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ごま塩ニシン


おすがり地蔵尊秘話(32)

 1カ月ほどが、あっという間に経過した。托鉢僧の運善は地蔵尊への参拝者が途切れることがなかったので、世話をしている内に、当地に居つくことになってしまった。というのは、私は念仏を唱えられるわけではないから、運善に去られてしまうとパニックになってしまう。家主の峰平かよ子も同意見であった。玄峰寺の宝田住職と相談している内に、お地蔵さんに寄進したいという方も現れてきた。土建業の平岡賢作は、このままお地蔵さんを雨ざらしにしておくのも、もったいないことなので、お堂を立てたらどうかと提案してきた。この案に私は賛成した。地域の有力者も賛成の意向なので、みんなの意見を集約して、早速に地蔵堂設立の趣意書を宝田住職が作ったのである。
 『おすがり地蔵尊御堂建設趣意書』と書かれた文面には、代表者に玄峰寺の宝田貴信が選ばれ、事務局に托鉢僧の運善が就任して、本格的に御堂建設運動が開始された。私は事務職員として登録してくださいと要請されたが、丁寧にお断りした。ただし、これまでの離れでの生活は継続させてもらい、御堂が完成するまで、出来るだけ協力させてもらうことを約束した。地蔵尊設立のために私の生活が縛られ、束縛されるのは絶対に避けたかった。地域の人達も、私の我儘な希望を温かく理解してくれたのは幸いであった。
 玄峰寺がバックに付いたことが信用を得たのか、2カ月ほどの間に建設資金の目途が立ってきた。土建業の平岡賢作の依頼で設計事務所から御堂の設計図も出来上がって、行政に建設許可の申請も出された。そして手続きが完了すると、大々的に御堂建設の地鎮式が執り行われることになった。多くの人たちの寄進で『おすがり地蔵尊御堂』が着工されるというので地域の人々だけでなく、マスコミや行政、地方議員も顔を揃えて盛大な行事が行われた。
 私は神妙に深い感慨を持って式次第を眺めていた。式も佳境に入った頃、お父さん、と呼ばれて肩を叩かれた。振り向くと、そこに妻の秀子と娘の優子、そして優子の夫である前島健太が並んでいた。
「おお。久しぶり。元気でなにより。」
 実のところ、こうした家族のいることを私はお地蔵さん騒動で忘れていた。
「お父さん。わたし、赤ちゃんができたの。これも、ここのお地蔵さんに頼みに来たお陰なのかもしれないのよ。噂を聞いて、お母さんと一緒に来たことを知らなかったでしょう。」
 私は、あっと驚嘆してしまった。混雑した群衆の中で見た光景は本当だった。

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2018/03/19 06:37
もう、時効だから、書くが、あの統一教会に、1年居た時、ビデオ講義学習で、
「ほとけのざたもかねしだい」と、いって いた。
結局、大枠、こいつらも、運営経営しないといけない。
ので、やっぱ、お金だ。
心身ともに、悩み、困ってSOSで、いくのに、そいつから、また、取るのだ。
そう、慈善事業ではないのだ。(笑い



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