Nicotto Town


ごま塩ニシン


夜霧の巷(56)

 菅原は窓を開け、眼下に広がる港町から鋭気をもらうために深呼吸をした。それから意を決したように録音機のスイッチを押した。
 <ここからは植村雪枝が語った録音の内容である。>

 私が小学4年生の時、両親が車で旅行に連れていってくれた。北陸の加賀温泉郷へ行く予定だった。それが高速を走行中、大型トラックに追突され、ガードレールに激突して車が大破してしまた。この事故で両親ともに亡くなってしまった。不思議なことに私だけがかすり傷だけで助かった。その後は母方の祖母に育てられた。あの事故がなければ、私の人生は、もっと違ったものになっていたかもしない。けれども、自動車事故という第三者からの突然の力で人間の生き方が、がらっと変わってしまうことを私は知ったわ。その後の私の生き方を予言するような出来事となった。
 私は、両親を突然失って、この影響からか日本から出て、どこか他の国で生活をしてみたいという願望を抱くようになった。外大に進学してTY国語を専攻したのは、こうした事情があった。大学4年になり、アルバイトで貯めたお金でTY国へ行った。現地の人と話してみたいという欲求が強かった。それに若かったからTY国の国内事情を知らずに、とにかく出かけたいという気持が強かった。私がアメリカやイギリスに行っていたら、私の人生も違ったものになっていたかもしれない。けれども、当時は何も分からないまま、習った言語を使って生活してみたい、現地の人と知り合いになってみたいという憧れのような期待ばっかりしかなかった。TY国が抱えている経済事情とか政治状況については、全く何も知らなかった。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.