Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌924号

   時代は変わった。 
 朝、町内会長さんが訪ねてこられて、敬老の祝いを頂いた。千円の商品券である。有り難く受け取りました。町内会といっても、行事は特にない。昔は子供会、婦人会、観音講などがあったが、今は何もない。町内会長さんと言っても、私より六歳も年上の方である。町会の年齢構成が高齢化している。道路で子供が遊んでいる姿は見たことがない。私の家の周辺は元農家の人ばかりなので、昔は町と言うのではなく、村と称されていた。当然、この村組織は現存している。私の家は85年ほど前に引っ越してきた外来種で、祖父が商売をしていたから農家ではない。

 私が小学生の頃、農家の家には牛が飼われていた。田植えをして、秋になれば米の収穫もなされていた。戦後、都市化が進み、近くにあった農業用のため池が埋め立てられて、住宅地になった。高度成長の中で田圃や畑は住宅地となり、米を耕作していた農家は田圃にマンションやアパートを建て、資産家となっていった。今、田植えをする家はなくなった。時代は変わったのである。しかし、町内にある稲荷神社や集会所は村の遺産として管理されている。こうした条件の町会は全国至る所に存在すると思う。日本は工業国と自負しているだろうが、日本人の心の根底には、農業国の影が色濃く残っている。こうした経済の昔物語の中に日本人の精神の底流があるということを、文化社会学として研究している学者がどのくらいいるのであろうか。

 最近、明治維新以降の日本の近代化について再検証しようとする傾向がある。これはいいことだと思う。薩長藩閥政治と言われるくらい、明治の社会経済体制は維新を推進した人脈によって変形されてきた歴史がある。維新から太平洋戦争の敗戦までの期間を、もっと客観的に再検証する必要があろう。どのような偏りがあったのか、これは時間をかけて歴史分析して欲しい。なぜなら、明治維新後、1945年の敗戦まで78年位しか経過していない。これは短いとされる奈良時代の歴史期間と同じ時間経過である。飛鳥時代(王都の所在が違ったとしても)、平安時代、江戸時代と比較した場合には短いと思う。どこかに問題が潜んでいるとしか思えない。冷静に再検証していくのが歴史分析だろう。この必要があると思う。

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2017/09/18 16:19
私が子供のころは町内会の行事も充実していて
町内運動会、町内海の会、盆踊り大会など充実していましたよ。
今は年に一回町内子供会の行事も参加者も少なくて
取りやめになることもあります。
上の子供たちが小学生の頃は私も町内の役員をしましたが
夏休みのラジオ体操も10日くらいで終わり
町内プールも日程が少ししかなかったです。
25年くらいで変わってしまうものなのだなぁと感じていました。
時代が目まぐるしく変わってきているのでしょうね。



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