Nicotto Town


koshiのお部屋分家


Adue,Aylton・・・1

アイルトン・セナの忌日です。もう16年もたったかと思うと隔世の念がありますが,現在セナを忍ぶ駄文を本家に執筆中です。
こちらには間に合いそうもないので,5年前に書いた拙文を掲載させていただきます・・・。
(字数制限で刎ねられたので,2回に分けての掲載となります・・・)


1994年5月1日,F1第三戦サンマリノGPは異様な雰囲気に包まれていた。
過去二戦,前年のチャンピオンマシンの94年版とも言うべき最強のウィリアムズ・ルノーFW16を駆るアイルトン・セナ(伯)がポール・ポジションは取るものの勝てない。


第一戦母国ブラジルGPでは,ピット作業の間に首位を奪われ,スピンしてリタイア。
インテルラゴスサーキットを埋め尽くしたパウリスタたちは,その瞬間サーキットを後にし出した。
第二戦パシフィックGP,岡山のTIサーキット英田。
スタート失敗直後,ミカ・ハッキネン(扮:マクラーレン・プジョー)に後方から突っ込まれ,0周リタイア。
開幕二戦をミハエル・シューマッハー(独:ベネトン・フォード)にさらわれ,圧倒的アドバンテージを持つ筈のセナにとって予想外の展開と言えた。


確かに,この年何かがおかしかった。
マシン間の性能差を無くすため(勿論結果として全く無くならないまま現在に至っているが・・),前年までのトラクション・コントロール・システムや電子制御によるアクティブ・サスペンションといったハイテクノロジーの導入が禁止され,ピット作業の妙味を増す意味で燃料補給が義務づけられたことにより,特に92・93年シーズンを圧倒的な強さで席巻したウィリアムズ・ルノーチームの94年式マシンは,前年までの挙動の安定したマシンとは打って変わって,速いは速いもののナーバスでピーキーなマシンとなってしまっていたのである。


軽量コンパクトなフォードZETEC-Rエンジン搭載のベネトンのマシーンは,空力特性に優れ,「未来のチャンピオン」の呼び声高きドイツの若き天才ミハエルの手によって,アドバンテージを築きつつあった・・・。


そうした中で迎えたイモラサーキットのフリー走行では,ルーベンス・バリチェッロ(伯:ジョーダン・ハート)のマシンが宙を舞い,地上にノーズから叩きつけられた。
ドライバーは鼻骨を骨折,出場はできなくなった。
土曜日の予選,90°ターンとも言うべきトサ・コーナーのヴィルヌーブ・カーブで,新規参入したシムテック・フォードを駆るローランド・ラッツェンバーガー(墺)がクラッシュ。
大破したマシンとともに映し出された映像からは,ドライバーの尋常ならざる様子が見てとることができた。
頭蓋骨折により即死である・・・。
そして,その現場に真っ先に駆けつけたのが,自身のポールポジション記録を更新したセナだったという・・・。


翌1日の決勝も重苦しい雰囲気に包まれていた。
スタート直後,エンジン・ストールしたJJ・レート(扮:ベネトン・フォード)にペドロ・ラミー(葡:ロータス無限ホンダ)が突っ込み,飛散したパーツにより観客が負傷。それによって,レースにはペースカーが導入され,アメリカのインディ・シリーズのようなローリングスタートとなる。
先頭はセナ。
シューマッハーの水色のマシンがそれに続く。
やがて,ペースカーがコースを離れ,レースが再開。
先頭のセナはコントロールラインを通過し,緩い左カーブになっている高速第一コーナータンブレロ・カーブへとさしかかっていった・・・。


これが,人々の見たセナの最後の姿となった。
200kmをはるかに超えた速度で右にコントロールアウトしたセナのマシンは,グラベルを突っ切り,コンクリートの壁に激突し,その反動でコースまで戻ってきた・・・。


以前も述べたが,基本的に私はセナというドライバーが好きではなかった。
フジTVと古舘伊知郎+石橋貴明が異様なくらいヨイショしてきたし,ホンダのイメージ戦略キャラというのも気に入らず,同い年だったし(暴露),甘いマスクでおねいさん方にもてまくり(その割に女運は良くなかったようだが)というのも気に入らなかった(笑)。
だから私としては,新谷かおるの漫画の主人公のようにテクニックより気合いで走るナイジェル・マンセル(英:92年ワールドチャンピオン,93年インディシリーズチャンピオン)とか,小柄な身体にとんでもない情報分析能力と体力と兼ね備えプロフェッサーと呼ばれたアラン・プロスト(仏:85,86,89,93年ワールドチャンピオン)の方が好きだったし,この二人が相次いで引退した後は,二度のワールドチャンプに輝く父を持ちながら,自力でレーサーへの道を切り開いてきた叩き上げの苦労人デーモン・ヒル(英:96年ワールドチャンプ,セナの最後のパートナー)のファンとなっていた。

そんな私でさえ,あの時(深夜観戦していた)は,ひどい吐き気のようなこれ以上無いような不快感に見舞われ,何とも言えない喪失感と空疎さを味わったものである。
                             
                          (続く・・・)

アバター
2010/05/02 23:54
まさる0704さん,今晩は,そして初めまして。
ご訪問・コメント,本当にありがとうございます。
ピケ,マンセル,プロスト,セナの4人が一緒に笑顔で写っている写真を見たことがあります。
セナがJPSカラーのレーシングスーツを着ていましたので,86年か翌年のショットでしょうが,仰るとおり個性で鳴らした彼等が鎬を削った時代は最高だったと思います。
私も今はかつて程のめり込めなかったりします・・・。
合掌・・・。
アバター
2010/05/02 23:50
もえぎさん,今晩は。
コメントありがとうございました。
私もTVの前で深夜固まりましたから・・・。
ファンではない私ですらそうだったのですから,ファンの方の衝撃はいかばかりだったことでしょう・・・。
改めて冥福を祈り,甥のブルーノの走りに注目していきたいと思います・・・。
合掌・・・。
アバター
2010/05/02 23:48
ぐりさん,今晩は。
あっという間の16年でした。
私は80~90年代のセナの走りを鮮明に覚えていますからね・・・。
82年以来死亡事故の無かったF1が,改めて死と隣り合わせであることを改めて思い出させてくれた衝撃的な一件でした。
合掌・・・。
アバター
2010/05/02 15:59
早いものです・・・。当時俺はセナファンとゆーわけではなかったけど彼の走りは大好きだったのでかなりのショックでした。あれからずっとF-1を観てますがセナ、プロスト、マンセル、ピケがいたあの当時以上にはのめり込めないですね。
アバター
2010/05/02 08:27
そうか。16年ですか。
妹と深夜のテレビの前で「え?」って止まってしまったのを覚えています。
我が家は「セナ」&マクラーレンホンダファンでしたので、そりゃもう、ホントに。

ワタシと妹のF1は、ここで終わってます(苦笑
アバター
2010/05/02 05:37
そか、、、あれからもう16年も経ったんすね、、、。
ほんとあまりの現実が受け入れられずに、テレビの前でただただ呆然としたのを思いだします。

故人の冥福を祈り、、、合掌。





Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.