Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌579号

  葬儀難民の時代が来る。
 親戚の葬儀で某市に行った時のことである。火葬場が住宅地の中にあったので驚いてしまった。これは火葬場が出来た頃は周辺に家は建っていなかったのではないかと思う。何故なら、火葬場の新規建設に反対する住民が多いからだ。人間の一生は生老病死である。死は平等に全ての人に迫っている。生まれた以上、必ず死ななければならない。理屈は要らない、生きるという生命の絶対的な限界があるからだ。つまり、生き物は死ぬことを前提に神様が作られたものなのだ。それは物質に半減期というものがあるのと同じ、元素であっても消滅していくのです。煌めく星座の星であっても滅んでいく。小さな生命体に寿命があって当然です。

 大昔は土葬であった。考古博物館に行けば、甕とか石棺に埋葬されていた死者の状況を見ることができる。火葬になっていくのは天武天皇の時代からである。仏教の伝来に影響されている。葬送行事も歴史と共に変遷してきた。現代では高温のガス室で一気に焼くのが普通である。できるだけ匂いが出ないように設備されているので臭気が漂うということがないと思うが、近隣住民にしてみれば、火葬場から離れて住みたいと考えるのは当然だが、人の住居はいろんなところにあるので、どこかで折り合いを付けなければ火葬場は建設できない。

 バブルの頃、有名な温泉リゾート地に土地の分譲があって地元の人に連れられて見学に行ったことがある。風向きの関係か、風に匂いがあって、近くで野焼きでもしているのかと尋ねると高台の麓に火葬場があると説明された。これで地価が安くなったらしい。ところで、2025年団塊の世代が後期高齢者になれば、火葬場は超満員になり、焼き場は不足するという。死ぬ時まで、すし詰めかよ!という声が聞こえてくる。




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