がそれまで尾張の府城であった清須城から移転し天下普請で作った徳川御三家・尾張徳川家の城。
現在築城以前の戦国時代にも同地点に那古野城の名で城があり織田信長の生誕地であるのは有名な話。(諸説あり)
巨大な天守の他にも隅の櫓ですら小城の天守閣匹敵するでかさである。(そのうち清須櫓といわれる3重櫓は清須城の天守を移築したものと言われている。)
尾張徳川家の居城であるにもかかわらず名古屋城中心の近年復元され今も整備中の本丸御殿は上洛する将軍の宿所専用であり、歴代尾張藩主が使用したことは一度もない。)ちなみに来年からは名古屋市長河村たかしの主導で天守閣の木造復元工事がスタート。天守の木造復元は城郭市場において大変意義のあることなのだが、木造天守の復元で「行くところがない・ダサい名古屋」という圏外のイメージが改善するとは思えないのだが…(私ミカサならトヨタの自動車博物館とか行くなあ…)
ただ、巨大ながらも縄張りが単純なためお城ファンから面白みがないとはよく言われるのが玉に傷。
「名古屋は城で持つ」とまで言われる名古屋の象徴でもあるが、ゴージャスな名古屋人の気質は豪奢名古屋城築城がきっかけに生まれたものではなく、8代将軍徳川吉宗のライバルと言われた尾張7代藩主徳川宗春の経済政策によるもの。
名古屋城の象徴である金のしゃちほこは文字通りの純金製だがオリジナルについては尾張藩の財政難の際に鋳つぶして金の純度を下げたため幕末には光沢が鈍ったみずぼらしいものになり、それをごまかすために金網で覆ったらしい。オリジナルは戦時中の空襲で天守とともに失われ、現在のしゃちほこは二代目。
しゃちほこで思い出したけど名古屋名物の天むす食べ損ねたなあ…しゃちほこの目の前ででっかいエビフライをかぶりついてみたかったなあ…


掛川城…今川氏の家臣朝比奈氏が築城し豊臣秀吉の小田原征伐後に「功名が辻」の山内一豊が関ヶ原合戦まで城主だったことで有名な城。
現在の天守は市民からの寄付によ木造で再建された平成の復元築城ブームの先駆けになったことで意義の大きいものなのだが、幕末の安政大地震で倒壊した際に描かれた詳細絵図面の黒い天守をスルーし高知城天守をベースにした白い天守であるため復元と言えるかどうかかなり疑問。一応高知城天守(高知城天守自体も幕末に再建されたもの。初代を忠実再現したというが…)が掛川城をベースにして建てられたといわれ、その他の絵図面とすり合わせて設計されているためいい加減なものではないのだろうが(実際一豊城主事はこのタイプの園主の可能性が高い)、幕末期の黒い天守の存在を抹消するかのような城内の資料展示はさすがにどうかと思う。
天守には大河ドラマ「功名が辻」の撮影で使われたパッチ―ワーク旗指物が展示されるなど掛川城の山内一豊・千代夫婦推しはすさまじい。
ちなみに掛川城は同時期に同じく天守(正式には御三階櫓)が復元された福島県の白河城をライバル視してるらしいが、復元という意味では残された絵精密な絵図面をもとに正確に再現された白河城の方に軍配が上がるだろうか…
むしろ掛川城再建された天守閣よりもそっくりそのまま現存する二の丸御殿や櫓や城門など方が全国のお城の中でも圧倒的に貴重な遺構であり、そういう意味での見どころはある意味天守よりも大きいものがある。
この掛川城のある掛川中心部はかなりの山奥の盆地にあるため浜松から原付で沿岸沿いに出入りした際に本当に苦労しました。思えば自転車で行った際にいつも茶畑で迷子になったっけか…
昨年の大河「おんな城主直虎」でもある通り戦国大名今川氏は当主氏真が掛川城で籠城した末の降伏で滅亡するわけですが、城と市街地が起伏の激しい山奥の盆地であること考えたら当然の選択だったというのが頷けます。


駿府城…徳川家康が将軍引退後大御所として晩年亡くなるまで過ごした城として有名。
この駿府城の前身は今川義元居館であり、家康は今川氏の人質時代の10年と本能寺の変後の駿河・信濃・甲府平定から小田原征伐後の関東入府までの5年、将軍引退から万年までの大御所時代の10年を合わせた通算25年と家康の人生の1/3を過ごした、生誕地の岡崎城や浜松城よりも家康に縁の深い城であり、家康にとって最も慣れ親しんだ土地柄だったことが伺える。
明治維新以降、駿府城は陸軍連隊の駐屯地として二の丸の堀と地表に露出してる石垣を除いて埋め立て消滅してしまったが、近年二の丸の門や隅櫓が復元。名古屋城の城門櫓に匹敵する巨大なもので徳川家関連の城のすさまじさというのが伺えるものとなっている。
今現在は埋められた本丸の天守台復元を目指して発掘調査中。静岡市民の感情としては天守閣復元も希望しているそうだが、絵巻物の曖昧な絵図面のみしか知られていない為、不可能に近いらしい。





こんな感じです。
東海遠征の当初の計画では東海地方の完全制覇をもくろんでいたのですが、
予想される悪天候のため岐阜県の岐阜城と岩村城攻略を視野に入れるも断念したり、道中のすさまじい寒さに耐えかねて旅の途中で岐阜愛知の県境にある犬山城攻略をあきらめたりするなど討ち漏らしが各所に見られる結果となりました。
ただこれらの城は浜松から長篠を経由して岐阜に入る際にほぼ一本の線にして総なめにすることが可能なので近い将来の原付旅行でリベンジを果たしたいと思います。
当面は夏場の紀伊半島横断をメインにした鎌倉~徳島の原付旅行に専念。今回の遠征で道中にある掛川城と駿府城を攻略したので鎌倉~浜松への進出が大分容易になりました。
こちらの旅の実現に向けて頑張りたいと思います。

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2018/02/11 17:00
そう、原付旅行頑張ってね〜




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