Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌685号

   全体像を早く掴む。
 難問と感じるのは、意味が把握できていな時である。パッと見て、一瞬に問題の意図を把握できる奴が優秀なのだ。この能力があれば、くだくだした文章を書かなくてすむ。一周遅れのランナーは全体像を理解しようとしているうちにビリになってしまうのである。こうなると順位という意識は飛んでしまう。小学校の耐寒マラソンを思い出した。スタートの笛が鳴って、一斉に校門を出ていく。この塊の中にいたY君の靴の紐が切れたのである。ビリを走っていた私は校門前で靴の紐を修繕しているY君の姿を目撃していた。私は五分の一ほど走って、お腹が痛くなり、先生に申告して中途で引き返した。

 便所から出て、誰が一番で帰って来るかと校庭で待っていると、一番でゴールしたのは靴紐が切れ、スタートの遅れたY君であった。Y君にとって、スタートの順位は問題でなかった。Y君と集団との競争は勝負にならなかった。抜きん出るということは、こうしたことなのだろう。しかし、田舎の天才、神童が都会という競争社会の中で埋もれていく話は沢山ある。Y君が、その後成長して、どのような走りを見せたのか知らない。そもそも走りにY君が、どれほどの関心を持っていたのかも知らない。私の記憶の中で校庭に走り込んできたY君の姿が今も残っている。

 私は、社会とか歴史とか、人間とか、善とか悪とか、こうした抽象的な概念の全体像を把握できないまま、老齢に達しても同じことを性懲りもなく考え続けているが、こうした性格はどのような分類に入るのだろうか。たぶん、その他というジャンルになるのではないかと思う。最近、このことに気付いた。




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