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「江~姫たちの戦国」-第26回「母になる時」

以前本家に「天地人」の感想を書いて,七尾城攻防戦の考証の甘さや兼続と政宗が会っていた場面を有り得ないと断言したところ,抗議のコメントをいただいたことがありました。有り難いことです。
私の駄文を読んでいただいただけに留まらず,コメントまでいただいたのですから。
抗議の内容をよくよく吟味させていただいた後で,何故私がこのような文を書いたのかという根拠を示してレスをさせていただきました。
この番組を楽しんでおられる方が3,000万人近くでしょうから,もしかするとその中の相当数の方がこれを史実と思われる可能性が有るわけです。
ですから,私のように突っ込みを入れる輩が1人くらい居ても良いのでは・・・と勝手に思います。


さて,今日の私の勝手なる命題は,江と秀勝の夫婦生活は果たして幸福であったか・・・ということです。
まずどこに住んでいたのか?
作中では豊臣一門として聚楽第に住んでいる設定でしたが,領国経営はどうなっているのか・・・という突っ込みを入れたいと思います。
婚儀は,聚楽第か大坂城で・・・とは思いますが,秀勝は番組末にもあったとおり岐阜城主となったばかりですので,領国経営に腐心しているのが妥当と考えます。
何せ美濃8,000の兵を連れての出陣ですから,岐阜城に江も住んでいて,出陣を賑々しく祝ったのではないでしょうか・・・。
勿論,内心は・・・と思いますが,そんなことを口に出せるはずございませんし(江と秀忠が言ってましたが・・・),秀吉に直訴などできるはずもありません。
江が秀吉の養女となるのは,秀忠との婚儀で箔を付けるためではないかと思われます。
佐治與九郎との婚儀も秀勝との婚儀は飽くまでも内輪でのことであり,他家に嫁がせたのは秀忠との婚儀が初めてでしょう。
そう考えると,どうなんでしょうね・・・。
秀次・秀勝兄弟の母(瑞龍院日秀,当時は岐阜御前?)は,当時夫三好吉房の犬山城か岐阜城にいたと推測されます。
番組に全く出てこないのは言語道断ですが,そうした舅と接触して江は幸福だったのかどうか・・・。
秀勝とはお互い好き合っていたという「功名が辻」もどきの設定ですが,それも有り得ないと断言しましょう・・・。
ですから,果たして幸福であったかどうかは分かりません・・・。
江自体があのような跳ねっ返りではなく,運命の流れに棹ささず淡々と生き,栄達していった人物と,思いますし・・・。


秀勝の死因は,朝鮮の民を庇って足を怪我してそれが原因で・・・とは何か根拠があってでしょうか・・・。
因みに,没したのは巨済島と言われています。
母の瑞龍院は寛永2(1625)年まで92年の長寿を保ちました(江の没年の前年)。
瑞龍院とは後陽成天皇に下賜された号で,嵯峨野の東雲に同名の寺を建てて住んだとされ,現在は秀吉と縁のある近江八幡市に有るようですが,岐阜城のある金華山に連なるのが瑞龍寺山で,山麓には瑞龍寺が今も有ります。
美濃守護職土岐氏の菩提寺ですから,由緒ある禅寺ということになります。
日秀の建てた瑞龍院は法華宗ですから,何らかの関連を考えるのはうがち過ぎかも知れませんが・・・。
久々に岐阜城と天守からの遠望を見て,学生の頃夜行明けに徒歩で登ったことを思い出しました(下りにロープウェイに乗ったら,ガイドのおねいさんに徒歩で登ったことを知られて呆れられました・・・)。
新幹線からは多分遠望できませんので,久々に岐阜を訪れたくなりました・・・。
勿論,駅南目的ではなく・・・(強制退場・・・) 。

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2011/07/11 22:08
meianさん,今晩は。
実はしょうもないことでして・・・。
手取川だか七尾城に出陣する兼続を見送る家臣たちが,抜き身を手に気勢を上げていたことと,城田優の真田幸村を柄が悪い,オグシュンの三成を小物と評したことへの反論でしたので,歴史を渉猟し史実を明らかにする知的な作業では全くございませんでした・・・(泣)。
岐阜城の天守閣は小ぶりですが,16世紀中期の城としては画期的な天守閣を備えたものだったことでしょう。
蝮の道三は,京都西ノ岡の名族の末裔・・・ということで成り上がった一面もあり,相当の教養を備えた文化人であったと思われます。

そうそう中州の南も鬼門でしたし,すすきのも駅南ですね(うひひ)。
個人的には飲むなら狸小路ですが,札幌は13年,博多は9年のご無沙汰です・・・。
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2011/07/11 21:59
yutakaさん,今晩は。
どうも最近は,突っ込むだけではなく,史実に対して蘊蓄をたれる・・・という悪癖が出てきたようです。
それにも関わらず,丁寧なコメントに唯々感謝しております。
私も,片っ端から読んで,片っ端から忘れています。
先日,10代で読んだ「佐治与九郎覚書」などという短編を読み返しましたが,殆ど初読のような状態でした・・・。
そろそろ蘊蓄も枯れてきそうなのですが,また頑張って感想書きたいと思います・・・。
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2011/07/11 16:58
こんにちは。
歴史を渉猟し史実を明らかにする知的な作業は、関心のある方たちが互いに意見を
開陳することによって、より正確なものに辿りつくのですから、議論の応酬は
喜ばしいことですね。
岐阜県は一度も行ったことがありませんが、ネットで検索すると岐阜城はとても優美なお城ですね。
マムシの道三の居城だったとは思えない!

福岡にも博多・中州の南に男性の鬼門(?)が・・・。すすきのも札幌の南の方・・・。南は怖い!
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2011/07/11 09:59
何時も史実にお詳しいのには驚きです。

私も本は好きでこの時代の物はよく読みましたが、情けない事には片っ端から忘れて
細かい人物の名前もきっちりとは覚えられません

作者によっても違っていますが、大筋では誰それの文献を参考にしたと記されて居ますから
同じなのでしょうが、時代物の登場人物が果たして幸福であったろうか舅姑とは巧く行ったのか
と其処まで感情移入しながらのドラマの見方はとっても楽しいし、まさに至福の45分と言えますね。




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