Nicotto Town


ごま塩ニシン


おすがり地蔵尊秘話(24)

 悪酔いした時に見る夢は恐ろしいものであった。
 私は夢の中で戦場にいた。眠っている顔の周辺を弾丸がピューン、ピューンと音たてて飛んで行く様子がわかった。あのレマルクの西部戦線異状なしで見た光景であった。映画を見ているようで、空想しているようで、どうして自分が、こんな危険な場所に寝ているのか不思議であった。やがて、轟音が接近してきた。何かジーゼルエンジンを吹かす音が迫って来たのだ。私は恐怖に震える体を自分の腕でしっかりと抱きしめようとしていた。
 ガラガラと家屋を踏みつぶす破滅的な音の中で私は必死にもがいた。ドーンという凄まじい音響と共に家屋が大きく振動して、全身が圧迫された。私は自分の両足が巨大な重力で踏みつぶされた恐怖を感じ、上半身を反射的に起こした。夜明けの薄明りの中で目を据えると、庭に面した硝子戸が打ち破られ、土砂が怪獣となって黒く蠢いていた。自分の目の前で現象している事態に私は本能的に避難場所を探した。恐怖の中の行動であったが、何故か建物から逃げ出したわけでもなかった。なぜ屋外に脱出しなかたのか、後刻に振りかえってみたが、はっきりした映像が記憶に浮んでこなかった。
 雨が破れた樋から溢れ、土を掘り下げていた。稲光が頭上で走った。昨夜の酒は一滴も残っていなかった。二日酔いによる悪夢ではない。集中豪雨が庭の背景にある山の斜面を流れて、土石流が発生し、土砂が庭を覆って、硝子戸を踏みつぶし、部屋まで流れ込んできていた。しばらくすると、雨音も弱くなってきた。恐らく、夢を見ている間が、もっとも雨量が多かったのだろう。水を多量に含んだ山裾が崩れたのであるが、規模が大きくなかったので建物の倒壊するほどの被害ではなかった。土石流が雨戸をぶち破っただけであった。
 部屋の電気がついたので私の恐怖心は和らげられた。土砂に埋もれて死んでしまえば、悲劇だったと思ったが、冷静に観察して、電気が通っているのなら、水道も異常がないことが安心感を増した。私は電気ポットでお湯を沸かして、コーヒーを飲むことにした。恐怖というものは、正確に事態を掌握していけば、薄らぐものであった。気分を平常に保つためにラジオを聞いた。流れてくるラテン音楽は別世界からの贈り物のようであった。この落差を創作にすれば、いいのだと感じた。
 家主の老婆が土砂崩れにびっくりして声を掛けてきたのは、1時間後であった。おそらく熟睡していて、事態を把握できなかったのであろう。外に出て来てから異様な光景に気付いたのかもしれない。




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