Nicotto Town


ごま塩ニシン


すれ違った影の交錯(2)

 母が入院している介護病棟の部屋から大野明美は回想していた。眼下に佐治川があった。川幅は十メートルほどだが川堤に桜が植えられ、春になると病棟から花の絨毯が見渡せた。病室は2人部屋で窓側が大野千代乃、ドア側には母より三歳ほど年配の患者が入院していたが、1か月ほどで退院すると、翌日には別の患者が入ってきた。母の回復が遅れているのは認知症状が出てきて、リハビリにも熱心になれない状態が続いている。食事もあまり食べない。筋力の回復が遅れてくると気力が減退し、負のスパイラル現象になる傾向にあった。
 朝食も食べたのは三分の一ほどで、「食べないと元気にならないから。」と語気鋭く言っても、手を左右に振り、「味付けが口に合わない。」と病院食の内容に文句をつけた。明美はプリンを買って来たり、ケーキを食べさせたりしたが、こんな小手先だけではしっかり立って歩けるだけの筋力はなかなかついてこなかった。母のことを考えると、明美自身も母と運命共同体のように思えてならなかった。
 そもそも大野という姓は母が再婚してからの名前であった。もともと、母は西沢という姓であった。さらに言えば、独身の時は今福であった。母の父はインテリア関係の仕事をしていた。アルバイトのつもりで父の仕事の手伝いをしていた母は取引先の営業マンであった西沢雄介を好きになって結婚した。この結婚の1年後に信州へスキーに出掛け、帰路の高速道路でスリップ事故を起こして車は大破、運転していた西沢は即死した。母も腕の骨を折る重症であったが、入院することもなく通院だけで回復できた。だが、この治療中に母は妊娠をしていることを知った。西沢の子供を自分の手で育てたいと決心し、生まれてきたのが明美であった。
「お母さん。よう、私を生んでくれたわ。お母さんの決断がなければ、私はこの世に存在できなかったかもしれないわ。」と明美は、何かある度に母親に言った。あまり会話もせず、眼をつぶると母はベッドで眠り始める。
「お母さん。寝てばっかりしているとボケる。」と明美は声を荒げるが、1日中病室にいて監視することができないのが悩みの種であった。母は父の援助も借りず自分の稼ぎで明美を育てようと思い、新地のスナックに働きに出た。5年ほど勤めてベテランと言われるようになった頃、大野伸吉に求愛され、再婚したのであった。ところが、この大野伸吉も血液のガンで五十半ばで他界したのであった。




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