ショッキングな一日が経ち、婆やのこと。
- カテゴリ:人生
- 2025/11/09 14:14:30
昨日は、ずいぶんショックな一日でございました…
(詳しくは、昨日の日記で)
で、配偶者に、
「雁、編隊飛行、赤城の山だろーがっ!」って言ったんですが、
「そもそも、何でそんな昔のこと、覚えてるの?」って聞かれました。
はい、実は、真実を申しますと…
実は、わたしには「ばあや」がおりまして、
とても優しいおばあちゃんでした。
よく、オヤジ(わたしの父)とケンカになりまして、
「里へ、帰らせていただきます!」といって、
わたしの手を取り、里(笠岡)まで帰宅するのです。
そう、婆やなのに、里へ帰ると言って、実子を連れて帰る・・・
(誘拐ですがな)
婆やが里へ帰ると、わたしはいきなり「都会の子」になってしまうんですが、
それでも、村の子供達と遊ぶのは面白くて、
窓ガラスに止まっているカエルを、裏から(部屋から)じ~~~っとみてたり、
カルピスを解く水が、山の水なので、
赤い糸ミミズが入ってないか、心配してたりしていました。
村で一番愉しみなのは、演芸会がある日です。
どこかの旅芸人さんたちのご一行が、演芸をやってくれるんですよ。
それがね、下の村から、口述伝播されるんです。
(回覧板とか、無かったもんね)
で、演芸会の日は、もう夜も真っ暗になってから、
初めて下の村まで、歩いて行くんですよ。
夜の森って、すごいんですよ。
夜と、森と、どちらが暗いか!?
森の方が、暗いんですね、夜はとても明るい紺色でしたよ。
その頃は、懐中電灯とかは、まだあまり村には無くって。
(だってさ、夜は寝るもんでしょ)
だから夜は、行灯(あんどん)に小さなろうそくを入れてね、
それで夜道を照らしながら、歩くんです。
婆やは、いつもわたしに行燈を持たせてくれて、
いや、だけど子供だから、足元を照らすなんて器用なことはできなくて、
しょっちゅう、ろうそくを消しちゃってたなあ。
先方を歩いている村人さんに、火を分けてもらうのは婆やでした。
(わたし、シャイな都会っ子だったから、方言が良く分らなかったの)
そんなこんなで、演芸場に付くと、
「時代劇」のチャンバラごっこを、やってるんですね。
(子供心に、演芸なんて知らないので、チャンバラごっこなんです)
それがね、たぶん「名月赤城山」だったんです。
(演芸の時間になると、もう疲れて寝てましたけど。)
あと、婆やが好きなのは、浪曲だったしなあ。
「旅ィ行けばあ、スルガの国に茶の香りィ〰♪」とか、覚えましたね。
「江戸っ子だってねえ!寿司くいねえ」って言う、森の石松の名文句!
そしたら、配偶者が、
「あ、大森屋のノリの宣伝!」
ほらな、やっぱり同い年やないか。
同世代は、テレビコマーシャルで繋がるんですよ。
ね、ほんとはそんなに、歳食ってはいないでしょ?
いやあ、歳食ってんのかなあ。
(行燈なんて、使わないもんね)

























ちなってぃさん、うん、字の読めない人が、けっこういましたよ。
だからね、田舎の婆やが、親戚の家に手紙を書くのも、わたしが代筆してました。
今は、日本ではほとんどの人が、字が読めるんですけど、昔はそうじゃなかったみたい。
そうそう、DDTの缶が転がっていて、「それに触っちゃいかん!」って怒られたなあ。
いやあ、今どきDDTの缶なんて無いでしょ、危険だよねえ。
桜花沙鏡さん、そうだ、そうだ!美空ひばりが、そういう一座にいたんでしたね。
そっかー、紙芝居ももう今や、見なくなりましたね~。
わたしが小さい頃は、近所の広場によく来てたなあ~。
あ、もしかして、お母様とわたし同じ世代かも~~~~。
satoさん!それそれ!
今、夫と話してたの❕大村崑のCM!良く言ってくださいました!
ありがとうございます。
あ~、長年の問題が解けたような気がしました。
夫と、なつかしいCMで盛り上がりましたよ、感謝!感謝!
ありがとうございます~(^^♪
みるくさん、いやあ、自分の実感では「谷あり底あり」で、一度も山に上ったことがない人生ですよ。
「人生の浮き沈み」で言うと、「洗濯機の中の人生」です、しかも、まだ続く。
わたしね、ほんとに「一度でいいから、事務員さん、やりたかったなあ」って思うんです、マジで!
山の湧き水ですか!!
納得しました
それは飲む時怖かったでしょうね
わての時代は字が読めるのが当たり前なので
読めない人など想定してなかったです
日本はものすごい勢いで成長してきたんですね
自分が小さい頃にはもう、空き地で紙芝居をするおいちゃんも絶滅危惧種でしたよ。一回見たきりだ……。
母が小さい頃なら田舎の親戚宅でかまど&大きな水瓶がまだ使われていたと聞き、「そんな最近まで現役!」と驚いたものです。
小さい頃に見た海苔の佃煮(確か桃屋の”ごはんですよ”)のCM、大村崑さんだったかな「赤城の山も、今宵限り…」懐かしいですね、国定忠治、清水の次郎長。お父さんから意味を教えてもらいたくて、よく話を聞きましたよ♪
懐かしい時代のお話は好きです。古き良き時代ですね、とはお世辞にも言えませんが、そうやって人々は慎ましく勤労をして、時には世知辛い世の荒波にもがきながらも命を育んで…今の時代へと繋げてきたのでしょう。
夜の森は歩いた事がありませんが、さぞかし深い闇を感じるのでしょうね。豊かなご経験を持つはなこさんは素敵だと思います(^^♪
追伸:鈴ちゃんの近況を拝見できて嬉しいです。へそ天爆睡✧♡
歳とってると思ったらだめですよ~
年齢なんて関係ないです!
ま~ただ流行り?の時代が違うだけって思いましょ!(笑)
私はいろんな経験してて素敵な人生だな~ってうらやましく思います!
ちなってぃさん、あのね、水は山の湧き水を使ってるので、水道水じゃないんですよ。
だからね、湧き水って,ちいちゃい虫とかさ、混じって入って来るの。
カルピスを薄める時にね、あの白い液体の中にさ、赤いミミズが入って来るんだよね~。
水で飲めば、すぐわかるんだけど、
カルピスだとわからないのよね~。
子供の頃の悩みだったわ~。
回覧板は無いの。
だってね、字が読めない人がいるから。
だから口伝律法みたいに口述筆記なんですわ(たぶんね)
行灯って、オバケが出そうで、夜の景色が恐いんだよね。
そっか~、
だけどさあ、わたしたち同じ日本人なんだよねえ、
それくらいの差があるんだよねえ。
日本って、考えればすごい国だよね。
もふもふ0304様、そうなの!汽車が走ってましたよ!
今だったら、(わたし鉄子なので)小躍りして大喜びです。
そうそう、汽車ってさ、トンネルに入る時、窓を閉めないと周囲の人から叱られるんですよ。
車両の中が煙りだらけになるから!
今、思い出すと、いい思い出だったなあ(^^♪
461oceanさん、え?行燈、読めない…そうかあ、ちっちゃい提灯みたいなやつなんだけど。
ええ~・・・時代だなあ。
はああ(溜息)
らんなーさん、そうそう、よく肥溜めに落ちたもんです。
でも子供だから、沈み込む前に出てこれるんだけど、「エンがチョ、切ったー!」とか言われてた。
(なんの呪いなんだろうか)
道はね~、泥だらけの砂利道だったなあ。
バスが良く故障して止まってね、運転手さんが水を入れてたなあ、
あ、そうそうボンネットバスですよ。
バスの車掌さんもいたよね、女の人。
そうか、そんな時代だったんだ~。
なんでしょう?
回覧板がない?
びっくらこきました
行灯?
日本昔話を思い出しました
わての子供時代とは違っていて
カルチャーショックを受けました
貴重な体験ですねえ。
「それ何?」かもしれません。
森のほうが暗いってのも判ります。
昔の風景も蘇りますよ~。
あちこちに肥溜めがあって臭かったなぁ~。道も舗装されてなかったし…
それを思うと、現代は暮らしやすくなってますよね~