Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌591号

   緊張か弛緩(しかん)か。
 なにごとも正反合なのか。これは哲学者ヘーゲルのロジックから来ている。素人考えから言えば、正という前に絶対的な正など無いと言いたい。また、正義の反対というものも無いと言いたい。さらに言えば、二者択一的に正反を足した平均値というものは架空でしかないだろう。なにが真実なのか、本質は未知でしかない。

 カントの純粋理性批判なのか。物自体は不可知なのか。見ているのは幻か。本質を認識できないとすれば、認識は幻覚か。夢幻(ゆめまぼろし)なのか。洪水のようにマスコミやネット社会は無数の情報を垂れ流している。勝手に解釈して好きなようにしろというのだろうか。現実にみんな好きなように選択し、適当に判断して意見を交換し合っているが、豊かなようで情報砂漠なのである。無限にあるのに実は砂漠なのである。一見して砂漠であっても、そこには生命が凝縮され、詰まっている。情報の中の情報である。嘘の中にも真実が隠されているということなのか。

 何時どこで何が起こるかわからない緊張の中で生きているが、この緊張と言うものは慣れてくると放漫になり、やがて気分が弛緩してくる。ゴムの弾力と同じである。ひっぱってみたり、緩めてみたり様子を伺いながら生きている。可能性の中で生きている。可もなく不可もなし。これが全てである。優でもなければ、不可でもない。どちらにでも化けることのできる可(か)が一番いい状態なのである。一つの方向に凝固することだけは止めにしたい。方円の器に従う水になるのがいいのだろうか。それとも原子の並び具合に方向性を見出せばいいのか。生命の並び。並び模様を探ればいいのだろうか。切っても切れないカッターボードになれ!

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2016/09/25 18:54
哲学や、思想の世界では、
何も起きない、のが、ヤバイと、云う、らしい。
(いわゆる、人間らしい?! らしくない??。
もう、わからなく、なる。マイペースだ。



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