Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌822号

   イデオロギーとは。
 生きるということは、物があるかないかということもあるが、まず第一に意識的なものなのである。大きな屋敷に住んでいても、蔵に金銀財宝があったとしても、どのような意識で生きているのか、これに尽きてしまう。昔、こんな事件があった。不動産取引で莫大なお金を儲けた人がいた。銀行に預けるのではなく自動車の車庫に万円札の束を段ボールや箱に詰めて保管していた。札束を数えるのが疲れるくらいの量であったからだ。だから、親の死後、娘たちは現金がいくらあるのか、知らなかった。数え切れなかったからである。お金ほど貴重で便利なものはない筈なのに、数え切れないほど保有すると、感性の次元が違ってくる。どんな感覚人間になるのか、死ぬまでに一度味わってみたいが、不可能というより異次元の奇夢でしかない。

 こうした事例に見るように、生きるということは、自分なりに生き方の決めごとを持っている筈である。自分の生き方は、こうすることなのだという意識的な観念を保持して生活している。諸個人みんながそれぞれの感性の下に一定の生き方のイデオロギーを持って生活している。これが大切なのではないだろうか。各自の生き方の個性を大切にすること、国の法律はこうした観点を保証するものでなければならない。国が教育を重視するのは、国民の各自が好き勝手な意識を持つことを恐れているのである。教育という制度で国民の意識を一定の枠の下に収めて、一定の方向性をもって生活をさせようとする。極端に言えば、国防意識というものである。国際的な時代の中にあって敢えて国防意識を意識させようとする。この方向性は悪ではないが、一歩誤ると国防の名のもとに各自の人権を踏みにじることにもなりかねない。イデオロギーは自由か抑圧かのリトマス試験紙になるわけである。

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2017/06/04 10:39
ごま塩ニシンさん、こんにちは。

やっぱり「生きる」って、何かの目標が要りますよね。
その目標が何なのかは人それぞれでしょうけれど。

お金はその目的を成し遂げるための手段であって、目標そのものではない・・・
ここ、うっかりすると取り違えちゃいそうで怖いです。



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