Nicotto Town


つくしのつれづれノート


創作時代小説 兄弟2

源頼朝と源義経。
後世に名高いこの兄弟の人生は初めから順風満帆だったわけではない。
幼少の頃に父源義朝が平清盛によって平治合戦で滅ぼされ、兄頼朝は流刑先の東の辺境の伊豆へ、弟義経は北国の覇王藤原秀衡を頼って奥州平泉へ逃れた。栄華の極みにある平家の陰に隠れて生きていくより他なかったのである。
その間はおろか、この兄弟は生まれてこの方互いの面識は一切ない。

この兄弟が初めて対面を果たすのは父親の滅亡から約二十年後、天下を揺るがす大動乱のさなかのことであった。
 弟義経がこれまでのびのびと過ごしていた平泉をこの身一つで飛び出して戦の中心にいる兄の元に駆けつけた時、兄頼朝は東の辺境である坂東の王者として君臨していた。



 この大動乱はこの兄弟が起こしたものではなかった。
 平家の栄華によって不遇を強いられてた皇族・以仁王が兄弟の一族である源頼政と共に挙兵したことから始まった。平家の栄華の陰で不遇を買った者も多かったため、それらの勢力の協力を当てにしての挙兵だった。しかし準備中に計画が露見し、態勢の整わないまま宇治平等院に追い詰められてあっけなく滅ぼされた。
 しかしこの時、既に頼政によって以仁王の打倒平家の宣旨が全国にばらまかれた後であった。この宣旨は頼朝と義経の元にもそれぞれ届けられた。平家はこれら宣旨の行方をしらみつぶしにに探索させた。
 東の辺境に流された兄頼朝にとっては何もかもが寝耳に水だった。
 元々監視された伊豆の流人として逆境を覆せるほどの勢力もなく、しかも宣旨が届いた時にはすでに発端の以仁王と頼政は滅ぼされた後であった。そして頼政と同族にして平治合戦の戦犯である自分自身がまっ先に討伐されるのは火を見るよりも明らかだった。
 まさに絶体絶命だった。

 結局頼朝はかねてから賛同していた数百にも満たないわずかな軍勢をを率いて動乱に引きずられる形で挙兵した。
 初戦は敵の不意を突いて勝利したがすぐに駆け付けた数千の平家方の大軍に取り囲まれ、兄の拙い軍勢はあっという間に敗走した。頼朝は命からがら相模湾から海を渡って安房へ辛くも落ち延びた。

 そのとき不思議なことが起こった。
 海を渡った兄の元に坂東の武将たちが馳せ参じはじめ、一月も経たないうちに当初数百にも満たない兄の軍勢が数万の大軍勢に膨れ上がったのである。その中には兄を敗走させた敵方の将兵も数多く含まれていた。
 武将たちは兄が味方を募る為にばらまいた書状にあった「都から東の辺境を解放して公平に治めることを約束する」という一節に飛びついて馳せ参じたものだった。所詮は窮地の兄が苦し紛れに取り繕ったハッタリにすぎなかったが、馳せ参じた武将たちはこのハッタリに大真面目に命を懸けた。理由は東の辺境坂東の事情にある。
 坂東は古より都の支配によって搾取の限りを尽くされ、わずかに残った財産をめぐって親兄弟の間でさえも殺しあうことも厭わぬ争いの絶えぬ地域であった。その中で都から坂東を切り離して公平に治めるというものは、誰もが不可能だと思う夢物語であった。
しかしその夢物語を頼朝が実現できると坂東の武士たちはみなした。財産もない流人という立場がえこひいきせずに争いごとを公平に裁いてくれると期待したのだ。
 さら坂東には遡ること百年以上前の奥州戦役で坂東の武士を従え、その戦功を私財を投げ打って労って神の如く崇められた大将がいた。
頼朝の先祖八幡太郎義家である。
頼朝は八幡太郎義家の再来と坂東の人々の眼に映ったのである。頼朝は一躍坂東の救世主となった。

 こうして頼朝に率いられた坂東の大軍勢は都から押し寄せた正規の平家軍と富士川で対峙した。平家軍は坂東軍の威容に圧されて戦意を削ぎ戦わずして敗走した。世にいう富士川の合戦である。
坂東は都の支配から解放され、頼朝が治める独立王国となった。兄は先祖が代々住んでいた相模の鎌倉を武士の都に定めた。
 
 当初都の権力闘争に巻き込まれた形ではあったが、事ここに至ってそのレベルをはるかに超えた次元に達していることを頼朝は実感した。それと同時にこれだけの大軍を「父の仇」などという個人的な私怨で従えることは到底不可能だということを思い知らされた瞬間でもあった。頼朝は覚悟を決めた。
 これ以降兄は自分を頼って馳せ参じてくるおびただしい数の武士迎え入れるため、天下を根底から覆す大事業に邁進していく…



 そういう事情を弟義経は知らない。
 源頼政によって以仁王の宣旨が届いた時、藤原秀衡の加護の元で何不自由なく過ごしていた弟は非業の最期を遂げた父親の敵を討つ絶好のチャンスがやってきたとしか思っていなかったのだ。義経は舞い上がったがあまりにも軽率すぎると秀衡から諫められて一度は引き下がった。しかしその後の続報で伊豆に流された兄が大動乱に巻き込まれ苦戦をしているという一報を知らされた時、この直情的で単純な弟はいてもたってもいられずに制止する秀衡を振り切り、身一つで奥州を飛び出したのである。

 義経が駆けつけた時には兄頼朝率いる坂東の軍勢は富士川で平家軍を打ち破った後であった。
この大勝利の陣中でこの兄弟は初めての対面を果たす。これまでそれぞれ苦難の道を歩んできた兄弟がこの対面を互いに素直に涙を流して喜んだのは言うまでもない。
 兄が従える軍勢を見て弟は感嘆した。頼朝の軍勢は一軍の将から末端の雑兵に至るまで皆死をも恐れぬ精強な軍勢だったのである。そのような数多の一騎当千の荒武者どもを従える兄を義経は誇りに思った。これでいつでも平家を滅ぼし、非業の最期を遂げた父親をはじめとする一族の宿願を果たすことができると弟は胸を弾ませた。

 しかしは頼朝は敗走する平家軍を追撃せず鎌倉に引き返した。
鎌倉に戻ってからの兄頼朝の行動は坂東でなお歯向かう抵抗勢力の駆逐であった。その後で兄は自分に尽くした武将たちの戦功を労い、年若い武者には彼らの為に縁談を用意させた。まだ町らしいものは何もでき上ってない鎌倉臭いて日々祝言の宴で賑わない日はなかったという。
 平家と戦う素振りは一切見られない。弟は落胆した。

 そうしているうちに都で異変が起こった。
 平家の大黒柱・平清盛がみまかったのである。それは都から独立した頼朝率いる坂東の討伐を一族の総力を結集して計画しているさなかのことであったという。
 清盛の死はすぐに鎌倉の頼朝達にも伝わった。この突然の知らせに皆は驚愕した。いずれ来襲してくるであろう平家の大軍勢を迎え討つ必要が無くなったのである。
「富士川で戦わずして勝ち、清盛がポックリ死んだ。我々には福の神が付いている。なんとめでたい事か。」
 兄の旗の下で戦った武士たちが大歓声を上げて喜んだその時であった。
「何がめでたいんだァ!」
 これまで鬱屈した不満を募らせてきた弟が激高した。一挙に辺りは静まりかえった。
「俺たちは憎い父の仇を討つと誓ってに兄上の元に馳せ参じたのではなかったのか?それなのに毎日宴のどんちゃん騒ぎというこの腑抜けた様は何だ!こうやって毎日辺境でウロウロしている間に、この手で殺してやりたかった仇は死に、仇の首をとる機会が永久に失われてしまったじゃないかぁぁ‼」
 義経は泣き崩れた。その姿を前に武士たちは困惑している。
 兄は目の前で分別なく泣き喚く弟の姿にひどく失望した。



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書き直しです。今回から本格的に実名表記にしたので次回以降が書きやすくなりました。





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