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英国GP雑感・・・(というか昔語り・・・)其之壱

英国GPが終わった。
F1GP発祥の地に相応しい見どころの多いラウンドだった。
勿論,昨年の最終戦であるアブダビGP後に著しく低下した私のモチベーションというかF1ナショナリズムは萎えたままではあるのだが,可夢偉の好走が久しく忘れていた感情移入できるF1を思い出させてくれたことも事実である。


基本的に,シルバーストーンで行われる英国GPの雰囲気は好きである。
WWII当時空軍(RAF)の飛行場であったというサーキットの特性も私のマニア心をくすぐるし(映画「空軍大戦略」を見たくなる),私が87年のTV中継開始以来のお気に入りだったマン太郎の母国GPというのも大きい。
自動車評論家の舘内瑞氏同様,私は今回のGPでスチュワードを務めたマン太郎の大ファンだった。
あのすっとこどっこいな性格,アドレナリンを放出しまくる激烈な走り,アングロサクソンなのに絶対ラテンの血が入っていると思われた。
で,マン太郎は大先輩の(厳密には違うか)「フライングスコット」と呼ばれたジム・クラーク同様とにかく母国GPに強かった(逆に全く勝てなかったのがチームメイトにして,クラークの事故死した年にチャンピオンになった元祖モナコマイスターであるグラハム・ヒルである)。
87年のHONDAエンジン1-2-3-4フィニッシュ,翌88年(驚異のルーキー,ショウ・アカバの初入賞のGPでもある)は非力なジャッドエンジンでの2位表彰台,そして 91,92年は言わずもがなのぶっちぎり・・・と,とにかく見せてくれた。
多分,私がマン太郎に入れ込んだのは,セナへのアンチテーゼでもあったのだが,シルバーストーンに似合うのはレッド5のマシン,と今でも思う。


周知の通り,ドライバーに冷酷なフランク・ウィリアムズとの確執により,我がマン太郎は92年シーズン終了を待たずして引退を表明。
翌年は渡米して(フロリダの自宅で暴漢を空手で撃退したり,蛇に噛まれたりと,何かと話題を提供してくれた)インディシリーズに参戦し,レース好きで知られた俳優ポール・ニューマンのチームで何とルーキーながらチャンピオンに輝いた。
そして,マン太郎が去ったあとの93年,ウィリアムズをドライブしたのが,セナの宿敵にしてマン太郎の仇敵であるプロストと上記グラハムの息子でテストドライバーから白羽の矢が立ったデイモン・ヒルである。
そして,マン太郎のファンであった私は,何故か全く性格の異なるこの二世ドライバーに感情移入するようになっていった・・・。

周知のように,父グラハムは75年秋,自分の名を冠したチームのスタッフとともに自家用機に乗り墜落し帰らぬ人となった。
チームが消滅しただけでなく,グラハムが自家用機に保険をかけていなかったこと,そして投機対象として絵画に手を出していたことで,一家は一気に窮乏に叩き込まれる。
そうした中から,ヒルは独力でトップカテゴリへの道筋を模索して,最強チームへ登りつめていった。
91年からマーク・ブランデルの後任としてウィリアムズ・チームのテストドライバーになったことが転機だったのだろう。
92年シーズンを席巻したFW14Bの成功は,開発ドライバーとしてのヒルの手腕が非凡であったことを如実に示している。

それは,当時のルノーエンジンでの最多勝がプロストではなくヒルであったこと(今はアロンソか?),エンジンブレーキの使い方が絶妙であったこと,タイヤに優しい走り(93年独GPは例外だろう)で抜群のルノー遣いであったことは疑いない。
その証拠に,ヒルが去った97年のウィリアムズはまだ前年のチャンピオンマシンであるFW18の開発マージンが残っていたが,98年のFW20は完全に二流のマシンになり果てていた。

(文字数で刎ねられたので,次回へ続く・・・)

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2010/07/17 12:16
まさるさん,今日は。
「あの時代」を知る仲間がいらして,嬉しい限りです。
マンセルにしてもヒルにしても,底辺から独力でトップカテゴリーに上り詰めて,頂点を極めたという浪花節的なF1人生を送ったドライバーですので(苦労人ということではハーバートも同様ですね),共感する部分が多いです。
私はセナを乗せてウィニングランをした91年も良かったですね。
逆に,99年は悲しかったです・・・。
アバター
2010/07/16 00:01
おぉ、懐かしいですな☆
マンセルしかりヒルしかり、外野からイロイロ言われましたが、大英帝国が誇る偉大なるワールドチャンピオンです☆
目をつぶると87年、92年、94年のイギリスGPが蘇ってきます(95年も好きですが)。
・・・っと今夜はここまでみたいなので、明日以降のブログに期待は募るばかりです☆




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