オールドユニフォームデー
- カテゴリ:スポーツ
- 2011/07/19 22:33:02
予想通り鷲は東京ドームで熊に勝てなかった。
明日はダルに対して中5日で田中をぶつける。
ダルの繰り出す七色の変化球と,手元で沈むツーシームを打てるかが鍵となろう。
一昨年私が見に行った試合では,先制はされたものの見事に田中が投げ勝ったが・・・(何と野球見に行って,この年にして人生初の骨折をしたという不名誉な日だった)。
対して大阪ドームの牛vs鴎。
中6日で満を持しての登板となった玉三郎vs防御率4点台のサブマリン俊介。
フランチャイズの牛が圧倒的優位と踏んだのだが,鴎打線が玉三郎を打ち込んだらしく,1-4で鴎が昨日の借りを返した。
この2チームだが,「オールドユニフォームデー」とやらを設けるらしい。
昨今の流行りだが,かつてのユニフォームで試合を行うという試みである。
私のようなオールドファンにとっては嬉しい催しではあるのだが,1つ問題が残る。
今回は近鉄のラグランスリーブのユニフォームで試合をするようだが,果たして牛は近鉄の後継球団なのだろうか??
確かにバファローズを名乗っているが,牛の前身はやはり阪急だろう。
バファローズを名乗ったのは,近鉄球団が04年に解消して新たに鷲が誕生した際に,分配が行われた時からである。
それまでは,オリックス・ブルーウェーブ(和名は青海波か?),その前はオリックス・ブレーブスだった。
では鷲が近鉄の後継か・・・となると,これもまた否である。
分配で青波と牛から大量に選手が移籍したが,その2球団とは運営組織も形態も異なる故に,全く別の球団となる。
例えが妥当ではないが,西鉄と西武の関係(勿論これまた別物だが)より遠いといった方が良いかも知れない。
鷲は鷲でしかない。
個人的には,阪急も近鉄も嫌いな球団ではない(否,第一次長嶋政権では勝てなかったので,一時的に阪急は否だったかもしれないが)。
前者は,福本,福良,高井(代打の切り札),熊野(巨人に行ったドラ1),松永(晩年は阪神,巧打にして名手),弓岡,そして蓑田(3割30本30盗塁の元祖にして強肩。最後は巨人),山田,山口,今井,佐藤義則(現鷲コーチ),後者だと永渕,佐々木,新井,大石,鈴木,加藤英(巨人-南海で2000本安打),羽田,梨田(現熊監督),有田(最後は巨人)といった懐かしい名前がたちどころに浮かんでくるくらいだ(尤も初期のオリックスも嫌いじゃない)。
では鴎はどうか。
オールドユニフォームというと,金やんがデザインしたらしい赤のラインが入ったやつ・・・と思いきや,マリーンズ誕生当時(92年)のピンクロゴのものだそうだ・・・(落胆・・・)。
個人的に鴎はやはりオリオンズ時代に限る。
私の見ている前で,弘田,得津,ラフィーバー,アルトマン,有藤,成田,木樽,村田といった選手が活躍したのが唯々懐かしい。
落合とか現監督の西村,元監督の山本(巨人時代は,にせ浩二とか王の影武者とかひどい言われ方だった),横田,水上,袴田(法大で江川とバッテリー)といった選手が活躍したのはさらに後だ。
私のようなオールドファンにとっては,オールドユニフォームは野球に夢中になっていた少年時代の思い出と被る極めて懐かしい代物である。
だから,こうしたイヴェントは大歓迎だ。
但し,南海のユニフォームは王監督には似合わなかった・・・。
個人的に,あのグリーンラインのユニフォームが似合うのは,景浦御大を除くとやはり門田と山本和(カズ山本)・・・と思う。
ノムさんもか・・・。
当時の西鉄は抜群に強かったらしいですね。
「黒い霧」は69年でしたか・・・。
中日にいた小川なんて投手がこれで引退となりましたね。
やたら巨人戦に強かったという・・・。
大下弘に焦点を当てた「虹の生涯」なる本を読んだことがあり,私の西鉄に対する知識はそれだけです。
やはり,西武は西鉄と別物と九州の方や当時の西鉄ファンの方は仰いますね。
懐かしいですね,55年。
江川が20勝で長嶋解任,王引退。
ブレイザー監督の騒動も覚えていますよ。
江本が水色のユニフォームで活躍したのもこの年でしたね。
「空白の1日」は54年の2月ですね。
前年のヤクルト優勝と西武の誕生で,巨人ファンが一気にその2つに流出し,私としては由々しき事態でした。
70~80年代は,巨人のV9と西武の全盛という時代でしたが,多くの個性的な選手が百花繚乱といった 様相でしたね。
南海ホークス,その名を口にするだけで懐かしいです。
門田はすべてホームランを狙っていたというのが凄いです。
個人的には当時の鷹だと,巨人-近鉄と渡り歩いた左殺しの山本雅夫という選手が好きでしたね。
マシーンのマサと呼ばれ,マシーン相手だと門田より打ったとか・・・。
西鉄ライオンズから太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズに変わり、
1978年西武ライオンズとして福岡を去った時点で終わりでした。
だぶだぶのユニフォーム。稲尾和久投手、大下弘、中西太、豊田康光、などの活躍。
西鉄ライオンズの黄金時代の印象が強すぎたのかも知れません。
私が初めて野球に興味持ったのは昭和55年、虎の岡田がルーキーで
ブレイザー監督が途中帰国してしまい急遽中西太が代理監督になった頃、江本が長い手足で
投げていたのが印象的です、「打たれて歯出して笑うな」と野次られていましたっけ、
その年でしたか、江川卓と小林繁の空白の一日と言われた交換劇が行われたのは。
同世代ですな。。
グリーンラインユニフォームは門田ですな。
あのスイングの速さが懐かしい。