Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌980号

   命は尊厳なり。
 毎日報道される虐待や殺人事件。命の尊さが失われつつある。事件が起きても、少々なことでは驚かなくなった。暴力行為に麻痺すれば、大変である。そもそも人間の本性には暴力性が潜んでいる。これを道徳や文化、教育によって命の尊さを学んできて、暴力はいけない、人権を踏みにじってはいけないと教え込まれてきた。この価値観に立って社会というものが形成されている。セクハラにしても一種の暴力である。人を見下したりすることも人権無視の暴力である。いじめも暴力。理由もなく相手を痛めつけるのは許されない。暴力の極限が戦争である。

 家庭であっても、社会であっても、暴力は許されない。言葉も暴力になる。人間の感性を傷つけることは暴力である。精神的な圧迫も暴力である。視線を向けるだけでも暴力になることがある。一人の人間を数人で囲んで圧力をかけるのも暴力である。バカ、阿呆と呼ばわることも暴力になるかもしれない。自由とか民主主義を考える場合に過半数で押し切るのも、一種の変形暴力だと思っている。ところが、この過半数暴力が政治の場では正当だとされている。ここに限界が出てくる。過半数という数さえあれば、何をしてもいいという風潮が、一般的に暴力を醸成する温床になっている。それでは、少数意見を尊重して何も決まらないのが、いいのかとなってくる。

 妥協点というか、なかなか折り合えないのが自己主張である。過半数で押し切れば、暴力になる。どうするのか。話し合っている内に興奮して、相手を殴ってしまう場合だって起こってくる。基本的なことは時間をかけるしかない。自由とか民主主義制度は過渡期にある。賛成する人も反対する人も、はっきり言って未熟なのだ。これからの人類の歴史の中で、こうした問題をどのように解決していくのか。これこそ未来の大きな課題である。焦ることはない。じっくり時間をかけて21世紀の課題として位置付けていけばいいわけである。しばらくは、融合点が見つからない間は、裁判所の判断に委ねるしかないだろう。本当の自由とか民主主義は裁判制度のない社会だろう。こんなことを空想している。すべてが未来の課題だ!




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