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坂の上の雲-第7回「子規,逝く」

 くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる


子どもの頃,教科書に載っていた子規の句です。
文字通り柔らかく降る春雨が薔薇の芽に当たる様子を描いたものですが,この句を詠んだ子規は病床にあったことをその時聞いて驚いた記憶があります。
当時労咳は助からない死病でした。
武田信玄も木戸孝允も死因は労咳でしたし,子規もそのことは重々承知の上で10年以上を生き抜いたことを知るに及んで,その生き様の凄まじさに感動すら覚えたことがあります・・・。
上記の句には,写実的な美しさは存分に感じられますが,死病の床にある病人特有の死の影は見て取ることはできません・・・。
取りも直さずそれは,子規という人間の陽の一面を如実に表しているような気もします・・・。


 松の葉の 葉毎に結ぶ 白露の 置きてはこぼれ こぼれては置く


という句もありますが,これとて同様でしょう。
古今集と紀貫之を非難し,万葉集への回帰を説いた子規らしい写実感が躍如としているようです。
尤も,


 足たたば 不尽の高嶺の いただきを いかづちなして 踏み鳴らさましを


という,何とも無念とも焦燥ともとることのできる句もありますが・・・。


前置きが長くなりました。
その根岸の子規庵に真之が訪れます。
さらには河東碧梧桐,高浜虚子(伊藤左千夫や長塚節も居たのか)といった門人達も訪れ,賑やかな様相を呈していました。
こうした中での妹律の苦渋が描かれていました。
原作にはこうした描写は無かったと記憶していますし,真之夫人となる稲生李子を見ての修羅場は創作でしょう。
ただ,前回広瀬武夫とアリアズナの件と同様,こうした恋愛沙汰を挿入しても決して見苦しくならないのは脚本と演出の妙でしょうか・・・。
近年の大河ドラマがやけに色恋部分を脚色して無用に引っ張って違和感ありありとなるのとは大違いです・・・。


その頃,好古は大陸で袁世凱と飲んでいました。
袁世凱が大酒家であったかどうかは寡聞にして知りませんが,30人以上の子がいたことから精力絶倫であったことに疑いはありません。
日露戦争当時,袁は中立的立場を取りましたが,実際は馬賊隊を動かしたり諜報活動を行ったりと日本軍のために暗躍していますので,もしかすると接点があったのやも知れません。
ただ,こうした向背定かではない動きと,辛亥革命の中心たる孫文を迫害したこと,さらには後年対華二十一箇条の要求をのんだことからも,現代の中国での評価は極めて低いものとなっているようですが・・・。


休職して那須で農業を営む乃木を児玉が訪れます。
それによって,乃木は今の生活が終わりを告げることを悟ります。
庭には,志願して出征する地元の若者が必死に国のために戦うことを強調。
時代は否応なく戦争へと向かっていきます・・・。
こうしたあたりが,映像化によって短絡的な明治賛美と軍国主義の賛美に取られかねないことを原作者は危惧して,映像化は不可能・或いは否と語ったと伝わっていますが,それも時代の流れ・歴史の潮流というものでしょう。


次回はいよいよ日露開戦となります。
風雲急を告げる北支や遼東半島の情勢,旅順港奇襲と仁川沖海戦等がどのように語られるか楽しみです・・・。

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2010/12/19 23:07
yutakaさん,今晩は。
長尺の原作を15回の放送に収めるというのは,かなりの無理を伴うと思われるのですが,制作意図と演出等がしっかりしているせいか,毎回頷きながら楽しんでいます。
子規が短歌や俳句といった定型詩の中興の祖となり得たのは,やはり病床での執念があったからでしょうか・・・。
多くの門人達に恵まれたのも,子規の人徳なのかもしれません(かなりのちゃっかりした性格だったそうで,松山時代の漱石もいろいろとやられていたそうですが・・・)。
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2010/12/13 23:53
こんばんは、

坂の上の雲、昨日の子規の最期まで筆を持って句を読もうとして遂に力尽きる姿は
凄かったですね~ あんなに次々に俳句が出て来る天才が、若くして労咳で命を落とすのは
何とも口惜しいと言うか、惜しいですね~




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