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koshiのお部屋分家


英国GP雑感(というか昔語り)其之弐

マン太郎が横綱相撲で2年連続で席巻した英国GP。
当時ウィリアムズ・ルノーのテストドライバーであったヒルがドライブしていたのは,ジャッドエンジンを搭載していた断末魔の名門ブラバムであった。
YAMAHAエンジンを失い(ジョーダン-現フォースインディア-に持って行かれた),当時何かと話題になった久々の女性ドライバーであるジョバンナ・アマティ(伊)を起用したブラバムだが,肝心のアマティが実に遅く,ニキ・ラウダとの不倫をすっぱ抜かれた以外何も話題にならずクビとなった結果,ブラバムに乗ったのがヒルだった。
当時,スポンサー活動がままならぬブラバムにとって(三越がスポンサーに付いたりしていた),パーソナルスポンサーを持たないヒルは,ペイイングドライバーではなかっただろう。
この断末魔の名門を救おうと立ち上がったのが,デーモン小暮閣下率いる聖飢魔IIである。
その結果,デーモン小暮閣下がデーモン(デイモン)・ヒルをサポートするという駄洒落のようなことになってしまった・・・。


そのヒルの2度目の母国GPは,エースであるプロストとの激烈なポール争いに始まった。結果的にポールを獲ったのはプロストだったが,決勝は見事なスタートを偶数列から決めたヒルがレースをリードした。
そして41週目,コースレコードともなるファステストラップを叩き出した直後,信頼性の固まりのようなルノーRS6エンジンが悲鳴を上げる・・・。
スタンドを埋め尽くした母国のファンの歓声は悲鳴に変わった・・・。


翌94年,母ベティ・ヒル未亡人とジョージィ夫人,そして3人の子どもたちが見守る中,ヒル家の英国GP制覇は果たされた。
前年のCamelカラーとは異なる威風堂々たるRothmansカラーを纏ったウィリアムズ・ルノーFW16が折からの淡い初夏の日差しに映え,大きなユニオンジャックを棚引かせたヒルのウィニングランに,GP本場のファンは酔った・・・。
その地鳴りのようなヒルへの声援が戻ってくるのは97年まで待たねばならない。
95年は,同じく英国の苦労人ジョニー・ハーバートの初優勝。
このあたりは,私なんかよりまさるさんに語っていただいた方が数倍面白いに違いない・・・。

アバター
2010/07/18 08:43
まさるさん,お早うございます。
成る程,彼ら若者はシューマッハーとアロンソの時代しか直接知らないというわけですね。
80~90年代のF1は面白かったですね。
ラウダ,ピケ,プロスト,マンセル,セナ・・・と綺羅星の如くスターが輩出し,さらにはハイテク競争に各コンストラクターが鎬を削りました。
FW14B,同15Cのような名車が果たしてその後有ったかどうか甚だ疑問です・・・。
こちらこそ,90年代を知る方がいらして嬉しい限りです。
95年の記事,早速読ませていただきました。
アバター
2010/07/17 22:30
昨夜、式が終わった後、ましゅっちの部屋で話しこんでから部屋に戻ると、オム&しか夫妻が待っておりまして、いろいろ話しました。もちろんF-1の話もしたんですが、彼らは2000年以降から本格的に観始めたとゆーコトで、俺の昔話に少々引き気味のご様子(笑)
古き良き時代のF-1を知るkoshiさんのよーな方がいてくれてこちらこそありがたいです(笑)
お言葉に甘えて、今夜は95年のイギリスGPを語らせてもらいましょ☆




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