Nicotto Town


つくしのつれづれノート


上杉謙信と上越紀行

先々週に鎌倉から原付で上杉謙信のお膝元新潟の上越に行ってきたわけですが、

これまで自転車・原付で何度も行き来した長野(善光寺・松代の長野中心部)から70キロにも満たない距離だけ見れば目と鼻の先にもかかわらず新潟と長野(下手したら太平洋側と日本海側)では
全く違う国と思うくらいの別世界ぶりに大変驚きました
よく区分けで関東甲信越とは言いますが、関東及び長野と新潟とでは山々を隔て冬には未知の大半が閉ざされて断絶するためこの雰囲気は北陸地方や東北地方に組み込んだ方が適切というくらいに気候や文化圏が全く違うわけです。
気候にしても長野と新潟では性質がまるで正反対であり、これが今回の原付旅行で計画を二転三転させた一番の頭痛の種として悩ませることとなりました。(今回決行までに台風が毎週やってきた為天候調査が今までで一番きつかったわけで…今回の旅行に関して鎌倉から最も攻略が容易な越後山脈と飛騨山脈の間にあたる長野の国道18号ルートを活用しました。)

上越の街の光景は上杉謙信が生きてた越後の中心として輝いていた時代とは違い、交通網が限られてる為(新幹線以外の鉄道が第3セクターかJRのローカル線の為上越から上越から一番近い長野・富山・新潟北部の大都市からも二時間ほどかかる。)外部の人間が行くには難易度が高い田舎街になってしまっているのですが、
それ故に地域独特の雰囲気が色濃く出てる為別世界感が半端ないって感じでした。
具体的に挙げると
・豪雪地帯故に角度の付いた三角屋根の家屋が多い
・豪雪対策に二車線なのに真ん中に一車線分のスペースがあり、道路の側面には雪をすぐに流せるよう格子の付いた側溝(水路)が目立つ
・日本海の激しい風雪に耐えるため古寺旧家などの外周が防風林で囲まれている屋敷林が目立つ(これ自体は日本海側限定ではないものの、最近「新日本風土記」で出雲の築地松を見たため余計印象に残った。)
という光景が特に強烈に印象に残っています。


田舎だからということもあるのでしょうが街に必要なモノだけが揃い余計なものはないっていう言い方は悪いですけどなんとなく殺風景もしくはサッパリ過ぎるという感じで、
色に例えると白黒のモノトーンが一番しっくりくる感じ
そういう感想がピッタリくる土地柄でした。
これと同様の印象を持った逸話として有名なのが上杉謙信を主人公にした69年の大河ドラマ「天と地」と(石坂浩二主演)の音楽を担当した冨田勲。
初のカラー大河ということで色鮮やかな音楽をと依頼されたにもかかわらず実際に取材に行った上越で日本海の荒波と豪雪地帯の印象が強く刻み付けられた結果、依頼とはかけ離れたモノトーンを印象付けるOPテーマとなり、それがドラマ全体の色調として浸透していったという話を聞いたことがあります。(とはいうものの現存映像が終盤の川中島合戦の1話分と総集編の一部でしかない為今現在その全貌を確かめることは不可能なわけで…)
https://www.youtube.com/watch?v=fSPyDxGoVg0


今年6月に南東北旅行で米沢の上杉神社(米沢城址)の宝物殿で上杉謙信やその後継者景勝・直江兼続の甲冑を中心とする上杉家の文物をまとめて拝む機会があり、その際に宝物殿の学芸員(?)の方から
「専門家が言うには上杉家のファッションセンスは他の大名家とは一線を画する漆黒の渋みが色濃く出てる」
と説明を受けたのですが、
モノトーンが似合う日本海で荒れ狂う越後で生まれ育った人間だからこそ醸成しえた美的感覚なのかもしれないと上越に行って感じました。
関ヶ原後上杉家は米沢に押し込められたため上杉家の文物の大半は米沢にあるのですが、上杉謙信という人間を理解するためには彼が生まれ育った上越に足を運ばねばムリだなとも思いますね。

しかしこれだけ気候やものの考え方が異なっていたとすれば、上杉と武田が五回も渡る川中島合戦を繰り返すほどいがみ合ったとしても不思議じゃないのかなあ…(なお上杉と武田が手を取り合うのは信玄や謙信がの死後謙信の後を巡って争った上杉の内乱・御館の乱を機に同盟を結び上杉景勝と信玄の娘が婚姻してからのこと。武田はそれから間もなく滅亡するが滅亡後上杉は難を逃れ路頭に迷った武田一族やその遺臣の駆け込み寺となるワケで…)





…で、
上杉謙信って川中島合戦(それも5回!)や関東管領の名目での関東遠征を繰り返しているわけですが、今回の旅行山を越えて上越に行ったことで
謙信が遠征先の信濃や関東の征服を本気で考えてたのがますます疑わしい
と感じたわけですよ。
それに関してはあまりにも長くなってしまったので次回。





ちなみに今回の原付旅行では行き先が新潟ということで上杉謙信の軍旗として有名な毘沙門天の「毘」の旗指物をはためかせて走りました。
これまでのミニ軍旗といった代物ではなく30センチ四方の正方形の大きなものを背中のリュックに取り付けるというまさに騎馬武者さながらの様相となりました。ただこれまでのミニ軍旗以上に安定して一番安全に走れました。
ただあまりにも大きく目立つため、煽り運転や警察から暴走族等のならず者と間違われないために交通の密集地帯の神奈川県内では外しています。
この旅先で旗指物を付けて走るっていうのは「水曜どうでしょう」の原付旅行でやってたのを真似てやってるのですが、その最初の東日本原付縦断で大泉洋が新潟から北海道まではためかせてたのがまさにこの「毘」旗なわけですよ。(相方のミスターこと鈴井が掲げた軍旗は「毘」に相対する「龍」の旗。どうもあの旗、上越まで来て購入したらしい)
私ミカサの「毘」の旗は10年以上前に米沢の上杉神社(米沢城址)・上杉博物館の傍のお土産屋で購入したものですが(旗竿は自作)、結果として「水曜どうでしょう」の再現状態となりましたwww

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2018/10/25 17:26
正直現状100名城の東日本平定においては春日山城と岐阜の山奥にある岩村城(未攻略)が攻略難易度が特に高い印象があります。(上越新幹線を使えばまた別ですがw)

ちなみに上杉神社宝物殿「稽照殿」は山形の米沢城址にあるものであり、東京から夜行バスで一晩で行き来できますよ。宝物殿には謙信・景勝・直江兼続の鎧や「毘」「龍」の軍旗や謙信愛用の坂髄、名君上杉鷹山の文物など米沢上杉家にまつわる数百年分の資料が所狭しと展示されて本当に面白いですヨ(^_^)
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2018/10/24 04:56
みかささん、おはようございます。いつも丁寧にお返事してくれてありがとうございます(*^^*)
新潟駅は東京からでも新幹線で簡単に行けるのに。本当、手が届きそうなのに届かないもどかしさがありそうな春日山城ですね。
私も史料を読んでると、上杉謙信は意外とエグいことするなぁと思ってました。謙信だけじゃなくて戦国武将ほぼ全員に言えることですが。きれいごとだけじゃやっていけない厳しい時代だったのでしょうね。

もし上越の交通網が良くなったら、私も上杉神社宝物殿にぜひ行ってみたくなりました(*^^*)かっこいい甲冑がたくさんありそうですね♪教えてくれて感謝です^^
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2018/10/23 19:42
Mt.かめ様へ…なるほど…それならば諏訪・飯田方面から岐阜の岩村城を原付で攻略するのも行けそうに感じますね(^_^)
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2018/10/23 18:57
私のいる南信は、意外と愛知や岐阜へのルートが(笑)
塩は三河から飯田を通って塩尻まで運ばれたと
聞いております。
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2018/10/23 17:13
Mt.かめ様へ…新潟は隣接はしてるものの関東からも長野(薄皮ひとつで何とか繋がってる印象)山を隔てて切り離されてるって感じがします。やっぱ地新潟は北陸ですよね。古代には北陸新潟は合わせて「越国」と一つのまとまりだったわけですから。

甲信に岐阜…どうでしょうか…?
諏訪から長篠・浜松まで原付で南進した時北信濃以上に山が深い有様に大変難儀しており、長野から西へ行くのは関東へ行くよりも大変そうな気がします。とは言いながら南信州ルートから岐阜の岩村城の攻略をもくろんでいるのですけどねwww
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2018/10/23 09:17
長野に住んでいて思うのは
天気予報が「関東甲信越」という
くくりで、すごく広いんですよねー。
長野は関東より隣接する岐阜や山梨とは
なんとかまとまる気がするんだけど(笑)
新潟も北陸のほうがまとまりがいい気がします♪
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2018/10/23 00:14
ゆりか様へ…長岡以北は低予算の高速バスでも行き来できますし、会津や山形方面からの経由もできるなど楽しむためのバラエティが豊富なんですよね。それ故に同じ上越の春日山城は同じ県なのに手の届かないもどかしさが半端なかったです。

義の人として知られる上杉謙信の「義」は利益を上げて自分の側の人間を隅々まで生かし秩序を持って国を保つためにどんな汚い手段も厭わないという古今東西の支配者に不可欠な政治理念じゃないかと思ってます。少なくともきれいごとではないと思いますよ。

上杉家の美的センスについては米沢の上杉神社宝物殿に行ってみるとわかりやすいですよ(^_^)甲冑などの作りも他とは違って大分特殊なものもありましたし…

今回は本当に騎馬武者状態だったので目立ちました。組み立て式に作ったので原付を降りたら解体してますが走行中は手を振る人がやたら多かったように思います。でも走行範囲の大半は敵地武田領の甲信だよなあwww
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2018/10/22 23:56
大潮様へ…この場合山を越えるとって感じですね。
毘沙門天の旗がということではなくあれだけ大きな旗をはためかせると安全性はあったとしても要らぬトラブルを招きかねないんですよ。特に都市部ほど煽り運転にあったり・警察にとがめられそうで…
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2018/10/22 15:34
みかささん、こんにちは。
上越って行くの大変なんですね。下越なら行ったことあるのですが。
今でもそんなに大変なら、戦国時代の上杉謙信が関東遠征するのは、ものすごーく大変そう。
謙信が信濃や関東の征服を本気で考えてなかった?元々、義のため請われて戦してたって人ですものね。みかささんの解釈を楽しみにしてます(*^^*)
私もあまりにも派手なものより、モノトーンのが好みです(*^^)v
上杉家のファッションセンス良さそうですね~。
旗指物って、本当にあの旗指物だったのですね。それは目立ったでしょう。謙信ファンの人から声かけられませんでした?
読んでるだけで楽しくなる旅レポですね♪
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2018/10/22 02:02
トンネルをぬけるとそこは雪国だった
ですね
毘旗がなんで神奈川では暴走族になっちゃうんだろう?





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