脳活『為ブログ』338
- カテゴリ:日記
- 2016/01/08 11:44:06
寒風の中に新芽が。
人間社会の動きよりも自然の胎動の方が正確に季節の変化を見極めている。葉っぱが落ちて坊主頭になった木々の枝に新芽が膨らみ始めた。庭先の梅、桜、アジサイなどの枝先に春の準備が少しづつ出始めた。何も、世の中を不安視ばかりする必要はないだろう。次の展開の局面を正確にキャッチすることである。毎日、同じことの繰り返しのように映るが、自然にも社会現象であっても、同じことは二度と来ない。チャンスは必ず到来する。
分析力が付いたかどうかは、失敗からくる反省の教訓を、どれだけ活かせるかにある。と言っても、確たる自信があるわけではない。自信は一種の思い込みであって、錯覚でもあるかもしれない。千里眼というか、一歩先を読めたらいいのだが、それが出来ないところに不安と邪念が錯綜する。迷ったら、休めという教訓があるから、分からない時はじっとしているしかない。なけなしの知恵で短気を起こすより、バカ、とん馬を決め込む方がいいかもしれない。
こんな時は気分を変えて、音楽とか小説でも読むことだ。堀内孝雄のCDが回っている。「昔からウイスキー」から「10代のように」と曲が続く。もう一杯の歌詞からFALL IN LOVE AGAINと続いていく。そう言えば、初夢も見なかった。夢を見る力もなくなってきたのかもしれない。夢の老化。「遥かな轍」には『こうとしか生きようのない人生がある』という歌詞になっている。
そうかもしれない。自分の甲羅に似せてしか穴は掘れない。それは自身の持つ体臭というものだろう。匂いは親と子でも、仲良し同士でも、同じものを食べていても異なるものである。千差万別というのは、何といい言葉だろう。違いこそ永遠なりだ。違いがあるから、理解が生じる。同じでないから愛が出てくるのだろう。百人一首に坊主が出てくるから、坊主めくりの楽しさと笑いが出てくる。ワハハといきたい。
人間社会の動きよりも自然の胎動の方が正確に季節の変化を見極めている。葉っぱが落ちて坊主頭になった木々の枝に新芽が膨らみ始めた。庭先の梅、桜、アジサイなどの枝先に春の準備が少しづつ出始めた。何も、世の中を不安視ばかりする必要はないだろう。次の展開の局面を正確にキャッチすることである。毎日、同じことの繰り返しのように映るが、自然にも社会現象であっても、同じことは二度と来ない。チャンスは必ず到来する。
分析力が付いたかどうかは、失敗からくる反省の教訓を、どれだけ活かせるかにある。と言っても、確たる自信があるわけではない。自信は一種の思い込みであって、錯覚でもあるかもしれない。千里眼というか、一歩先を読めたらいいのだが、それが出来ないところに不安と邪念が錯綜する。迷ったら、休めという教訓があるから、分からない時はじっとしているしかない。なけなしの知恵で短気を起こすより、バカ、とん馬を決め込む方がいいかもしれない。
こんな時は気分を変えて、音楽とか小説でも読むことだ。堀内孝雄のCDが回っている。「昔からウイスキー」から「10代のように」と曲が続く。もう一杯の歌詞からFALL IN LOVE AGAINと続いていく。そう言えば、初夢も見なかった。夢を見る力もなくなってきたのかもしれない。夢の老化。「遥かな轍」には『こうとしか生きようのない人生がある』という歌詞になっている。
そうかもしれない。自分の甲羅に似せてしか穴は掘れない。それは自身の持つ体臭というものだろう。匂いは親と子でも、仲良し同士でも、同じものを食べていても異なるものである。千差万別というのは、何といい言葉だろう。違いこそ永遠なりだ。違いがあるから、理解が生じる。同じでないから愛が出てくるのだろう。百人一首に坊主が出てくるから、坊主めくりの楽しさと笑いが出てくる。ワハハといきたい。
学生時代、アイドル夢中から、徐々に、フォークの「アリス」とか、
いわゆる、ギター系、ピアノ系に、私達も?目覚めていく。
ウンチクいいなー。
年が明けたと思ったら、今日もう節分の恵方巻の予約が始まっていました。
早すぎます(^^;)
父が生前、笑点が大好きで、毎週観ていました。
私もおつきあいで(笑)
そのとき、ちょうど今ぐらいの時期だったと思うのですけれど、歌丸さんが、
「月日の経つのは早いもので、今年もあと11ヶ月と3週間くらいになりました。
暮れの準備はよろしいですか?」
なんてご挨拶されてました。
確かに早くて、笑えないです、今・・・(爆)
ああ。わかるなぁ。
自然の摂理っていうのかしら?
人間の感覚より、はるかに正確で。
季節の移り変わりに対する反応・流れ。
暖冬だろうが冷夏だろうが。
キチンと伝えてくれるんだよね。
なんや、改めて色々考えさせられましたわ。
いつものことだけど(笑)
ごまさんのブログは、ホンマためになるのよね。