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「江~姫たちの戦国~」-第2回「父の仇」

18:30に帰宅し,録画中に冒頭から再生しました。
テープ式だと絶対こうはいかないでしょう。
時代は確実に変わっているようです・・・。


天正7(1579)年,お市の方と3人の娘は伊勢上野城(伊賀上野城ではない)にて,信長弟信包の庇護のもと過ごしているところから始まりました。
小谷落城後,この母子がどこにいたかははっきりと分かっては居ません。
尾張清洲城にいたとも岐阜城にいたとも言われますが,一向一揆の収まった伊勢におり,同母兄でもある信包のもとにいたとしてもおかしくはないでしょう・・・。
・・・で,その年完成した安土城に行くことになる母子。
そこには,江の伯父である信長の同盟者の家康が来ており,播州三木城を包囲中の秀吉が突如訪れ,信長の不興を買い,柴田勝家から成敗されんとしていました・・・。
明智光秀も居たようですし,織田軍の司令官クラスが3人も居たということになります。山陽方面担当の秀吉が,播磨の陣所からしょっちゅう戻ってきたことは事実でしょうが,山陰方面担当の光秀と北陸方面担当の勝家が一堂に会した上,家康まで来ているというのは有り得ないと断言しましょう。
家康は,駿河方面での武田軍の動きに釘付けだったでしょうし,初めて安土に来たのは本能寺の変の直前である天正10(1582)年5月末だった筈です。
さらに言うならば,信長御前で,勝家が秀吉を手討ちにするようなことがあったら乱心・狼藉となるでしょう・・・。
・・・で,お江はこの年数えで7歳。
満6歳,つまり現代でいうとうちの下の子と同じで,就学前なのです・・・。
ですから,いくらなんでものだめ嬢では無理があるのでは・・・。
ということは,茶々も初も10歳前後ですから,今回まで子役を使っても良かったのでは・・・と思います・・・。
さらに,家康が嫡子である信康を伴っていた・・・ということは,信康は長篠の戦い直後に母である築山殿と同時に自害したのでは・・・と思いましたが,この年(天正7年)9月だったのですね。
本日の設定がいつなのか分かりませんが,辛うじてセーフ・・・となるのでしょうか。
尤も,前述の通り家康がこの時期安土に来るはずはありません・・・。


・・・ということで,今回も突っ込みを入れてしまいましたが,あっという間の45分間でした。
それだけ楽しめたということでしょう・・・。
お江という謎に包まれた(キャラクターがはっきりしない)人物を採り上げるわけですから,脚本家の思いによって命が吹き込まれると言ってもよいと思いますし,その自由度によって如何にお江を魅力的なキャラに仕立てていくかが,今後の課題とも考えます。
お江というのは,勿論伝わっている名の一つに過ぎません。
近江(江州)出身だからお江とかお江与(おごよ,おえよ),或いは小督という名も伝わっていますが,これこそ当時の女性の社会的地位の低さを表していると言えましょう・・・。
3年前の「篤姫」もそうでしたが,運命に翻弄された感のあるお江が,如何に己の力で人生を切り開いていくかを見守りたいと思います・・・。


最後に,曲は「篤姫」同様,吉俣良です。
「篤姫」に起用されたのは,同郷というのが最大の理由と聞いた記憶がありますが,「Dr.コトー診療所」,「こころ」,「がんばっていきまっしょい」等,今では大島ミチルや佐藤直紀と並ぶ売れっ子です。
ただ,超甘口のメロディメーカーぶりは見事と思いますが,当たり前とはいえ同時期の「篤姫」と「薔薇のない花屋」(かつて見てしまった・・・)が全く同じに聞こえました・・・。
今回も「篤姫」同じ路線の三部形式ですが,中間部に変拍子を挿入することで変化を持たせているようです・・・。





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