Nicotto Town


つくしのつれづれノート


関西徳島旅行のお城巡り(東日本制覇第一弾)

先日の正月旅行のお城巡りについて。

今年旅行並びお城巡りについては一つの目標に沿って遂行するつもりです。(すべての旅がそうだとは言いませんが…)
そのスローガンが
東日本平定
完全とは言いませんがこれは兵庫県を除く関西地方から東北最北端の青森まである100名城の制覇を目論んでいまして、
その東日本制覇の第一弾といてやったのが関西徳島旅行のお城巡りなわけです。

今回の旅行で行ったお城は以下の通り


姫路城(兵庫県)
…100名城で世界遺産。この姫路城だけで字数が3000近くに膨れ上がったために申し訳ないんですが別の記事に分割してここでは割愛します。

明石城(兵庫県)
…100名城。大阪の役で豊臣家滅亡後徳川秀忠に命で譜代大名小笠原氏が築城し、西国大名を監視する幕府の重要拠点だった。(同様の機能は池田氏以降の姫路城も同様に幕府の重要拠点だったが立派な城と反対に要衝・病弱・無能な城主が相次ぎ18世紀中ごろに入府した酒井氏が定着するまで頻繁に大名が交代する有様だった。)
現在は広大な城跡の本丸に4基あった三重櫓のうちの二つが現存し、阪神大震災による損傷の修復の際に両櫓を結ぶ土塀が復元されJR明石駅プラットフォームからから眺める光景は赤史上最高のビューポイントとしておススメ。(ちなみに天守台はあるものの天守は建てなかったとのこと。天守台の規模からもし天守があれば熊本城に匹敵する大きさになるとのこと)
また明石城の町割り(城下町の都市計画)と城内の庭園設計は剣豪・宮本武蔵が手掛けたものあり(宮本武蔵はと小笠原氏は養子宮本伊織が小笠原氏に仕え幕末まで代々家老を務めるなど関りが深い。そして武蔵は剣豪にとどまらず芸術をはじめとした文武あらゆるジャンルに秀でたマルチ人間でもある。)、樹木屋敷と呼ばれた武蔵設計の庭園は現在城内にある競技場となってしまったものの庭園自体は主郭部南の城内の米蔵屋敷の位置に移され今に至る。
なお小笠原氏は城ができてすぐ九州の小倉城へ転封なり、いくつかの大名交代を経て越前松平家の一族の入府で定着したそうな。
今回100名城スタンプは設置施設である管理施設が正月休みなためはじめからゲットは諦めていたのでしたが、いざ管理施設をのぞき込むと
鍵のかかったガラスドアのむこうのすぐ手の届く位置に100名城のスタンプが…‼
無理と頭ではわかっていても目の前のエサが食えないこの有様はさすがに悔しいものがありましたwww
今度は必ずスタンプゲットしたいものだなあ…

大阪城(大阪府)
…100名城。いうまでもなく太閤秀吉の居城にして豊臣家滅亡後の幕府の西国支配の最大拠点なのはもはや誰もが知る所なので割愛。
大阪城の前身は織田信長と10年戦争に明け暮れた石山本願寺なのですが、大阪城本丸の形状から石山本願寺建立以前は日本最大の仁徳天皇領匹敵もしくは上回る規模の巨大な前方後円墳だったのではという説があります。(上から本丸を見ると前方後円墳に見えなくもない。石山という名前の由来が古墳の表面を覆う葺石に由来するのではとも)
現在の大阪城は大阪の役で滅亡した豊臣氏の大阪城を埋め立てて作り直された徳川大阪城の遺構で今の天守閣も徳川時代の天守台に黒田長政の「大坂夏の陣屏風」(戦国のゲルニカと評される大阪城最大の至宝)をベースにした鉄筋コンクリート製の3代目である(ただし色については最上階が豊臣時代の黒、以下は徳川時代の白に配色されたハイブリッド。)
ただしこの3代目は戦前の1931年に再建された復興天守の第1号にして再建からもうすぐ90年が経過する歴代大阪城天守最長寿となる代物でありこのコンクリート製の天守自体が既に国の有形登録文化財となっているため決して疎かにできない。
ちなみに大阪城は維新後日本陸軍の第四師団(前身は大阪鎮台)が置かれ今も大阪城天守の傍には第4師団司令部の庁舎が今も現存(戦後は大阪府警・市立博物館を経て今は飲食を兼ねた複合施設)する。
これまでも何度も行ってるお城なのですが、今や建築遺構が大分失われているにもかかわらず石垣の規模がすさまじく圧倒されてしまいます。石垣だけなら姫路城はおろか江戸城すら問題にならない日本最大の総石垣の城なのは間違いなく、石垣天守のお城の本場が西国であることを再認識させられます。(江戸城は石材に乏しい関東の城であり半分は土塁で構成されている。)
私ミカサが行ったのは1/3なのですがさすが大阪は西国一の大都市なだけあって正月の姫路城とは比べ物にならないほどの観光客であふれかえる過密状態であり、天守閣内はその観光客が集中する阿鼻叫喚の有様を呈してゲッソリしました。外国人がめっちゃいました(特に中国人と韓国人が多かった。彼らはここが日本陸軍の重要拠点だったことを知ってるのだろうか?天守の目の前に旧師団司令部があるのに…)今後日本の外国人観光客が3千万を超え4千万に差し掛かるとまで囁かれている中でもうかつてのようにゆったりと天守の中を見学するのは無理だなと思いました。
まあ石垣や周辺の絶景ポイントで大阪城の全景を堪能するだけでも大満足ですけどね。





今回の100名城攻略において初攻略なのは姫路城なのですが今回の旅ではおまけの攻略に過ぎず、今回はかつて旧スタンプ帳で攻略済みの大阪城をメインに据えています。
今回の大阪城攻略で新スタンプ帳の兵庫以外の関西制覇が完了しました。
はっきり言って今回の旅は正月の大阪城の開城日に合わせて計画しており、正月に大阪城が開いてたら姫路城まで手を伸ばすことはなかったでしょうね。

東日本平定計画は今回の正月旅行を皮切りに全部で6段階の展開を想定しており
第3弾がGW後の岐阜長野県境にある岩村城(新旧スタンプ帳の東海唯一の空白地帯)を目指す原付旅行
4弾以降が北陸・新潟北部~北東北・新スタンプ帳の空白地の白河城というふうに行けたらと思います。
必ずやり遂げると言い切ったら無理をしてご破算になりかねないので今年1年を大いに楽しむゆる~い目標として取り組みたいと思います。
…で今日の夜行バスから始まる京都二条城~愛知犬山城までの関ヶ原ルートの旅を東日本平定の第二弾として新スタンプ帳の北陸・東北をメインに手を伸ばす土台を固めます。(旧スタンプ帳では攻略済み)
兎にも角にも無理をせぬよう頑張りたいと思います。

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2019/01/13 17:19
ゆりか様へ…東日本平定はあくまでゆるい目標ですけど実際に達成の目途がある程度たってるのでスローガンに掲げました。仕事の変化で年内の達成は不明ですが少なくとも目標の6~7割は完了したいところです(^_^)

明石城が熊本城に匹敵するのはあくまで天守台の話です。天守閣自体は全時代通じて築かれたことはないんですよ。(主郭部の大きさ自体はどっこいどっこいのようにも感じますが、熊本城は過度な防御力と建築物の過密で住居や政庁には向かない印象もあります。)
城のメインの建造物が本丸の三重櫓二基とそれを結ぶ復元土塀だけなのでそれを真正面からちょうどいい高さで眺められるのが駅のホームって感じなんですよねw
スタンプについては兵庫県内を制覇する際に再挑戦します。

今の大阪城天守は豊臣と徳川の融合の意味合いを持ったデザインらしいです。天守の形状は「大坂夏の陣図屏風」の豊臣ベースで最上五層は豊臣の黒・以下4層は徳川の白で天守台も徳川時代ということでどっちかに統一するつもりはないみたいです。
大阪城の観光客は間違いなく年々増えてるように思います。行くのであれば平日の少なそうな日を狙わないと大変だと思います。ただ天守内部の豊臣関連を中心にした資料は逸品だと思います。あれを一日眺めるだけでもおなかいっぱいだと思います(^_^)

関ヶ原ルートを終えて3日ほどたちようやく疲労と休み明けの仕事も一段落したのでそろそろ関ヶ原ルートの記事も書きたいと思います(^_^)
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2019/01/08 12:19
こんにちは、みかささん。

東日本平定とは、大きな目標ですね~!
明石駅から眺める明石城は、そんなに最高のビューポイントなのですか。
眺めてみたいですね(*^^*)
熊本城に匹敵する大きさだったなんて、そんな大きな城だったとは。
西軍大名を監視するための重要拠点というのも納得ですね。
ええ~?!宮本武蔵ってそんなことまでやってたのですか?剣豪なのに芸術家。
もっと無骨なイメージでした。あの肖像画が…ねぇ。いやはや恐れ入りました。
あと一歩でスタンプゲットでしたのに、残念でしたね。
見える距離にあるから、より一層悔しさが増しそうです。元気出して下さい。
大坂城は三代目だったのですか。最上階が黒で、下は白だなんて、何だか不思議。九鬼嘉隆の鳥羽城も海側は黒で陸側は白だったようです。白だと反射して漁に影響が出るとかで。もう残ってないけど。
大坂城は行きたいのですが、天守閣内が阿鼻叫喚の有様と聞くと尻込みしちゃいますね。
そんなに凄いのなら、石垣だけでも見たくなりました(*^^*)

無理して体調崩したら大変なので、ゆる~く楽しめるといいですね。
今頃、関ケ原ルートを巡っている最中ですか。お気をつけて。
今回も城レポ楽しかったです。ありがとうございました(*^-^)




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