Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌1052号

   裁量と忖度。
 これほどメダルの裏と表を現わす言葉はない。どちらも根底の意味は同じである。辞書によると「裁量」は、「自分の考えで問題を処理すること。」(スーパー大辞林)と解釈がついている。「忖度」は、「他人の気持をおしはかること。」(前掲書)と説明されている。つまり、前者は自分で判断して自分で処理するが、後者は相手の気持を推測して自分なりに処理するやり方である。どちらも、最終的には自分で処理することになる。この結果として、自分が得するか損するかであるが、他人を利することによって自分も損得を共有するという点では同じことになってしまう。

 働き方というのは、即、経済界の欲求からきている。企業というのは労務費にかかる経費総額をできるだけ節減したいという原則を持っている。売り上げが伸びなくても、労務費さえ節約すれば、利益が出てくるからだ。こうした経済界の要求を法案として定着させていくのが政治家の役割である。法案は財界と政治家との間を取り持つ賢い官僚が文案を作り上げていく。この骨格が固まれば、議会に提案され、審議された後に法律になる。ところが、この審議たるや、議員の数で、何事も決まるものだから、骨格が大幅に修正されつことは少ない。

 経済界=政治家=官僚という三角関係の潤滑油として、「裁量」や「忖度」という言葉が暗躍する余地があるようだ。これは、あああー、なあなあの世界である。当事者以外には分からないようになっている。正直に言っては駄目、ダメの世界である。昔から闇という表現があるが、日本の黒い闇と霧は存在しているのである。黒い霧なんて表現をすると松本清張を、つい思い浮かべてしまう。時代は進んでいるように見えて、停滞している部分はしつこく内臓脂肪のごとく中枢の臓器にへばりついている。日本の心臓部に、こってりと脂肪が覆いかぶさっている現状を、多くの人は気付いている筈である。関係者の多くが、そう感じている。新保守なんて発想は一種の焦りである。だが、保守と言えども、思考を再生しなければ、将来が見えてこないという危機感を抱き始めている。心ある人はいつの時代も出てくるものである。どういう切っ掛けで顔を出すのだろうか。楽しみである。

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2018/02/24 07:51

今後、日本がどうなっていくのか心配ですが
流れに身を任せるしかないのですかね><。




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