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ごま塩ニシン


おすがり地蔵尊秘話(20)

 静次のひき逃げ事件は目撃証言や防犯カメラの確認ができていた。偶発的に発生した事件と思い、私は静次の通夜に臨んだ。当然、妻の秀子も来ていた。参列者の多くは静次の妻の姻戚関係の人が多かった。私自身、通夜に顔出しした人のほとんどと面識がなかった。というのも静次は学生結婚をして、正式な結婚式を挙げていなかったからである。大学を卒業してからも、期間工として働き、家業の印刷業に戻って来たのは母親が亡くなってからであった。
 この不幸なひき逃げ事件は、残された親族にとって救いの神となった。経営者大型保険に会社として入っていたから、社長の古川静次の死亡で1億円の保険金が会社に入ってきた。会社に借金だけ残して、死んでしまった静次の父親に懲りて、静次の妻が経営者大型保険に入っていたのが幸いした。轢き逃げによる死亡という社会的配慮からか、保険金も直ぐに入金されて、借金まみれの印刷会社が一気に息を吹き返したのであった。静次の妻の君子は目先のきく手腕家であった。
 私には妻の実家の不幸な出来事であったが、葬儀に伴う儀礼が終ると、やっと創作活動に専念できるという印象しか残らなかった。ただ、ひき逃げ事件が世間に知れ渡って、私の義弟が亡くなったということを聞きつけて、家主が弔問に来てくれた。何も喋っていないのに世間は狭いもので、事件の概要を知っていた。
「まだ、犯人は捕まりませんか。」
 別れ際に家主が訊いてきた。
「証拠品を、たくさん残して逃げているようですから、その内に逮捕してくれると思っているのです。」
 こう返答するしかなかった。
 この日、弁護士の藤森勇気も訪ねて来た。
「なかなか、いい所じゃないですか。ここなら、じっくり構想を練って、名作が生れそうですね。」
 藤森は皮肉交じりに感想を述べた。葬儀に参列してくれたが、私は当日、親族側の席にいたので黙礼しかできなかった。こうして私の寓居に訪ねて来てくれようとは思っても見なかった。
「義弟のことでお世話になって、また、とんだ結末になってしまって、何と言ったらいいのか、人生って、先が分からないね。」
 私はこう言いながら、コーヒーでも入れようと思った。




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